白線の向こう側


先生に教えてもらった道順の通りに歩を進めれば、ものの数分で目的の場所へ辿り着いた。明日から通う学校の、第二体育館。

バレーシューズが床を鳴らす甲高い音と、張り上げられた声。 体育館に広がる汗と制汗剤の臭い。スパイカーに叩き付けられたボールの振動が、体の芯まで伝わってくるような臨場感。その全てが懐かしくて思わず頬が緩む。

「誰かに用?一年生かな?迷子?」

暫く練習の様子をぼうっと眺めていれば、柔らかい声に意識を引き戻される。目線よりも少し上にある穏やかな笑みに、ああきっとこの人がキャプテンなんだろうなと何となく思った。雰囲気が、あの人から聞いていたものとぴったり合う。

「明日からここに通うことになって、バレーに興味あって見学に来たんですけど……」

私はその笑顔に当たり障りのない答えを返した。明日からこの烏野高等学校に通うのは事実だし、バレーに興味があるっていうのも嘘ではない。ただ少し、己のことを語るまいとしただけで。

「そしたら女バレに案内するよ」

「あ!あの、マネ希望なので、男子バレー見たいんですけど駄目ですか?」

早くも動き出そうとする彼の背を呼び止めて私は遠慮がちに呟く。彼は一度面食らったように目を見開いて、それからすぐに笑んだ。

「マネージャーか!大歓迎だよ!
俺は主将の澤村大地。練習終わったら一人ずつ紹介するから取り敢えず見学しててもらえるかな?」

「はーい」

適当な壁に凭れるようにしてコートを眺める。ぐるりと見渡せば一人、サーブもレシーブもぐずぐすな人物に目がいった。きっと新入生だろう。タッパはないが、運動神経やバネなんかはピカイチだ。……ちょっと空回りしてるけど。

それにしてもよく動くなーと感心していれば、目にも留まらぬ速さの速攻が決まる。ブロックを躱すようにして打ち抜かれたスパイクに酷く惹かれた。

それからずっと食い入るように彼を目で追っていれば、美人なお姉さんを連れて戻ってきた澤村さんに盛大に笑われる。

「笑いすぎです」

「ごめんごめん、あまりに真剣に見てるからさ」

澤村さんに短く非難の言葉を吐きながら隣の美女に意識を移す。この人は確か、マネージャーの清水さんだ。話に聞いていた通り本当に綺麗な人だと思う。それになんていうか色気がすごい。分けて欲しいくらいに。

それから軽く自己紹介をして再びコートへ向き直る。皆試合に集中していて、こちらに気づいた様子は全くなかった。

「何なら少し打ってみるか?」

余程見入っていたらしい。唐突に鼓膜を揺らした声に振り向けば、いたずらっぽく笑う澤村さんと目が合う。

コートに立つのは約1年振りだ。足の調子を確認するために軽くその場で飛んでみる。

うん、大丈夫。

日課であるランニングの為にテーピングは済んでいるし、一本くらいなら耐えられるだろう。私はその言葉に甘えて、二つ返事で頷いた。

「ネット高いかもしれないけど、サーブやってみる?」

澤村さんの提案に、私は首を横に振る。

「スパイクやりたいです」

きっと、あのよく動く明るい髪をした男の子に感化されたのだと思う。それに折角彼が練習に打ち込んでいたコートにいるのだ。飛べる自信はそんなにないけれど、考えるよりも先に言葉が出た。

澤村さんは軽く面食らった後、私の肩を叩く。それから、やってみろ、と柔らかく笑んだ。


試合終了と共に、澤村さんが声を張り上げる。集まってきた部員たちと自己紹介を済ませて、早速コートに立つ。

──ああ、空気が違う。

白線の内側はピリッと空気が張ったような緊張感でいっぱいだった。コートに立った瞬間のこの感じが大好きだったんだと、久し振りの感覚に浸る。

私が打ちたいと言った一本の為に3対3の形式を取ってもらえることになった。私のチームにはセッターの菅原さんの他に、澤村さんが入ってくれている。
相手チームは例の男の子と、彼の速攻に合わせてトスを上げる天才的な一年生セッター、それから先程の自己紹介の時に噛み噛みだった坊主頭の田中くんだ。

大きく息を吸ってネットを見上げれば慣れ親しんだものよりもずっと高いそれ。たかが20センチでこんなにも違うのだと改めて思い知る。

「肩の力抜いて気楽にいくべー」

菅原さんの声と同時に、試合開始の笛が鳴った。



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