背番号には縋らない


あっという間に昼休みになり、旭さんに指定された場所へと向かう。送られてきたラインには道順まで事細かに書いてあって思わず笑みが漏れる。

澤村さんはバレー部の話を一切することなく授業中に教科書を見せてくれて、その気遣いが有り難くも申し訳なかった。私が設問を解くのに苦戦していれば、それとなく解き方を教えてくれて優しい人だという印象が強まる。怒ったら怖いけど。

中庭に着いて辺りを見渡せば目当ての人は直ぐに見つかった。日のよく当たるベンチで猫背気味に身体を縮める旭さんの隣に腰掛け自らの弁当の風呂敷を解く。

どちらとも口を開くことはなく、私たちには珍しい気まずい沈黙が流れる。今更気を遣うのもアレだし、前置きも何もなく私は言葉を紡いだ。

「昨日、バレー部見てきたよ」

びくりと肩を揺らした旭さんはやっぱり来たかとそんな表情をしていた。あからさまに言葉を詰まらせて目を泳がせる彼に構わず私は続ける。

「いい人たちばっかだった」

「……うん。俺にはもったいないくらいのチームメイトなんだ」

「誰もそんなこと言ってない」

ばしんっと乾いた音が立つくらい思い切り肩を叩けば、短い悲鳴が返ってきた。取り落としかけた菓子パンを既のところで受け止めた彼がほっとしたような表情をした後、困ったようにその顔を歪める。

「マネージャー、やらないかって」

本当は自分で言い出したことだけど、何となく言いにくくてそう口にした。責任押し付けてごめん、澤村センパイ。

旭さんは分かりやすく固まった後に言葉にならない声をひとしきり上げて無理矢理笑う。

「い、いいんじゃない。うん、やってみたら」

きっとそんなこと微塵も思ってない。やらなければいいとまでは思っていないとは思うけど、その言葉が嘘であることは容易に分かる。伊達に幼馴染みやってないし。それでなくても、この人は嘘を吐くのがへたくそだ。

「うそつき」

「う、嘘じゃないよ……」

慌てて口を開く旭さんを思い切り睨めば、しゅんとして肩を落とす。それがまたでかい図体に似合わなくて少しだけ笑いが漏れた。

きっと、私がマネージャーをやることに彼がいい思いを抱かないのは、私のことをよく知っているからで。私が誰よりもバレーが好きで、やりたいのを知っているからで。伊達に幼馴染みやってないのはお互い様だなって思う。

「でも私、バレーをコートの外から見てるなんて耐えられないし、ぶっちゃけ言えば選手が羨ましくて死ぬ自信ある」

お母さん特製の玉子焼きを頬張る。久し振りに食べためちゃくちゃ甘いそれは、東京にいた頃何回作っても出せなかった味で。そんな事を思いながら見上げた空は眩しいくらい真っ青で、ついでに視界に入った旭さんからは苦笑いが振ってきた。

「でも、バレーから離れんのはもっと無理」

言葉にすれば、それはストンと腹に落ちてじわじわと広がっていく。悩んでいるのが馬鹿みたいに思えるくらい簡単なことだった。

善は急げ!と澤村さんのところへ行こうと思い立ち、すくっと立ち上がる。けれど、旭さんの顔を見て立ち去ることも出来ず、座り直した。

「別に、旭さんにバレーやれなんて言うつもりないよ」

私が空になった弁当箱を行儀悪く箸で鳴らしながらそう言えば、驚きに見開かれた目が返ってくる。なんだ、私はそんなに人の心の中を土足で踏み荒らすように見えるのか。全くもって心外である。

「弱音も泣き言も何だって聞くし、何から逃げたって絶対に責めない。
だから、旭さんが後悔しない方を選びなよ。私も、そうするから」

自分が出来る精一杯の笑みを向ければ、少しの間の後短くうんと返ってきた。私はそれによろしい、と出来るだけ偉そうに答えてどちらからともなく笑い合う。

「俺、名前にバレーやるのが怖いって言ったら絶対殴られると思ってた。贅沢言ってんじゃないって」

ひとしきり笑って二人を包む沈黙が心地好いものに変わった頃、旭さんが口を開いた。

実を言えば、殴ってやろうと思ったこともある。仲間思いなチームメイトに囲まれて、エースと頼りにされて。ずっと試合に出続けられる四肢があって。羨ましい悩みだと、思ったことが確かにあった。

「私、楽しんでバレーやってる旭さんが好きだから」

そんな嫉妬にも似た羨望を消し去ったのはずっと幼い頃の思い出。旭さんに誘われて私がバレーボールに初めて触った日。心底楽しそうに目を輝かせてボールに触れる彼を見て私はバレーボールが好きになった。

「でも、やりたくなったらいつでも戻っておいでね。選手として同じように肩を並べることはもう出来ないけど、マネージャーとして支えることは出来るから」

コートの中から手を引くことは叶わなくても、白線の外からその背を押すことは出来る。彼にまた飛んで欲しいと願うのは、私だって同じだ。私がこの世界に飛び込むきっかけをくれた人だから。

もう一度うんと呟いた彼の胸が少しでも軽くなっていればいいなと願う。左足は、もう痛まなかった。



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