例えば、叶うことがなくても


"名字整形外科"と看板が掲げられた白い建物の脇を、繋ちゃんに肩を借りながら通り抜ける。建物と同じように白く磨かれた石が敷き詰められたそこは、杖を支えにして歩くには些か安定性に欠けていた。

両親が開院したこの病院は、他の町医者や診療所に比べると大分規模が大きい。多分、県内一リハビリテーションに力を入れている。県外から何人もの先生を引き抜くだけはあって、素人目から見ても設備もかなり充実していた。

これは私が東京から宮城に戻ってきた理由の一つでもある。我が両親ながら技術もピカイチだと思うし、何より私のことを誰よりも理解しているのだ。身体を預けることにおいて、こんなにも心強いことはない。

「ただいまー」

病院の裏手に建つ一軒家。高校入学の時に家を出た頃の面影があまりないくらい、手が加えられている。

玄関まで続いていたお父さん自慢の石畳の階段は、コンクリートで埋められて段差のない緩やかなスロープになっていたし、部屋と部屋を繋ぐ全ての導線には手すりが付けられているし、一番驚いたのは家の中にエレベーターが設置されたことだった。

全部全部、私の為だって言われなくても分かる。あの日、いの一番に見舞いに駆け付けててくれたお父さんが選手復帰は絶望的だと告げられていた私に、必ずまたバレーが出来るようにしてやるから、と真っ直ぐに言ってくれた言葉が気休めなんかじゃないんだって、帰ってきて実感して思わず泣いてしまったことは記憶に新しい。

それでも、中々戻ってくる決心がつかなかったのは、東京よりもきらきらした思い出がこっちに多かったからで。それこそ旭さんの事がなかったらまだ帰ってきてなかったかもしれないなと少しだけ自嘲が漏れる。

「おかえり」

出迎えてくれたお母さんはまだ白衣に身を包んだままだった。車の中でそろそろ着くと連絡を入れたから、抜け出してきてくれたのかもしれない。

「お父さんもう少し掛かりそうだから待たせちゃうけど、繋心くんご飯食べてくでしょ?」

お母さんの声に繋ちゃんは頷きを返して、リビングへと向かう。何というかもう自分家みたいな感じで、慣れたものである。

私はといえば、例の如く新設された簡易診察室みたいな部屋にお母さんと共に入り、促されるままベッドに腰掛けた。

慣れた手つきでテーピングを巻き取る母の、患部に触れる指先は柔らかい。軽い触診だけで程度が分かるらしいそれは、近所では神の手と評判である。

「無茶する前にテーピング巻き直さなかったでしょ」

呆れたように紡がれた母の声に頷きを返す。膝に巻かれた茶色いテープを優しく剥がされたそこには、未だに色濃く残る手術の痕。

「今度からは、きちんと巻き直しなさいよ。それだけでも大分変わるんだからね」

はあい、と間延びした返事をすると鋭く睨まれる。思わず目を逸らすと、帰ってきたらしい父親と目が合う。

その姿を確認したお母さんは、ゆっくりと立ち上がり繋ちゃんが居るであろうリビングへと消えて行った。

「何をやった?」

「……対戦校に、凄いサーブ打つ奴がいて、それを受けました」

私の声にそうか、とだけ返した父はそれから口を開くことなく、慣れた手つきで施術をしていく。軽く圧を掛けながら膝を伸ばしたり折ったりを繰り返されて行く内に、段々と左足に感覚が戻ってくる。

「お父さん」

一体どれだけの時間が流れただろうか。かなりの長い間私の膝に触れていた両の手をぼんやり見つめていれば、自分でも無意識のうちに声が漏れる。

「もう一度、バレーがしたい」

──東京では、もう選手生命は絶望的だと言われた。手術をして、リハビリをしても、自分の身体だというのに思うように操れなかった。日に日に細くなっていく左足に、全てを諦めるようになっていったのだ。

たが、両親は違った。必ず治してやるからと、そう言った二人の瞳はいつだって真っ直ぐで。

でも、その手を取るのに、かなりの時間が掛かった。

同じ医者なのに、何が違うのか?戻ったところで、やっぱり駄目だったら?
何よりも、戻って来てしまえば、旭さんがいる。彼には、彼にだけは、こんな情けない姿を晒したくなかった。

それでも戻ってきたのは、彼がバレーから離れて同じように苦しんでいるのを知ったからだ。私なら、その苦しみを分かち合うことが出来る。本当にバレーが嫌いになってしまったのなら、あんなに苦しむことはない。
旭さんには、バレーを辞めて欲しくなかった。どんな形でも、力になりたかったんだ。

顔を上げて、漸くかち合った瞳は、真っ直ぐに私を見据えていた。

「当たり前だ。その為に俺はここにいる」

そう言って笑う父は、何よりも頼もしくて。自然と涙が出た。

もう一度、バレーがしたい。叶うなら、彼と肩を並べて。



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