幼き日、在る夏の話


「スガさん!怖い話聞かせてくださいっ」

部活が終わった放課後、坂ノ下商店で肉まんを頬張っていれは日向がキラキラとした目を向けてくる。他の部員たちもどこか浮ついた表情(約1名図体に似合わず青ざめている)をしていて、思わず苦笑いが零れた。

こうしてホラー話を披露するのは初めてではない。寧ろ夏になってからその機会が増えて話のネタだって尽きかけている。けれど、日向の期待に満ち満ちた瞳に、断ることなど出来なかった。

「んー」

態とらしくどれにするかなーなんて言いながら思考をフル回転させる。怖い話怖い話と呪詛のように反芻しながら記憶を辿った。

──赤。

あれは多分、鳥居。友達と喧嘩して一人で帰った帰り道。何となく入った小さな神社の中で出逢った一人の女の子。

ぼんやりと靄の掛かったような記憶。怖い話として語るには些かはっきりしないものだったが、思い浮かぶのはこれしかない。もうヤケだった。

「幽霊系じゃないけど、俺が小さい頃神社で会った女の子の話でもいいか?」

「ハイ!」

背筋が凍るような話ではない。ただ、ちょっと不思議で、切ない記憶の物語である。


あれは、そう。今からずっと昔の、まだ真新しい黒色のランドセルを背負っていた時のこと。

出来たばかりの友達と些細なことで喧嘩をして、泣きながら帰った通学路で、ふわりと頬を撫でた風。その風に誘われるように顔を上げた先にあった真っ赤な鳥居。

こんなところがあったんだと、泣いていたことも忘れて好奇心の赴くままそれをくぐった。石畳の階段を経て見上げた本殿と、境内を囲む深い森には蝉の声が響く。それが鎮守の社と呼ばれることを知ったのはごく最近のことである。

小さな手水舎も素通りして、本殿に向かった。決して大きいとは言えないそれも、当時の俺からしたら未知の世界で。駆り立てられるようにしてガタガタと音を立てる襖を開けて中へと入った。

「わ、」

鳥居と同じ真っ赤な着物に、自分と同じ銀色の髪。そして、自分よりずっと白い肌と金色の瞳。幼いながらに暫くの間その子に見惚れていた。

「きみ、なまえは?」

ぼうっと見つめていればそう問われる。声までもが綺麗だった。

「す、すがわらこうし!」

「こうし、ね!わたしはなまえ。よろしく!」

促されるまま隣に腰掛け、必死で答えた己の名は上擦った声で紡がれる。

恐らく同じくらいの年齢の女の子。けれどどこか大人びていて、それでいて世の中をあまり知らない子だった。

「そう、それでね、このランドセルをしょってがっこうにいくんだよ!」

「がっこう!それはしってる!」

名前の後に訊かれたのは俺が背負ってたランドセルのこと。知らないことに驚きはしたけれど、それよりも色々と教えるのが先生にでもなった気分で楽しかった。

学校のこと、ランドセルの中身、洋服、靴、絆創膏やキーホルダー、防犯ブザーに至るまで、その時持っていたものは全て広げて一つ一つ説明した。その度にキラキラした目で頷いたり、更に質問してきたり。楽しい時間はあっという間に過ぎた。

時間の経過を知らせてくれたのは己の腹の虫で。明日もくるね、と約束してから神社を後にする。振り返った本殿に、灯りは点いていなかった。

翌日も、そのまた翌日も、俺は神社に通い詰めた。そして季節が秋になった頃、ぱたりと彼女は神社に現れなくなったのだ。いくら呼んでも姿どころか声すらも聞けず。暖かいと思っていた境内が肌寒く感じたのはきっと季節の所為だけではなかった。

それから二、三度足を向けた境内で、一度だけ本殿の襖が開いているときがあり、彼女が戻ってきたのだと足を踏み入れたそこで俺を待っていたのは一枚の手紙。和紙に筆で書かれた文字は、日本語ではなくて読めなかったけれど何故だか切なくて悲しくて泣いたような気がする。

俺はその後一度もあの鳥居をくぐらなくなったし、いつの間にか大切に持っていたはずの手紙も消えていて、あの子の存在も今の今まで忘れていた。

記憶と呼ぶにはあまりにも不確かで、作り話と呼ぶにはあまりにも生々しい話だ。

「その神社ってもしかして2丁目あたりにあるやつっスか?」

話し終えた俺がふうと息を吐いてから一番初めに口を開いたのは影山だった。その問いに肯定を返せば彼の表情がぐっと陰る。

「あの神社もうすぐ取り壊されるみたいっスよ」

風の噂でそんなことを耳にしたことがあった。不思議と悲しくはならなかったけれど、取り壊される前に一度また訪れてみようかと一人でに思う。

──ずっと昔の暖かくて寂しい記憶。きっとあれが、俺の初恋だった。



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