いつか離れる日が来ることが怖かった。その日はきっと自分の中で覚えていることも認識することが出来ないこともわかっていたから。そして君との全てが失われても気付かずに生きて、死んでゆくのだから
「今日のそれはなに?」
「隊長の依頼」
「ふぅん。また余計な機能付き?」
「さぁな。ま、お楽しみってことにしとくぜぇ」
ラボで組み立てるほどでもないものなんだろう。俺の部屋で出来るようなものだからきっと侵略には使えそうにないものだ。ベッドの上でパソコンを繋ぎながら器用にプログラミングしている
そのクルルを背後から眺める。丸まった背中。50センチほどしかないその姿は侵略者と呼ぶには可愛らしすぎる。けれどクルルは人間を遥かに超えた知略で予想以上の楽しいことをいつもプレゼントしてくれる。初めて会った日から毎日が輝いてる。これは本当の話
カチカチとキーボードを打つ音。たまに揺れる小さな小さな背中。ねぇこの背中を守りたいって、手離したくないって思ってるんだ。だから君は裏切らないでよ
「クルル」
「ク?」
引き寄せた小さな体を膝に乗せる。たくさんいるケロン体の中でも飛び抜けて軽いクルルの体。偏食に不規則な生活のせい。これは人間もケロン体も変わらないね
「…んだぁ?」
不機嫌そうに顔をあげたクルルはいつも通りで、でもその分厚いメガネの奥の赤い瞳がきらりと光ったのを見逃したりはしないから
「ねぇ、ケロン星は暖かい?」
「知らね。俺は基地に籠りっぱなしだからな」
「じゃあケロン星には美味しい食べ物はある?」
「軍用食は激マズだぜェ」
「うわあ…ってことはカレーは無さそうだね」
「まあ味なんて幾らでも改造できるしな」
「でも毎日カレー味は辛くない?」
「ボルシチ味も出来るぜぇ」
「あはは、クルルらしい。…ケロン星はクルルを泣かせる奴はいないよね?」
「…いねぇよ」
ほら、クルルは嫌な奴なんだからそこで毎日泣かされてるぜ、って言わなきゃいけなかったのに。何で否定しちゃうんだろ。安心させるためとかそんなのクルルじゃないだろ?
「クルルに会えて本当に楽しかったんだ。関係ないじゃん人間とか宇宙人とかそんなのさ。クルルはクルルだし俺は俺。一緒に楽しいこと出来るし気持ちを共有できる。こんなの同じ種族だって会えないじゃん。それに俺はクルルが好きだよ。大好き。笑ってて欲しいんだ
だから、いかないでよ」
俺の膝の上で黙って聴いていたクルルはその小さい手を俺の頬に伸ばした。もちろんそのままだと触れることが出来ないから体を屈める。有り得ないくらい優しくその手が頬を撫でた
「泣いてんじゃねーよ」
俺の心配より自分の心配をしろ、ってクルルが笑った
「じゃあいかないでよ」
「わかってんだろ?俺たちは一応軍人だぜ」
上官の命令は絶対
そんなの知ったこっちゃない。クルルの側にいたい。君を忘れて生きたくなんて、ない
「睦実、お前意外と嫌な奴だな。俺に側に居ろだなんてよ」
「え、?…っ!」
瞬間、掠めた電波にはクルルの感情が痛い程込められていた
年老いて安らかに眠る自分と、少しも色褪せない黄色い背中
荒廃した綺麗だった大地に残る寂れたラボの中
俺の頬に手を伸ばしたクルルは今日と同じで
でもそこに二人分の鼓動はなかった
「クルル…」
「クック、感じとっちまったかぁ。ほんとにお前は嫌な奴だぜ。大体気付いてんじゃねぇよ」
問いただそうとは思わなかった。でも直感、クルルならば情報操作で退却命令などどうにでもなったはずだ。けどクルルは敢えて何もしなかった。このまま地球を離れる。もちろん俺には何も言わずに。記憶から自分の存在を消してから
ねえそれは寂しいから?
君が俺に特別な感情を持ってしまうから?
それなら手遅れだと言うのに?
「クルルが今日は妙に優しいからだよ。そりゃ気付くって」
「ククー、嫌がらせのつもりだったんだがなあ」
いつもみたいに笑うクルルは相変わらずで、でも常人には気付かない程微かにクルルは震えていた。体ではなく心が
「俺はクルルの特別なものになれた?」
クルルはゆっくり顔を近づけた
「さぁな。でも楽しめたぜぇ」
俺はゆっくり瞼を閉じる
「良かった。俺はクルルに会えて楽しかった。ありがと、クルル」
こつん、とクルルの額と自分の額がぶつかった
そこからは緩やかな電波が流れ込んで意識が遠退く。さよならはいってやらない。なんてったって俺は嫌な奴だから
「睦実」
ぼんやりとぼやけた世界。霞んだ視界の先のクルルは泣いていた
「ありがと、な」
やっぱ君は嫌な奴だ。さよならは言わないんだね
「う…」
頭が痛い。まるで二日酔いみたいにガンガンとする頭を抱えて体を起こす。布団も被らずにベッドの上で寝ていたみたいだ
やけに長い夢をみていたらしく何故だか非常に切なくなった。ラジオの話題にしたいのに上手い詩が思い浮かばない。こんなに胸が切ないのは人生ではじめてだった
変な感覚のせいで脳みそがうまく機能しない。あれ、なんでこんなにカレーを作らなきゃって思ってるんだろ。ベッドの上が物足りない気がするのは何でだろ。どうして寂しいと思うんだろ
ふ、とベッドの脇に黄色い背中をみつけた。そんなものはこの家になかったはずなのに何故安心してしまうんだ
拾い上げてみるとお世辞にも可愛いとは言えない嫌味な顔をしたぬいぐるみだった。でも妙に愛着が湧いてそのぬいぐるみを抱き締めた。するとぬいぐるみは音声機能がついてるらしく喋り出した
『クーッククー、しけた面してんなよ』
…可愛くない喋り方。ああでも不思議と涙腺が弛む
そしてぺらぺらと喋ったあとそのぬいぐるみは小さく『ムツミ』と呼んだ
涙が溢れて仕方がなかった
『…というのが俺が体験した不思議な話。みんなはそんな経験ある?』
テーブルに置かれた猫背気味の黄色いぬいぐるみが見上げてくる
『じゃあ今日の623ラジオはここまで。
…最後にどこかで聞いてるはずの素直じゃない君へ。寂しいなら寂しいって言いなよ。忘れて欲しくないなら君が側にいればいい。君はぬいぐるみみたいに可愛くはないんだからやっぱり君は君じゃなきゃ駄目。せっかく作った特製カレー食べちゃうからね』
ぬいぐるみの頬をつつく。『ムツミ』とぬいぐるみが言った
『だから、はやく帰っておいで』
「睦実」と君の声が呼んだ気がした
end