「おじいさま…?」
暗闇にぽつりと置かれた大きなベッド。広い部屋に反響するのはただ、自分の声だけだった。
「おじいさま…どこ?」
こわい、暗闇はこわい。世界に自分一人だけだと錯覚してしまう。誰もぼくの名を呼んでくれない。暗くて広がり続ける孤独の闇に置き去りにされてしまったと錯覚してしまう。
風の音一つしない静かな夜だった。寝る前に側に居てくれたおじいさまの姿はみえない。
「こわいよ…」
部屋を飛び出しておじいさまの部屋へ行こうか、床に足をつけようとしてふと思いとどまる。おじいさまは忙しい身の上だ。こんな夜中に訪ねたらきっとおじいさまの迷惑になってしまう。おじいさまに迷惑だけはかけたくない。ぼくは、ぼくはおじいさまにだけは…。
鼻の奥がぐっと痛くなった。そして暗闇がぼんやりと揺れた。涙がこぼれそうになる。唇を噛み締めて枕に顔をうずめた。おじいさまに捨てられるくらいならこんな暗闇怖くもない。怖くなんてない。ひとりぼっちになるくらいならこれぐらい。
「っ…、だれ、か…」
ねぇ強くなりたいんですおじいさま。ぼくは、ぼくは暗闇もひとりぼっちも平気になりたい。ぼくは強くなりたい。こんな思いもういやだ。強く、なりたいよ。
「ジン?」
目を開けるとそこは暗闇でもなく海道邸でもなかった。ただ心配そうに覗き込む山野バンが視界いっぱいに映った。ぼくは、…ああそうか。
「随分うなされてた。なんか悪い夢でもみたのか?」
バンくんの指先がそっと目尻を拭った。僕は泣いていたのか。暗闇がこわかったあの頃の夢をみたからか。
「バンくん、」
「ん?」
その先の言葉が紡げなくてただぎゅっとシーツを握り締めた。僕はなにも変わらない。暗闇もひとりぼっちになることもまだ怖いままだ。そしてまたひとつ、怖いものが増えた。
可笑しな話だ。僕はひとりでもいいと。強くなりたいと願った。それなのに僕は君を失いたくないと願う。ああほら、あの頃と変わりもしない、また目頭が熱くなっていく。僕は弱いままだ。
「ジン」
「バンく…」
バンくんは僕を抱き締めた。ふわりとバンくんの匂いがする。体の力が抜けていくのがよくわかった。そしてまた涙がこぼれそうになる。慌てて唇を噛み締めた。
「噛んだら唇切れちゃうだろ」
「バンくん…」
「僕は君を失うことが怖いんだ。目を覚ましたら君のいない暗闇を見つめるのが怖いんだ。僕は、僕は」
バンくんの瞳が僕を捉えたまま、瞬きをすることすら阻まれるように、見つめていた。そのままバンくんが緩く笑って、そして僕の頬に口付けた。
「ジンは馬鹿だなぁ、ほんとに」
「馬鹿って、うわっ」
抱き締めたままバンくんはベッドに僕ごと倒れこんだ。ボスンと音を立てて柔らかいシーツに埋もれる。小さく笑ったバンくんがそっと指先を絡めた。
「ほら、こうしてれば目が覚めた時もずっと一緒だよ」
「ずっと一緒…」
「夜中に目が覚めても俺はちゃんと隣にいるし、目が覚めてからだって俺はジンを一人になんかしない。ジンが寂しくて泣かないようにずっと側にいるからさ」
「ぼ、僕は寂しくて泣いてる訳じゃない!」
「はいはい」
くすくす笑うバンくんの鼻に噛み付くように口付けてやった。するとバンくんはまるで待ってましたとばかりに唇にキスを落とす。ああ、これが僕の欲しかったものだと、そう思った。
目が覚めた暗闇にはきっと君が居るから。だから僕はもう怖くない。ひとりになるのは怖いけれど、君を失うのは怖いけれど。でも君と繋いだこの温度はきっと変わらないと信じているから。
「おやすみ、ジン」
end