栄光の傷痕


旭さんと昼ご飯を食べ終えた後、駆け足で教室へと戻った私は早々に入部届けを書き上げて提出した。あまりの勢いに若干引き気味だった澤村さんと菅原さんとは、放課後の部室案内の後には砕けた話し方が出来るくらいには距離が縮まったと思う。

同い年なのに名字に"さん"付けはどうなんだという澤村さんの一言に甘え、私は旭さんに倣って大地とスガと呼ばせてもらっている。電話越しでずっと聞いていたそれはしっくりと腹に落ちた。

「ボトルが割れた時とか、足りなくなった時はここにあるから。ビブスはここね」

そして部員達が練習に打ち込む中、私は先輩マネージャーである潔子(女子からの名字呼びは好きじゃないから名前で呼んで欲しいと言われた)に色々と教わっている。選手としての知識はそれなりにあっても、マネージャーの仕事は正直右も左も分からない。自らが練習の合間に手伝っていた作業はその中のほんの一部であったのだと、短い時間でこれでもかと思い知らされた。

「名字先輩」

一通り説明してもらい、潔子と二人して一息ついていたところに、休憩に入ったらしい影山くんから声が掛かる。彼とは自己紹介の際に一度目が合った程度で話したことなどない。存外に響いた彼の声に、体育館に居る全員の視線が集まるのを感じた。

「何で、マネージャーなんすか」

「ち、直球だね。何、気に入らない?」

ギロリと睨まれたような気がして、無意識に背筋が伸びる。正直、私は人の怒気を孕んだ瞳がとても苦手だ。だから、語尾が少し刺々しいものになってしまったことには多少目を瞑って欲しい。

「女の人で、あの高さのトスを打てる人は中々いないです。なのにプレイヤーじゃないなんて勿体無いっす」

真っ直ぐな瞳に思わず苦笑いが漏れた。こう裏のない感じで褒められると、慣れてないことも相まって酷くむず痒い気持ちになる。

痛いくらいの沈黙に包まれる体育館では、誰もが私の言葉を一語一句逃すまいとしているような息苦しさまで存在した。ここに居る皆が影山くんと同じ疑問を抱いているような、そういう感じ。

「んー……。私元々スパイカーじゃないし、あんなに飛べたのは本当にマグレだからさ!」

私よりもずっと高い位置にある双眼を見つめ返す。かち合った瞳は、まるで信じられないものを見るかのように揺れていた。

「それに私のアレはオリジナルじゃなくて真似っこだし、」

次の言葉を探して口を開いたり閉じたりしている影山くんよりも先に言葉を紡ぐ。視界の隅で大地の眉がピクリと動いた。

「本物は、私の百倍かっこいいよ!」

にっこりと笑みを向ければ見開かれた目が返ってくる。影山くんが短く息を吸い込んだと同時に大地が休憩の終了を告げた。

影山くんは歯切れ悪く唸った後、結局言葉にはならなかったそれを飲み込んでコートの中へと戻っていく。

「そういえば、明日練習試合だから」

「え!?どこと!?」

彼の背を追っていた視線を慌てて引き戻して潔子に焦点を合わせる。さらりと落とされた爆弾には流石に瞠目せざるを得なかった。

「青葉城西。
大丈夫、いきなり難しい仕事は任せないし、隣で見て覚えてくれればいいから」

余程酷い顔をしていたらしい。からかうように放たれた言葉に胸をなでおろす。とてもじゃないが、彼女の仕事を減らすようなことは出来そうもない。寧ろ足を引っ張る未来しか見えなかった。

「青葉城西ってどんなとこ?強いの?」

「県内ベスト4。強敵だよ」

私の問いに答えたのは潔子ではなく大地だ。彼の瞳には確かな闘志が燃えていて、先程まで抱えていた不安だとかが一気に溶かされていくような気がした。

「一先ず明日のマネの仕事は全部清水に任せて、名字は試合を見てて欲しい。そんで、何か思ったこととかあったら言ってくれ」

多分、彼が私に求めているのは潔子のようにマネージャーをこなすことではない。
経験者の目。コートに立ったことのある人間だからこそ気付けること。私の存在意義はそこにあるのだと、彼の瞳が語っている。

「任せといて」

私は私の出来ることをしよう。それでマネージャーとして認めてもらうんだ。潔子をただコピーするだけではなく、ちゃんと自分自身として。

「それと、少し話があるんだ。いいか?」

問いかけているくせに有無を言わせぬ物言い。潔子に一言断ってから彼の背を追う。

体育館の裏手で足を止めた彼の瞳を見て、何となく何を聞かれるのか予想がついた。大地は視線を彷徨わせた後、意を決したように息を吐いて真っ直ぐにこちらに向き直る。

「さっき影山が口にした疑問は、俺の中にもある。出身校とポジションだけでも教えてくれないか?」

こんなにも人の視線が痛いと感じたことがあっただろうか。口を開かなくとも見透かされそうなそれから目を逸らすが、意志の強い彼から逃げる術など持ち合わせているわけもなく。

体育館の壁に背を預け、言葉を探す。床を鳴らすボールの音がやけに遠くに聞こえた。

「東京の、名もない高校だよ。ポジションは──」

「リベロだろ?」

私が全てを言い切る前に、彼の声が鼓膜を揺らす。怒気を孕んだそれは、私の思考回路を焼き切るには十分だった。



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