認めたくなかったのは


あれから大地とネットを張って、昨日の録画とノートを見ながらあーでもないこーでもないと言い合い、ぞろぞろとやってきた部員達に心配かけたことを謝った。それから昼休みには旭さんと他愛もない話をしながら中庭でご飯を食べて、放課後。

「西谷!」

大地とスガと共に体育館に向かい、中に入ったところで二人がそう声を上げる。視線の先には恐らく日向よりも背の低い男子の姿。
真っ直ぐな瞳と一瞬目が合って、心臓が跳ねた。

いや、向こうは私のこと知らないんだし、私が一方的に知ってるだけだし。わたしが動揺することじゃない。それは分かっているけれど、どうしてもそのまま見ていられなくて、目を逸らした。

「潔子さぁーん!!貴女に会いに来ました潔子さぁーん!!!」

一年と会話を続けていた彼は私の脇を通り抜けて、遅れてやってきた潔子の元へと駆けて行く。それから彼女に平手打ちを喰らうまであっという間の出来事すぎて、嵐のようなひと時だった。

そう思ったのは私だけじゃないらしく、スガも相変わらず嵐の様だなって呟いていたし、日向に至ってはゲリラ豪雨……と一人ごちっている。

「ハハハ!喧しいだろ!
……でも、プレーはびっくりするくらい──静か」

大地がどこか誇らしそうに言葉を紡ぐ。西谷くんのプレーは見たことないけれど、何となく想像に難くない。本当に上手い人のレシーブは、派手な音がしないから。

「──で、旭さんは?戻ってますか?」

潔子の手形をその頬に色濃く残しながら、西谷くんが問う。瞬間ピシリと張り詰めた空気に無意識に唇を噛んだ。

「…………いや」

そう答える大地もその隣に立つスガも表情は暗く俯いている。キラキラと輝いていた西谷くんの瞳も輝きを失い、みるみるうちに怒気を孕んだものとなっていった。

「──あの根性なし……!」

「!こらノヤ!!エースをそんな風に言うんじゃねえ!」

「うるせえ!根性なしは根性なしだ!」

西谷くんの言葉に咄嗟に田中が言い返すが、彼はそれも突っぱねてしまう。その一言に、たくさんの感情が入り混じっている様な気がして、私はただ握った拳に力を込めることしか出来なかった。

「前にも言った通り、旭さんが戻んないなら俺も戻んねえ!!」

それだけ吐き捨てて、西谷くんは体育館を勢いよく出て行く。大きな音を立てて閉められた扉が、酷く重く、厚く感じた。

疑問符を浮かべる一年達に、当たり障りのない答えを返すニ、三年の表情は暗い。誰もが言葉に詰まる中で、場違いな声が響く。

「レシーブ教えてください!!」

西谷くんの背中を追って行った日向のものだ。慌てて外に出れば烏野の"守護神"に教えを乞う雛烏の姿があった。

「おれ、まだレシーブへたくそで……バレーボールで一番大事なトコなのに。
だから、レシーブ教えてください!西──、西谷先輩!!」

大地が一年に守護神の話をした時に、アイツが戻ってきたら"先輩"って呼んでやれよって言っていたのを思い出したのだろうか、随分と気合の入った先輩呼びである。
そしてそれは彼の予想通り、西谷くんに相当響いたらしい。日向に教えるだけという条件だけど練習に参加してくれるみたいだ。その上アイスを奢る約束までしていた。そんな二人の様子を見て、皆がホッと息を吐くのが伝わってくる。
西谷くんと日向が戻って来て、西谷くんと軽い自己紹介を交わしてから潔子と共にマネージャーの仕事をこなして行く。

「なあ、ノヤっさん。その、名字さんってめっちゃ美人だし、潔子さんとはまた違った良さがあると思わねえ?」

「え?……そうだな」

「いつもだったら、キレーな人見たら飛びついて行くのに、何でそんな大人しいのかと思ってよ」

「……あの人は、名字さんは、そういうんじゃねえ。
俺が烏野の守護神なら、名字さんは──日本の守護神だから」

ボトルの用意をしに体育館を抜けていた私には、田中と西谷くんがそんな会話をしているなんて知る由もなかった。

「だからよー、お前らよー、サッと行ってスッとやって、ポンだよ」

練習を少し早めに切り上げて片付けと掃除をする傍ら、西谷くんが日向や月島くん君達にレシーブの手解きをしている。擬音ばかりのレクチャーに一年の頭の上には疑問符が浮かんでいた。

「彼が烏野の"守護神"かあ、格好良いねえ」

そんな彼らの様子を大地と共に見守っていれば武田先生がそう口を開く。

「あいつが戻って来てくれると、本当……頼もしいです。あの小さい身体で存在感がすごく大きい。
西谷が居ると安心感が違うんです」

大地の言葉に、武田先生は目をキラキラさせながら頷いている。二人の会話を聞きながら何となく西谷くんを眺めていれば、その大きくて真っ直ぐな瞳と目が合った気がした。

「あの、西谷さん。
"旭さん"って誰ですか?」

西谷くんに問い掛ける日向の声に、その場の空気がピシリと凍る。田中が不用意にその名を出すなと、某魔法学校の敵のあの人みたいな事を言っていたけど、西谷くんは意に介さない様子で日向に向き直った。

「……烏野のエースだ。一応な」

いつもより少し低めの声で答えた彼に、日向は目を輝かせる。西谷くんの紡いだ最後の一言がちょっとだけ刺々しく感じて、なんだか自分のことのように胸に刺さった。

「おれ、エースになりたいんです……!」

瞳の輝きをそのままに日向は言う。聞けば、何年か前の春高で見た"小さな巨人"に憧れて烏野に来たらしい。

「その身長でエース?
いいなお前!だよな!カッコイイからやりたいんだよな!いいぞいいぞ、なれなれ、エースなれ!」

今のエースより断然頼もしいじゃねーか!そう続けながら、西谷くんは日向の肩をバシバシ叩く。エーススパイカーに比べたら、セッターやリベロはパッと見地味だと彼は笑う。視界の隅で、その言葉に少しムッとした影山を、スガが宥めていた。

「けどよ、会場が一番"ワッ"と盛り上がるのは、どんなすげえスパイクより、スーパーレシーブが出た時だぜ」

──高さ勝負のバレーボールで、リベロは小っちぇえ選手が生き残る唯一のポジションなのかもしれねえ。けど、俺はこの身長だからリベロやってるワケじゃねえ。
たとえ身長が2メートルあったって、俺はリベロをやる。
スパイクが打てなくても、ブロックができなくても、ボールが床に落ちさえしなければ、バレーボールは負けない。

「そんでそれが一番できるのは、リベロだ」

誇らしげに胸を張る西谷くんの言葉に、目元に熱が集まるのを感じる。
よく、わかる。よく、知っている。湧いた会場も、耳を刺すような歓声も、そしてその、誇らしさも。

所詮過去の栄光であるけれど、いつか。
いつか、きっと。
唇をぎゅっと引き結んで、ただ、烏野の小さな守護神を見つめていた。




体育館の戸締りを終えて、私は例の如く校門の前で繋ちゃんのことを待っている。町内会チームの練習に混ぜてもらうためだ。

イヤホンから流れてくる曲に乗って鼻歌混じりに、塀にもたれ掛かっていると遠慮がちに袖を引かれる。え、聞かれてたら恥ずかしい、うるさかったかな、と閉じていた瞼を上げれば予想外の人物がそこにいた。

「にし、のやくん」

部員達の背を見送ってからずいぶん時間が経っている。どうしてここに。固まりかけた指先をどうにか動かして、イヤホンを外す。真っ直ぐに射抜いてくる瞳をどうしても見られなくて、俯いたまま彼が言葉を紡ぐのを待った。

「急にすみません」

「う、ううん、大丈夫、どうしたの?」

「俺のこと避けてますよね?」

この人は、何もかもが真っ直ぐだ。どきりと跳ねた心臓を押さえ付けて顔を上げる。かち合った視線に逃げたくなる思考を、彼の瞳に縫い留められた。

「避けてる、わけじゃ」

西谷くんは、私と旭さんの関係を知っているわけじゃない。今日初対面の女のことなんて、知っているはずがない。そう思うのに、心の奥まで見透かされていそうで怖かった。

「俺、名字さんの気持ち分かってあげられないから、どう言ったらいいか分かんねえし、傷つけちまうかもしれないです」

「え、?」

「日向が小さな巨人に憧れてたみたいに、俺にも憧れてる人がいます」

まさか、と自分の目が見開かれていくのがわかる。私はもしかして、とんだ勘違いをしていたのかもしれない。続く言葉に思い知るのだ、旭さんを間に挟んで彼を見ていたのは私だけだったのだと。

「あなたです」

息が、詰まる。

「強烈なサーブも、スパイクも、ブロックされたボールだって落とさない。リベロとして、ずっと憧れてきました」

「私はそんなすごい人間じゃないよ」

当たり前の話だが、全てのボールを落とさずに繋げる人間なんかいない。やれることは全部やった。吸収できることは全てした。そうして、人より少しだけ拾えるようになっただけだ。
西谷くんのような真っ直ぐで眩しい人の憧れだなんて、烏滸がましいと思った。

「去年のインターハイも、観ました。名字さんがここにいる理由も、分かってるつもりです」

「なら、どうして……」

「すみません。俺が言うのは自分勝手でただの我儘だって分かってます。でも、」

──力を貸してください。

これ以上ないくらい真っ直ぐで、私にとっては酷く鋭い凶器のようだった。

「もう、私は戦えないから、力になんてなれないよ」

「そんなことないです!名字さんが全部諦めてしまったなら、俺だってこんなことは言いません!
まだ戦っているから、腕だってこんなに痣だらけなんじゃないんですか!?」

「違うよ、バレーボールに触ってるだけじゃ意味なんてないんだよ。コートに立てなきゃ、意味なんか──」

「コートに立てるように戦うことの何がいけないんですか」

私の言葉を遮るようにして、西谷くんは吠える。
次いで握られた手が、灼けるように熱かった。

「歩けるようになるかも分かんねえって、当時のニュースで見ました。
でも、俺には想像もできねえくらいしんどい思いして、リハビリして。今じゃ走れるようにまでなってたじゃないっスか!
アンタが心のどっかで諦めたら、出来ることも出来ねえよ!」

「あきらめてなんか、」

ない、とは言い切れない自分がいた。お父さんにまたバレーがしたいと言ったって、繋ちゃんに練習に混ぜてもらうことになったって、心のどこかにもう死んでしまった私がいるのだ。
どうせどう頑張ったってフルセット戦い抜くことは出来ないって。どこに行ったって誰かの足を引っ張り続けるんだって。何をやっても無駄だって、何もかもを放り出してしまった私が。

だって、希望を翳らずに持ち続けるのは辛いから。心のどこかで諦めてしまっていれば、ダメだった時にやっぱりねって笑えるから。

「どこまでいったってバレーが好きでしょうがないんだから、逃げ道なんか作らなくていいんすよ」

西谷くんの笑顔を初めて見た。そしてその笑みに、今までくよくよしてたのが馬鹿みたいに心が軽くなった気がした。

「そう、かもしれないね」

「生意気言ってすみませんでした!
でも俺、もっと強くなりたいんです、名字さんみたいに」

身体中青痣だらけにして、強くなろうともがいている彼に、私が出来ることなんてきっとそんなにないと思う。けれどこんな私に、真っ直ぐな彼が頼ってくれるのなら、応えたいと、思った。



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