この指はもう、震えない


思っていた以上にゲームを可視化するのに神経を使う。でも選手を見る目も紙の上を滑るペン先も、置いていかれているわけじゃない。私が烏野をきちんと観るのはこれが初めて。何もかもが未知だ。
緊張が解け、元気の戻ってきた日向のテンポに、離されないよう食らいついていく。

──ピーッ

第2セットが始まる。

縁下が放ったサーブを青城側が綺麗に上げ、7番がスパイクを打つ。返ってきたボールを月島くんが上げるが、そのレシーブは乱れる。
カバーには影山が回り、ネット前に日向が飛び出す。エンジンはいい具合に掛かっているみたいだ。

矢のようなトスは日向の手に当たることなく、その上を通過する。影山以外は、頭の上に疑問符が浮かんでいるように見えた。

「ねえ、潔子。もしかして、日向ってトス見てないの?」

カバーし切れない高さでは無かったはずだ。日向が自らの手を見ながら首を傾げているところを見ると、上がってきたトスを確認しているようには見えなかった。

「うん。飛んできた日向に、影山が完全に合わせてトスを上げてるから、日向は目瞑ってる」

「まじか!?」

とんでもない技術だ。目を開けていない、ボールを確認すらしていないスパイカーに合わせてトスを上げるなんて。今まで見てきた練習の中であまりに自然に打っていたから、まさか目を閉じているだなんて考えもしなかった。

ホイッスルの音に我に返る。余計なことを考えている暇なんてないのだ。右手のペンを握り直し、コートに視線を戻した。
途端、今度は綺麗に例の速攻が決まる。
目にも止まらぬ早さの速攻に、観客が湧いた。

烏野コートでは円陣が組まれ、点を返した喜びを選手皆で分かち合っている。

「ち、チームっぽい……!」

「あ゛ぁん?
"ぽい"じゃなくて、チームだろうが」

円陣に興奮の色を隠せていない日向に、さも当然のように田中が口を開く。
普通ならば照れてしまうような言葉も、田中はいとも簡単に紡ぐ。羨ましいくらいの真っ直ぐさに目を細めた。

「日向が動き出したところで──反撃、行きましょう」

影山の声に、私も短く息を吐いて集中を高める。居場所は、自ら作り出さなければならないのだから。

それからのゲームは、まさに一進一退といった感じで進んでいった。日向影山の速攻は気持ちいいように決まるし、その速攻を警戒した青城側は日向をマークし続け、囮によって自由になった田中がフリーで振り切る。
しかし、こちらもレシーブやサーブ、ブロックのミスが目立ち、対する青城は丁寧に点を積み重ねていた。

烏野が16点台に乗ったところで、青城がタイムアウトを取る。張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。

第2セット中盤まで書き込み続けたノートのページ数は、かなりのものになっている。ペラペラと捲りながら流し見をしていれば、大地から声が掛かった。

「ここまでで、何か思ったことあるか?」

その言葉に、選手達が皆こちらを見る。言いたいことは山ほどあるが、今言えることは一つだけだ。

「技術は、日々の積み重ねで磨き上げていくものだから、取り敢えず、カバーかな。
1球を、1点を、丁寧に繋げば、勝てると思うよ」

──ピーッ

タイムアウト終了のホイッスルが鳴る。選手達の背を、少しでも押せていたらいいなと思った。

「1年生、もしかしなくても仲悪い?」

先程から、影山、月島くん、日向の口論が目立つ。その度に大地や田中から怒号が飛ぶ。同じコートに立つチームとしては、あまり褒められたことではない。
私が言葉を投げたスガからは、苦笑いだけが返ってきた。

──ピピーッ

第2セット終了の笛の音。このセットを取ったのは烏野だ。安堵から思わず短く息を吐いた。

「……青城(むこう)に、影山みたいなサーブ打つ奴居なくて助かったな……」

「……ああ、ウチはお世辞にもレシーブ良いとは言えないからな……」

スガと大地の言葉に、神妙な面持ちの影山が歩を進める。油断だめです、と彼にしては珍しく弱気な台詞だった。

「多分、ですけど……向こうのセッター、正セッターじゃないです」

影山が言い切るのと当時に、第3セット開始のホイッスルが鳴る。それから少しの間を置いて、体育館が黄色い歓声に包まれた。

「キャー!及川さ〜〜〜ん!!」

ギャラリー(女子)の視線の先、及川と呼ばれたその男は、歓声に笑顔で応えている。

「影山くんあの優男誰ですかボクとても不愉快です」

その及川を睨みながら、早口で田中が唸った。どこかで聞いたことがある名だと、思考を巡らせる。誰に聞いたんだったか。確か1年の時、アイツは俺のところに来るべきだったとか言って散々語られた気がする。

「"及川さん"……超攻撃的セッターで、攻撃もチームでトップクラスだと思います。
……あと、凄く性格が……悪い」

月島以上かも、と続けられた言葉に、月島くんが眉根を寄せる。仲良くしなさいホントにもう。

「俺、サーブとブロックはあの人見て覚えました。
実力は相当です」

影山の中学の先輩で、アイツが切望したセッター。早く、見てみたいと強く思った。

第3セットが始まり、及川へ飛ぶ黄色い歓声への苛立ちから気合いの入った田中のスパイクは、青城のブロックを弾き飛ばし、相手側のコートへと吸い込まれていく。日向影山の速攻や、影山月島の高いブロックもきちんと機能して、遂に迎えた烏野のマッチポイント。

青城側の選手交代のホイッスルが鳴る。

「……きた」

ピンチサーバーとして投入されたのは、及川だ。再びギャラリーが湧く。ペンを握る指に力が入る。

「いくら攻撃力が高くてもさ、その"攻撃"まで繋げなきゃ意味無いんだよ?」

そう口を開いて及川が指を指したのは、月島くんだった。

笛の音が鳴り、及川は高く上げたボールを思い切り叩く。放たれたボールは、勢いよく月島くんへと向かう。
宣言通りのコントロール、影山のジャンプサーブを超える威力。思わず、喉が鳴った。

月島くんはそのサーブを正面で受けるが、弾かれたボールは観客の居る二階席、キャットウォークの手摺にまで飛んだ。

「うん、やっぱり。
途中見てたけど、6番の君と5番の君、レシーブ苦手でしょ?」

1年生かな?と月島くんと日向に視線を投げながら及川は笑顔で言葉を紡ぐ。凄いセンスだと、声に出ていたらしい。苦い顔をしたスガと目が合った。

一呼吸の後(のち)放たれた2本目。再び狙われた月島くんのレシーブはまたも弾かれた。マッチポイントは烏野が握っているはずなのに、嫌な緊張感が選手達を包んでいるのが伝わってくる。サービスエース2本で、1点差まで詰め寄られたのだ。

「バレーボールはなあ!
ネットの"こっち側"に居る全員!!もれなく"味方"なんだぞ!!」

重い空気を晴らす、日向の一言。まだまだ未熟ながら、完成されつつある"チーム"なのだと強く思った。

「……よし、来い!」

力強い大地の言葉。彼の指示で、烏野の守備位置は少し後ろに重点を置いている。月島くんをサイドラインに寄せ、自身の守備範囲を広げることで穴を狭くするつもりなのだろう。

それでも、及川は丁寧に月島くんを狙ってくる。月島くんの正面へのボール。コントロールを重視したサーブだからだろう、威力は格段に落ちていた。

彼が全身を使って上げたボールは、辛くも青城側のチャンスボールとなる。

「……!」

──卵の殻を破る、雛烏の誕生を垣間見た気分だった。

青城の6番は烏野のブロックを振り切り、フリーで打てる体勢だった。しかしそこにはもう、ボールの軌道を阻む、壁が築かれている。

「ナイスワンタッチ!」

「くそが!!今度は俺が叩き落としてやるよ!!」

青城のスパイカーが、日向へと吼えた。けれど彼はもう、相手を見ていない。

着地と同時に床を蹴り、コートの端から端へと全力で駆ける。誰よりも早く空中に飛び立った日向に追い付けるのは、影山が放つ、矢のようなトスのみ。

2人の速攻は及川の横を抜き、相手のコートに突き刺さった。

──ピピーッ

長かった試合が終わる。勝利の2文字を掴み取ったのは、烏野だった。県の4強に、勝ったのである。

「集合ーーっ!」

戦い抜いた選手たちが、ベンチへと駆け戻ってきた。私も彼らの記録が記されたノートをどこか誇らしく閉じながら、監督である武田先生の講評を待つ。

「えーと、僕はまだバレーボールに関して素人だけど……。
なにか、なにか凄いことが起こってるんだってことは、わかったよ」

──新年度になって、凄い1年生が入ってきて、でも一筋縄ではいかなくて……。
だけど、バラバラだったらなんてことない、1人と1人が出会うことで、化学変化を起こす。
今この瞬間もどこかで、世界を変えるような出会いが生まれていて、
それは、遠い遠い国のどこかかもしれない。
地球の裏側かもしれない。
もしかしたら……東の小さな島国の、北の片田舎の、ごく普通の高校の、ごく普通のバレーボール部かもしれない。
そんな出会いがここで、烏野であったんだと思った。
大袈裟とか、オメデタイとか言われるかもしれない。
でも、信じないよりはずっといい。

「根拠なんかないけど、きっと、これから、君らは強く、強く、なるんだな」

きらきらと少年のような瞳に希望を湛えて、先生は言う。真っ直ぐで、胸の奥に響くような言葉だった。

「ご、ごめんっ!ちょっとポエミーだった!?引いた!?」

「いやいやいや!そんなことないです!」

誰も声を発しない沈黙の中で、顔を真っ赤にした武田先生が口を開く。彼に対して大地がそうフォローを入れれば、部員達から先生への感謝の声が上がる。

照れたように笑う先生の瞳は、何か強い決意みたいなもので満たされているように見えた。



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