冷たくて、だから優しい


それは、ある晴れた日の午前中。晴れてるのに雨降ってきた!と教室に駆け込んでくる人の肩は総じて濡れていた。窓から狭い空を見上げれば、雲一つない晴天。しかし視線を下げれば我先にと校舎に入る生徒たちの姿があった。

朝練あってよかったな、なんて大地と笑いあいながら始業を待つ。こんこんと窓を打ち鳴らす雨音に耳を傾ければ、少し瞼が重くなってくる。一つ欠伸を零せば大地に肩を小突かれた。

いつもは五分程遅れてくる担任が、今日は始業のチャイムと共に戸を開いた。慌てて席に着くクラスメイトと、少しだけ緊張した面持ちの担任。ざわめき始める教室内で、先生が教卓を叩く音が響いた。

「えー、ちょっと珍しい時期ではあるが、今日から転校生が入る。お前ら仲良くしてやれよー」

先生に促されて姿を現した人物に、ざわついていた教室がしんと静まり返る。ごくりと己が生唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。男子も女子も誰一人口を開く者はいない。

可愛いとか、綺麗だとかそういうものをすっ飛ばした人間離れした美しい容姿。きっとこういうのを妖艶って言うんだろう。

「っ、あ」

けれど、俺の声が詰まった理由はそれだけではなかった。透き通る様に真白い肌と金色の瞳。俺とよく似た銀色の髪。

「なまえ……?」

俺の声を拾った大地がぎょっとした顔で振り向いたのが視界の端に映る。彼女がありきたりな自己紹介をする間、視線が交わることはなかった。

彼女が名乗った名は名字名前。名字は知らないのか覚えていないのか初耳であったが、名前を聞いて疑問は確信へと変わる。やっぱりあの子だ、と。

彼女が腰掛けた席は俺の斜め前、大地の隣だった。早々に終わりを告げたホームルームの直後、彼女の周りには人だかりが出来る。用意された言葉をなぞるように彼女は飛び交う質問に淡々と答えていた。

俺が入り込む隙など皆無で。手を引いて連れ出してしまいたい気持ちをぐっと押し殺した。

「なあ、まさか転校生がこの前の話の奴だとか言わないよな?」

「ごめん、言う」

引きつった顔で恐る恐るそう問うてくる大地に即答する。そんな俺の顔も緊張やら少しの恐怖やらで強張っていることだろう。

「俺よりビビリのヤツ見て心落ち着かせるわ」

大地は早口でそう言い放ち、携帯を取り出す。恐らく旭にでも連絡するのだろう。そう思っていれば、あ、やべ、間違えて部のグループに送ったとか何とか言い出したので、珍しく狼狽えてんなあと思った。それから間髪入れずに震え始めた携帯に、狼狽えてるのは何も大地だけじゃないことを知る。

それでも俺は、彼女から目を離せないでいた。彼女に浴びせられる質問は先程からどうでもいいものばかりだ。彼氏の有無、好きな食べ物、苦手な教科、髪は地毛かなど。その全てに卒なく答えていた彼女は、出身地を問われた時だけ曖昧に笑んだ。次に気付いた時にはもう俺はその細い腕を引いていた。

休み時間ももうすぐ終わる。遅刻の言い訳は俺の前の席の奴がきっと上手く言ってくれるだろうと確信にも似た信頼を抱きながら屋上へと向かう。

抜け駆けすんなー!というクラスメイトの言葉に辛うじて笑みを返す。思えば初めて触れる彼女の手首は酷く冷たくて、沸騰しかけた脳味噌を冷やされるような心地だった。

「初対面の女子に対する行動にしては、些か強引だな」

屋上へ着いたとき雨はもう既に上がっていて、水溜りを避けるようにして歩を進めた彼女がそう口を開く。

「初対面じゃないべ」

俺の言葉に、彼女は大層驚いた表情をした。まるで信じれないとそんな瞳。

「十年以上も前の話で、覚えてないかも知れないけど。二丁目の神社でよく遊んでただろ?」

続けて自分の名を述べれば、驚きに満ちていた瞳に確かな拒絶の色が宿る。知らんな、という彼女の言葉に眩暈がした。そんなはずはない。人違いなどでは断じてないのだ。間違えるはずはない。だって俺は──。

「神社など、私には縁遠い場所だよ。訪れたことなど一度もない」

突き放すような声音。嘲笑うような口元。紡がれた言葉が真実ではないことは、俺が一番よく知っているはずなのに否定することが出来ない。言葉は喉元あたりでぐるぐると回るだけで、それが声になることはなかった。

「どうして、何も言わずにいなくなっちゃったんだよ」

代わりに口をついたのは子供の駄々にも似た言葉。漸く交わった視線の先で彼女の瞳は酷く傷ついたように揺れていて。俺はそれ以上何も言えなかった。

「泣かれると、どうしたらいいのか分からなくなる」

暫くの沈黙の後、困ったように笑う彼女の指が俺の頬に触れる。情けないなと思いながらも流れ落ちる涙を止める術を俺は持たなかった。

「すまない」

それが何に対する謝罪なのか俺には分からなかったし、聞いたところで彼女は答えてくれないだろうと思う。それからどちらとも口を開くことはなく、ただ俺が落ち着くまで彼女の存在が消えることはなかった。



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