きみの勇気になりたい


「昨日、バレー部の1年が俺のところ来たよ」

例の如く旭さんと二人で昼ご飯を中庭で食べていると、どこか言いにくそうに彼が口を開いた。

「どんな子だった??」

「なんか、明るい髪の小さいやつと目付きの悪いやつ。エースになりたいって」

「西谷くんが戻ってきたから、エースも戻って来ないかなーって思ってるんじゃないかな」

それでなくても日向のエースへの憧れはかなりのものだと思う。それ故のあの子の真っ直ぐさは、今の旭さんには少し眩しすぎるのかもしれない。

「俺は、もう、エースじゃないから……」

そう呟いて俯いてしまう彼に、私は掛ける言葉が出てこなかった。エースじゃない、と思っているのは旭さんだけだっていうことは皆を見ていればよく分かる。
誰も彼もが口を揃えて"エース"と呼ぶのは彼の名前だけだから。

だけど、私まで彼の気持ちを否定してしまったら、旭さんはこうして心境を吐露してくれることもなくなってしまうだろうということは容易に想像出来た。

「月島くんっていう違う1年生が、日向はしつこいって言ってたから今日も来るかもよ」

「ええ……何度来てくれても同じことしか言えないよ……」

「ま、そこは先輩として、話だけでも聞いてやって!」

どこか頼りない肯定の声を聞きながら、先程から全然減ってない旭さんの菓子パンを一口奪う。情けなく唸る彼の昼飯を虎視眈々と狙えば、目にも止まらぬ早さでその口の中へと吸い込まれていった。

「足の調子はどうなの?」

口いっぱいに頬張った菓子パンを水で流し込み漸く飲み込めば、不意に旭さんが問う。

指導者としてバレー部を見ることになったことも、町内会でバレーをやり始めたことも旭さんには伝えてあるが、入学初日にスパイクを打ったことと、及川のサーブを受けて足が動かなくなったことは言っていない。余計な心配を掛けるのは分かっていたから。

「毎日起きた時と寝る前に一時間くらいお父さんに施術してもらってるから、最近すごく調子がいい!」

部内では大地の、町内会では繋ちゃんの目があるから無理することもないし。

「ただもうブランクありすぎて、レシーブめっちゃ下手になってるから身体中痣だらけだけど」

上手く上げられずに跳ね返ったボールが当たりまくるので、今まででは有り得ないようなところに青痣が出来ているのだ。まあ、バレーボールに触れていなかった頃の苦しさに比べれば痛くも痒くもなかった。

「俺も、っ」

言いかけて、それきり口を噤んだ旭さんの瞳が揺れる。
ぎゅう、と白くなるほど握られて小刻みに震える彼の手にそっと自分のそれを重ねた。

「私は前を向くのに1年かかった。焦らなくていいから、自分がどうしたいのかゆっくり考えたらいいよ」

「……うん……ごめん」

また俯く旭さんの背を思い切り叩いて、謝るくらいならバナナジュース奢れ!と、戸惑う彼の手を引いて校舎へと戻る。
この手のひらのぬくもりが、彼の心を少しでも溶かしてくれますようにと祈りながら。



「おつかれさまーっ」

放課後の練習の休憩中、武田先生がどこか浮ついた様子で体育館の扉を開く。大地の集合の声に部員達と共に私も手を止めて並んだ。

「皆今年もやるんだよね!?ゴールデンウィーク合宿!!」

肯定を示す大地に、日向がその目をキラキラと輝かせていた。

「それでね……ゴールデンウィーク最終日、練習試合組めました!!」

相手は!と逸る部員達に武田先生は神妙な面持ちでその名を紡ぐ。

「東京の古豪"音駒高校"。確か通称──"ネコ"」

疑問符を浮かべる日向と私に、田中とスガが説明してくれる。それによると前の監督同士がずっと昔からのライバルで、前はよくお互いに遠征に行っていたらしい。実力が近く相性が良くて実りある練習試合が出来ていたという。

名勝負!"猫対烏!ゴミ捨て場の決戦!"

「それ本当に名勝負だったんですか」

月島くんのボヤキに思わず苦笑いが浮かぶ。

「音駒高校っていう好敵手の存在を聞いてどうしても、"因縁の再戦"をやりたかったんだ。
相手が音駒高校となれば……きっと"彼"も動くハズ」

先生の言う彼を私も思い浮かべながら、そうなればいいなと淡い期待を抱いた。

「せっかくの練習試合無駄にしないように、練習も合宿も気合い入れんぞ!!」

「「オース!!」」

大地の鼓舞に皆の士気が上がるのを感じる。
田中がシティーボーイめええ、と意気込む姿に月島くんが嘲笑を浮かべて田中に怒鳴られてる中、大地の元にゆっくりと西谷くんが歩を進めた。

「すみません俺、練習試合出ません」

「……旭が戻ってないからか」

無言を貫く西谷くんに、大地は肯定と捉えたのだろう、それとなく説得を試みる。

「……翔陽はいい奴だし、他の1年も曲者揃いだけど面白そうな奴ばっかで、名字さんも色んな練習メニューを考えてくれてて、これからこのチームはなんかこう良い感じにやっていくんだと思います。
俺も……ここで練習したい……けど、試合に……俺も試合に出て、勝ったら、旭さんが、いなくても勝てるって証明になるみたいで、今まで一緒に戦ってきたのに、旭さん居なくても勝てる……みたいになるの、嫌です」

絞り出すように、苦々しくその表情を歪めながら西谷くんは言う。ワガママ言ってすみません、と頭を下げる彼に、大地はそっとその背に手を置いて笑った。

「わかった、でも合宿は出てくれよ。な?」

西谷くんに教えを乞いにやってきた日向を見つめながら言う大地の言葉に、西谷くんは困ったように笑いながら小さく頷く。
私はほっと胸を撫で下ろして、練習試合の相手に思いを馳せる。東京かー、アイツなら何か知ってるかな、あとで電話してみようと向こうに居た時に世話になった男のことを思い出しながら。
そしてそれがこの後とんでもない事態を生むことになると、この時の私は露にも思わないのだった。

その後練習を終え、体育館の戸締りを済ませて帰路につこうというところで携帯の軽快な音楽が着信を知らせる。
表示された名前に丁度良かったと笑みを深めて通話ボタンを押した。

「もしもし!久し振り!私も電話しようと思ってた!」

『おー、久し振り。相変わらずテンション高ぇな』

電話の向こうでけたけたと笑う彼の名は黒尾鉄朗。
私のチームメイトだった子の元彼であり、インターハイ決勝戦のあの日──何も受け入れられずに呆然としていた私を励まし続け、毎日のように見舞いに来てくれて、リハビリにまで付き添ってくれた人である。
そして先程私が思い浮かべていた男だ。

『お前、烏野のマネージャーになったって言ってたよな?』

「そうそう!
今度のゴールデンウィークに合宿やるらしいんだけど、東京の音駒高校ってところが来るらしくて、鉄朗に聞いてみようと思ってて!」

『……は、?』

長い間の後、短く息を吐く鉄朗に構うことなく私は矢継ぎ早に続けた。

「音駒高校ってどこかで聞いたことあるような気がしてて、でも私男子バレーほんとに疎いから、強いのかなって」

『……あー、なるほどね?聞いたことがあるような気がする、ね』

二段階くらい低くなった彼の声に、電話越しなのに鉄朗のドス黒いオーラが見えた気がする。例えるなら目が全く笑っていないのに、にこにこしている大地が纏っているオーラと同じものが。

「て、鉄朗?」

『音駒高校、それなりに強いと思うので、覚悟しといたほうがいいかもしれませんよ』

「なっなんで急に敬語!?というか鉄朗の用事はなんだったの?」

『いや?ラインではやり取りしてたけど、暫く声聞いてねえから何となく掛けただけ』

言われてみれば確かにそうだ。こうやって声を聞くのは宮城に来る日に新幹線のホームまで送ってくれた時以来だった。

それから暫く、お互いの近況を語り合う。とは言ってもほぼ私が話していて、ラインでも伝えていたことがほとんどだったけど、彼は嫌な素振り一つ感じさせずにずっと聞いてくれていた。

「そろそろ家に着くから切るね!久々にゆっくり話せて良かった、ありがとう」

『おう、"また"な名前』

何だか含みのある言い方に疑問符を浮かべつつ電話を切る。
そして約一週間後、私は彼の言葉の意味を自らの愚かさと共にこれでもかと思い知ることになる。



──翌日放課後。

武田先生がコーチとして連れてきた男に部員達が驚きや戸惑いの声を上げる。
私にとっても皆にとってもよく見知った顔、坂ノ下商店の烏養繋心。そして、彼の祖父はこの烏野高校の前監督である。

目が合った途端、バツが悪そうに頬を掻くその姿に思わず笑みが零れた。



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