はじまりの1歩


西谷くんに勇気付けてもらい、彼と別れてから直ぐに繋ちゃんは現れた。それから久し振りに町内会チームの練習に混ぜてもらい、30本くらいレシーブもやらせてもらった、帰り道。

私は車の窓をそっと開けた。

どうやら機嫌の悪いらしい繋ちゃんがひっきりなしに煙草を吸うもんだから、車内は軽く真っ白である。

「……悪ィ」

バツの悪そうに火を消した繋ちゃんだったが、その手はまた煙草に伸び、白い筒を口に咥えて唇で揺らしていた。

「繋心さんはどうしてそんなにピリピリしていらっしゃるのですか?」

今日、似たようなことをもう何度も彼に問うている。しかし、繋ちゃんは唸るばかりで答えてはくれなかった。それは今回も同じようで、あーとかうーとか意味のなさない言葉を口から漏らしている。

「……コーチ」

武田先生の様子を見てその矛先が繋ちゃんであると予想を立てていた私は、短くそう呟いた。繋ちゃんは隣で分かりやすく肩を跳ねさせ、口から煙草を取り落としている。

「やっぱり」

こちらを軽く一瞥した後、彼は諦めたように短く息を吐いた。

「お前なら、分かるだろ」

確かに、繋ちゃんがコーチの話に頷かない理由はよく分かる。私と同じでバレーボールをやるのが好きだから、指導者として選手の前に立つのはうずうずしてしまいそうで嫌なんだと思う。

「私はついさっき喝をいれてもらったから、同意しかねますね」

思い出すのは西谷くんの姿。明日から指導者とまではいかなくても、彼らにレクチャーするつもりでいる。まあ、一年近くもバレーボールに触れていない人間に出来ることなんて僅かだと思うけど。
それでもいいと、言ってくれたから。私に出来ることを精一杯やろうと決めた。

「お前から見て、どうなんだ今の烏野は」

「ちぐはぐだけど、面白いチームだなあって思うよ。
……気になるなら、一度見に来てみたら?」

「あのしつこい先生にも、似たようなこと言われたよ」

繋ちゃんはそれっきり口を閉ざしてしまう。最終的に決めるのは繋ちゃんだし、この話はもうおしまいにすることにして、今日の町内会での練習のことに話題を変えた。




──翌日、放課後。

ずらりと並んだ部員達を前に、私はどくどくと心臓を煩く鳴らしていた。朝のうちに大地に話を通して、是非にとそれはもう嬉しそうな笑顔をもらってはいる。だけど眼前の彼らが受け入れてくれるかどうかは、また別の話だ。
なんだか不安になって視線を彷徨わせる。そのうちに西谷くんの真っ直ぐでキラキラした瞳とぶつかって、次いで彼がくれた力強い頷きに、私は覚悟を決めて口を開いた。

「あの、私烏野に来る前は東京でバレーボールをやっていました。全国に行ったこともあります」

私の言葉を皆は真っ直ぐに聞いてくれている。
ポジションはリベロだったこと、リベロに転向する前はスパイカーだったこと、怪我するまでやってきたことを私は初めて皆に伝えた。

「その、えっと、つ、ついてきてくれますか」

沈黙。それはもう痛い程の沈黙が満ち満ちる。
今は何も出来ないこんな私に練習を指揮されたって、誰も納得するわけがなかったんだ。
ゆるゆると肩を落として、唇を噛んだ、その瞬間。

うおおおおお、と割れんばかりの大声が体育館を揺らす。驚いて顔を上げると皆口々に色々なことを叫んでいた。どれもこれも私を受け入れてくれるもので、先程とは違う意味で目頭が熱くなる。

「名字先輩!全国!全国ってどんな感じですか!!!」

「どんなキツい練習でもいいんで、ビシバシやってください!」

「あのすごいレシーブ教えてください!!」

「こらこら、そんないっぺんに喋り掛けたって答えられるわけないでしょ。それにまず、言うことあるよね?」

次々に投げ掛けられる言葉の数々に戸惑っていれば、大地から制止の声が飛ぶ。再び静寂を取り戻した空間で、彼らは背筋を正して綺麗に整列する。

「「宜しくおねがいしゃーーす!!」」

勢いよく振り下ろされたたくさんの頭に軽くビビりながらも、私もそれに応えるために目一杯背筋を伸ばした。

「こちらこそ、宜しくお願いします!」

それから部員がアップを取る中、潔子と共に用具室から高めの台を持ってくる。それに乗ってネットの上からボールを打つ為だ。

「ごめんね、結局マネージャーの仕事あんまり出来なさそうで。潔子の負担減らすどころじゃなくなっちゃって」

「ううん。私に出来ないことを名前がやってくれるんだから。
チームのために、お互い頑張ろうね」

にこやかに微笑みかけてくれる彼女に、田中みたいに女神様……!と拝めば軽く肩を引っ叩かれる。なんだか少し照れてるようにも見えるその横顔に、危うく恋に落ちそうだった。

「集合!」

そんな私の邪な気持ちは大地の号令に掻き消される。踏み台をネットの下に置いた私たちもそれに倣う。

「まずは、全体的に課題の多いレシーブから見ていこうと思うので、一人5球ずつセットポジションに返せたら交代って感じでやっていこうと思います」

「「オース!」」

昨日のうちに考えておいた練習メニューは大地に確認してもらっているので、それに基づいて練習を進めていく。

まずはレシーブ。踏み台に私が乗り、ボール籠から潔子にボールを渡してもらう形で強弱様々なスパイクを打つ。

「腕余計に振り回さない!」

「足止まってる!腕だけで取ろうとしない!」

一人ひとりにその場でアドバイスを飛ばしながらひたすらボールを打ち込む。全員が5球上げ終わって一周する頃には、私の息まで少し上がっていた。

それから、踏み台を傍に退かしてサーブ練習に移る。コートに並べるのはせいぜい五人くらいなのでその間手の空いている部員達の元へ向かった。

「月島くん」

「はい」

「今のところ腕だけで跳ね返そうとしてるように見えるから、一度受け止める感じをイメージしてみて」

隣に立って身振り手振りを交えながら、先程見たレシーブの課題を一人ずつ説明する。皆嫌な顔せず真っ直ぐに聞いてくれて、こっちまで気合が入る心地だった。

「日向と山口くん打点下がってる!」

レシーブのアドバイスを皆にした後は、二周目に入ったサーブ練習を見る。正直サーブは専門外なので技術的なことはレシーブ程教えることは出来ないが、リベロとして受けてきたサーブの数々を思い出しながら出来る限りの言葉を伝えた。

「10分休憩!」

二周目を終えてそう声を張り上げると、部員達にボトルを手渡す潔子の姿が目に入る。全くもってボトルやタオルの用意を手伝えていないので申し訳なく思いながらも、転がったボールの回収に勤しんだ。

「名字先輩手伝います!」

いそいそとひたすらボールを拾っていると西谷くんが駆け寄ってくる。彼は昨日の宣言通りに練習には参加していなかったけれど、皆の練習を見ながらイメージトレーニングをしている様子だった。

聞けば潔子の手伝いもしてくれていたようで、有り難く私もその手を借りることにする。

「西谷くんから見てどう感じた?」

外から見て的外れなことを言っていないかとドキドキしながら彼に問う。西谷くんは少しだけ目を見開いた後にそれに答えてくれる。

「俺なんかが感想言うの烏滸がましいですけど、アドバイスも的確だし、前監督が退いてから技術的なことを一人ひとりに言ってくれる人がいなかったんで、めっちゃ助かってると思いますよ!
それに、皆なんだか楽しそうに見えます!」

「そっかあ、それなら良かった。いくら同じバレーボールでも、男子と女子じゃ勝手の違うところも多いだろうし、何か思ったことがあったらなんでも言ってね」

「おす!」

転がっていたボールを拾い終えて彼に感謝の言葉を伝えたところで、ふと先程の西谷くんの台詞がずっと引っかかっているなと思い立った。
彼はどこか私にとんでもなく引け目を感じているような節がある。

「西谷くんはさ、私のこと憧れてるって言ってくれたけど、私も西谷くんの真っ直ぐなところすごく憧れてるんだ」

「え?」

「実はね、私旭さんと幼馴染で、たくさんあの人から皆のこと聞いてたの」

旭さんの名前を出した途端に、西谷くんの瞳に影が刺した。それでもそれを見ないふりをして言葉を続ける。

「すっごく頼もしいリベロが居るんだって。それはもう何度も。
それでね、勝手に西谷くんにライバル心燃やしてたこともあるんだよ」

「でも俺、大事なところでボール落としてばっかりで。エースにばっか頼り切った試合しちまって、それで……」

「──謹慎中もブロックフォローの練習ひたすらしてたって田中に聞いたよ。誰しもが壁にぶつかった時にそれを乗り越えようと前を向けるわけじゃないから」

私や、旭さんのように。壁を乗り越えたり、あるいは壊したりする想像が、出来なくなってしまう人間も多いだろう。
だから私にはこの小さな守護神が、誰よりも眩しく見えるのだ。

「同じリベロとして、対等で居たいなって思う」

私の過去に対して、西谷くんが自分を卑下する必要はない。そして私も彼に負けないように、前を向いていこうって決めたから。

私を暫く真っ直ぐに見つめた後、西谷くんは大きく頷いて笑ってくれた。彼の笑顔に釣られるように笑っていれば、大地の声が休憩の終わりを告げる。

「次、スパイク練習!」

影山とスガの二人のセッターにトスを上げてもらって、他の部員達がそれを打つ。今までのを見ていた感じ、日向は影山ばかりに、ニ、三年はスガに多めに上げてもらっている印象があったので、均等になるようにローテーションを組んだ。

「誰がセッターでも、誰がスパイカーでも、同じパフォーマンスが出来るようにたくさん声かけあってね。少しでも気になったことがあればすぐ言う!」

当たり前の話だが、スパイカーによって打ちやすいトスは異なる。それをお互いに理解し合うのも大切なことだ。そしてそれは回数を重ねることでしか確固たるものにはならない。

なにより日々の練習の中で声を掛け合い、親睦を深めることは大切なことだ。ただでさえ1年生はギクシャクしている節がある。このまま気持ちがすれ違っていれば、大きな事故に繋がることだってあるのだから。

「「あざっした!!」」

こうして練習を終え、綺麗に整列した部員達に勢いよく頭を下げられる。あまりの声量に気圧されながらも、何とか笑顔を浮かべることに成功した。

「皆今日はお疲れ様!私自身まだまだ至らないところがたくさんあるから、先輩後輩関係なく、思ったことがあったら何でも言ってください!」

それから皆にストレッチを促し、私は潔子のもとへ走る。練習中は何もマネージャーの仕事が出来ないから、せめて終わったあとのボトルやビブスの片付けくらいせねば!

「本格的な練習、久し振りに見たかも」

潔子と並んでボトルを洗っていれば、彼女はふとそんなことを呟く。

「私が東京でやってた練習をそのまま持ってきたみたいな感じだよ。指導者としてバレーを教えたことないから、的確な事言えてるかとか不安でいっぱい……」

「皆目がキラキラしてたし、これから名前の練習が力になっていくんだろうなって思った。
だから、マネージャーの仕事のことは気にしないで。こうやって片付け一緒にやってくれるだけでも助かってるから」

そう言って微笑む潔子が女神様にしか見えなくて、思わず抱きついたら耳を赤くした彼女に引き剥がされてしまった。
て、照れてるー!!可愛い!!お嫁さんになって!!と荒ぶる心を必死で沈める。危うく平手打ちの餌食になるとこだった。



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