それはまるで太陽のような


「田中ー!ズボン水洗いしちゃうから、貸してー!」

翌日放課後、私たちは練習試合の為に青葉城西高校へ訪れていた。道中のバスの中、車酔いした日向が田中のジャージに吐いてしまったので、それを洗うため体育館の水道に向かう。大丈夫かなあ、日向。

パンパンっと水気を払い、辺りを見渡す。少しでも乾かしておきたい。やっぱり2階のキャットウォークのところが無難だろうか。時間もあまりないし、さっさと干してしまおうと備え付けられた梯子に登る。

それにしても大きな体育館だ。流石、県内ベスト4なだけある。青葉城西の選手達は既にアップを始めていて、シューズの摩擦音とボールが叩きつけられる音が体の芯に響く。感化されるように疼く欲を押し殺しながら、潔子の元へと急いだ。

「なあ!マネから1年に気の利いた一言ない!?」

潔子と今後の算段を練っていれば、大地が小声でそう訪ねてくる。視線を上げると、ガチガチに固まった日向の姿が目に入った。スガから「日向トイレ行きすぎてて、やばい!」とは聞いていたけど、予想以上かもしれないなあと呑気に考えていたのも束の間、潔子が彼の肩を叩きながら一言。

「期待してる」

ボンッと顔を紅潮させた日向の肩越しに、瞳から光を失った大地と視線がかち合う。うん、これは割とやばいかもしれない。

「烏野高校対青葉城西高校、練習試合始めます!!」

「「お願いしあーす!!!」」

試合開始のホイッスルが鳴る。日向の心配ばかりしている場合ではない。私には山ほどやらなければならない事があるのだ。

笛の音と同時に、ベンチ横に立てたビデオカメラのスイッチを入れる。映っているのはほぼネット際だけだが、きっとないよりはマシだ。

あとは──徹夜で作り上げた特製のリングノート。1枚に対して2面、ポジションが書き込めるようにした簡易的なコート図。サーブ、レシーブ、スパイク、得点したのは誰なのか、その時の選手夫々の位置。
"1点"を客観的に見やすくする、言わばゲームの縮図。瞬きすれば見逃してしまうような情報まで、全て可視化する。

一瞬でも置いていかれたら終わりだ。食らいつく。コートの外で、誰よりも感覚を研ぎ澄ます。ボールだけを追うのではなく、全体を見渡す、経験者の目。私に出来ることはこれしかない。

と、意気込んだ1球目。サーブは青城の2番から、大地のほぼ真正面に打ち下ろされる。声も出てるし、強打でもない。綺麗にセッターの影山に上がるだろうと、きっと誰もが思っていた。

日向が飛び出してくるまでは。

「!?
バカか!どう見てもおめーの球(ボール)じゃねえだろ!!」

影山が怒鳴り、後方へと飛んでいったボールを縁下がカバーし、辛うじて田中に上がる。青城側のブロックは3枚。田中のスパイクは、3枚の壁にいとも簡単に捕まってしまう。

「の、呑まれてる……」

これは、やばいなんてもんじゃないかもしれない。

2球目以降も日向が我に返ることはなく、荒いミスが続く。堪らずタイムアウトを取るが、あっという間に青城のセットポイント。

向こうのタッチネットでサーブ権は烏野。サーバーは──日向。

サーブ開始のホイッスルに大きく肩を震わせた日向は、その勢いのまま崩れた姿勢でボールを打つ。

「あっ……」

低い軌道を描き勢いよく放たれたボールは、鈍い音を立てて影山の後頭部へと吸い込まれていった。

落ち着かせようと声を掛けた大地が萎縮してしまうくらい、影山は殺気立っている。

「ォハーッ!!ぅオイ後頭部大丈夫か!!!」

「ナイス後頭部!!」

未だ微動だにしない影山を、腹を抱えて笑う田中と月島くんが無慈悲に煽り、それをスガと大地が慌てて抑える、が。

ゆらりと動き出した影山は、真っ直ぐに日向に向かって行く。その足取りは恐ろしく静かで、大地さえも動けないでいた。

「………………お前さ」

「ッ…………ハイ」

存外低く響いた影山の声に、日向の表情が見る見る死んでいくのが分かる。普段怒鳴り散らしている人間が、静かに憤慨している様は本当に恐ろしい。だ、大地以上かもしれない。

「一体何にビビってそんなに緊張してんの??
相手がデカイこと……?初めての練習試合だから……?」

静かな問いに、日向は滝のように冷や汗を流す。傍から見ているだけでとんでもなく恐いのに、当の本人の恐怖といったら想像しただけでも背中が震える。

「俺の後頭部にサーブをブチ込む以上に恐いことって──……なに?」

「──……とくにおもいあたりません」

「じゃあもう緊張する理由は無いよなあ!もうやっちまったもんなあ!一番恐いこと!」

自らの後頭部を叩きながら日向に詰め寄る影山があまりに恐すぎて、思わず隣の潔子の手を握った。夏のホラー番組だって、こんなに冷や汗は掻かない。

「それじゃあ、とっとと通常運転に戻れバカヤローッ!!!」

「……アレ?
今のヘマはセーフ!?」

「は!?なんのハナシだ」

影山の返答に豆鉄砲を食らった鳩の様な表情をした日向が、青城側の1年生を睨む。

そういえば、田中が「影山の中学の時のチームメイトが向こうにいるらしいっす」とか言ってたなあ。その子に何か吹き込まれたのだろうか。

「おいコラ日向ァ!!」

その田中が、隅っこで縮こまる日向に声を掛ける。ずんずんと迫る田中が彼の目の前に辿り着く頃には、日向は正座をして小さい身体を更に小さくしていた。

「……オマエ、他の奴みたいに上手にやんなきゃとか思ってんのか。イッチョ前に」

「ちゃ、ちゃんとやんないと……交代、させられるから……。
おれ、最後まで試合、出たいから……」

「オイ、ナメるなよ!!
お前が下手糞なことなんか、わかりきってることだろうが!
わかってて入れてんだろ、大地さんは!」

まさに堂々、といった感じで田中は言い切る。急に自分の名が上がった大地は、その隣にいたスガと共に面食らっていた。

「良いかァ!バレーボールっつうのはなあ!
ネットの"こっち側"に居る全員!もれなく"味方"なんだよ!!
下手糞上等!!迷惑かけろ!!足を引っ張れ!!」

──ああ、眩しいなあ、と思わず目を細める。私もこういう暖かいチームに居たら、少しは違ったんだろうか。

「それを補ってやるための!!
"チーム"であり、"センパイ"だ!!!」

……やっぱり、ほんのちょびっとだけ、羨ましいよ。旭さん。



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