リシーハットにくちづけ


【12月 24日 午前 9時38分 綾里千尋 自宅】

右手に提げた紙袋を落とさないように気を付けながら、名前はいつもより早く脈打つ心臓のあたりをそっと撫でる。ふう、と息を吐いてからインターホンを押せば、ピンポーンと無機質な音が辺りに響く。それから間も無くドタバタと騒がしい足音が耳に届いた。

「名前ちゃん!おはよう!」

そう満面の笑みで彼女を迎えたのは千尋の妹である真宵だ。名前は彼女に手を引かれるままに家内へと入る。その際に口にした「お邪魔します」の声は緊張からか、微かに震えていた。

何故ならば今日はクリスマス・イヴであったからだ。家族や恋人同士がプレゼントを贈り合ったり、少年少女達が赤服のお爺さんに夢を馳せるクリスマスである。世間は色とりどりの装飾と共に、賑わっていた。

そして名前達三人も例に漏れず、プレゼント交換をすることになっていたのである。提案したのは真宵で、企画したのは千尋だった。人への贈り物を考えるのが苦手である名前が渋ったところで、ノリノリな姉妹に言葉など届きはしない。

彼女はガックリと肩を落として、しぶしぶと大型ショッピングモールと雑貨屋を三件梯子した。自分のセンスが正常であるか、名前は不安なのである。

「名前ちゃん、早速で悪いんだけどいつものお願いしてもいい?」

「は、はい!」

手元の資料を難しい顔で睨んでいた千尋に促されて、名前はキッチンへと向かう。先程よりもどくどくと煩い心臓を無視して彼女は紙袋から小包を四つ、取り出した。

水道水を入れたケトルを火にかけて、息を吐く。それからペリペリと丁寧に小包の梱包を剥がして姿を表したそれを音を立てないように並べた。

透き通るように真白い磁器に淡い桃色が映える──ティーカップ。それが、彼女からの二人へのクリスマスプレゼントだった。

どうやらここまでの道のりで、割れたり傷ついたりはしていないようだ。名前はほっと息を吐きながらもう一つの小包に手を伸ばす。

銀色の缶を開ければ、ふんわりとした甘い果実の香りが鼻を抜ける。名前は思わず笑みが漏れた口元を引き締めた。

電気ケトルのお湯で温めておいたポットに茶葉を入れ、沸騰直後のお湯を勢い良く注ぐ。それから直ぐに蓋をして、同じように温めておいたティーカップと共にお盆に乗せ、ソファーに腰掛ける二人の元へと向かう。

「……私からのクリスマスプレゼントです」

甘い紅茶の香りのお陰か、もう声は震えていなかった。名前の言葉に顔を上げた真宵が歓声を上げる。

「可愛いー!お姉ちゃん、ほら見て!」

相変わらず紙束を睨んでいた眼光が、すう、と和らぐ。千尋も真宵と同じように嬉しそうな笑みを浮かべた。

「ありがとう、名前ちゃん」

「どういたしまして、です」

名前はやっと胸を撫でおろすと、蒸らし切ったポットの中をスプーンで軽く揺らす。そして真白いティーカップに芳醇な香りをたたえる紅茶を注ぎ淹れた。

「あれ?今日は蜂蜜とミルク淹れないの?」

必ずと言っていいほど真宵と名前の紅茶にはその二つが加えられる。いつもは有るそれが見当たらず、真宵は首を傾げた。

「今日はそのまま飲んでみて」

名前に促されるまま、千尋と真宵はほぼ同時に紅茶に口をつける。先に声を上げたのは真宵だった。

「美味しい!お砂糖が入ってるみたいだよ!」

彼女が淹れる紅茶に渋みを感じたことは一度もなかったが、ストレートでここまで甘いのは初めてだと千尋も真宵の言葉に同意する。名前は照れたように微笑んで、喜んでもらえてよかったですと答えた。

「それより千尋さん、難しい顔して何を見てるんですか?」

名前の問いに、千尋は手元の資料を彼女に手渡す。どうやら不動産関係のもののようである。

「千尋さん引越しするんですか?」

千尋は彼女の言葉に、首を横に振った。よくよく手渡された紙束を読んでみれば確かにオフィスビルばかりが並んでいて、引越しには適さないようだと名前は思う。

「星影先生のところから、そろそろ自立しようかなって思ってるのよ」

困ったように笑いながら千尋が口を開く。曰く、数ある中から候補を絞ったもののどれも捨て難くて悩んでいるという。

「じゃあ、ケーキ買いがてら三人で見に行こうよ!!」

さあ早く、と言わんばかりの真宵の勢いに押され三人は法律事務所の候補物件へ足を運ぶことになった。



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