I can't breathe.


【同日 午後 8時32分 綾里千尋 自宅】

千尋の事務所探しは真宵の気に入った物件に名前が賛成する形であっさりと決定した。板東ホテルに面した雑居ビルの二階。ホテルが目印になり、依頼人が迷う心配がないという理由から真宵が推薦したものである。

実際は昼食を取るために立ち寄った近所の味噌ラーメン屋を彼女が気に入った為であり、立地に関しては名前が考えた後付けのものだったが。

「美味しかったー!」

真宵が満面の笑みで零した言葉に名前が頷きを返す。三人で作ったクリスマスディナーは所々焦げていたりして見た目は決して美しいものではなかったが、味は格別だった。皿を片し、千尋と共にケーキの用意をしていれば真宵から声が掛かる。

「名前ちゃん、目瞑って!」

真宵と向き合うように腰掛けた名前は、彼女に言われるがままその瞳を閉じた。紙が擦れるような音が響いた後、彼女の首筋を冷たい感触が包む。

「目、開けていいよ」

名前がゆっくりと瞼を上げれば、真宵が満面の笑みで鏡をこちらに向けている。それに映る己をまじまじと見れば、首筋がキラリと光った。華奢なチェーンの先にローズクオーツに似た薄桃色の勾玉が付いたそれが光の正体であると理解した上で彼女は首を傾げる。

「これは……?」

「あたしからのクリスマスプレゼントだよ!それ倉院の里の勾玉なの。お姉ちゃんと一緒に力を込めたから、きっと名前ちゃんの助けになってくれると思う!」

倉院の里──千尋と真宵の故郷であるそこは、倉院流霊媒師の総本山であった。千尋は弁護士になる為に山を降りたし、真宵は修行中であった為直接霊媒中を見たことはなかったが、彼女達が本物であることを名前はよく知っている。

二人の母親であり倉院流家元である綾里舞子の話は幾度となく聞いていたし、何より彼女が13年前に関わった事件について調べている千尋の手伝いもよくしていた。

そんな彼女達の力が籠った勾玉。心強くないわけがない。名前は二人に礼を述べ、笑みを零した。

「私からは、これ」

いつの間に側にいたらしい千尋が丁寧に梱包された紙包みを彼女に手渡す。名前はそれをおずおずと受け取り、包みを破いてしまわぬように慎重に開封する。

要所要所に貼られたセロハンテープに苦戦する彼女を見て千尋は微笑えみを浮かべる。梱包紙まで真剣に選んだ甲斐があるというものだ。

暫くして姿を現した箱に名前は目を見開く。パッケージにでかでかと映し出されているそれを見紛う筈もない。手に取るのは初めてであるが、幾度となく目にしてきている。シルバーのフォルムに茶色の革が当てられ、真ん中には円状の大きなでっぱり。

どこからどう見てもカメラだった。

箱から本体を恐る恐る取り出してまじまじと見つめる。いくらか挙動不審な名前に千尋と真宵ほぼ同時に吹き出した。

「それねインスタントカメラって言うのだけれど、何と!撮った写真が直ぐに現像されるのよ。便利でしょう?」

千尋の言葉に名前は大きく頷く。 彼女は暫くの間思考を巡らせ逡巡する。泳ぐ視線を落ち着かせるように大きく息を吐いて、千尋を真っ直ぐに見つめた。

「あ、あの、写真撮りませんか……?その、三人で」

段々と、か細くなっていく名前の声に二人は顔を見合わせて笑む。そして二人同時に口を開いた。

「もちろん!」


「それで、そんな上機嫌なんだな」

「そうなんです!カメラなんて使ったことなくてブレブレの写真もたくさんありますけど……」

あの後散々写真を撮り、クリスマスケーキを三人で食べた名前はタクシーを呼んだ。神乃木の入院している医療センターへ向かう為である。

とは言っても、彼女は車内などの狭い空間に他人と二人きりなどで居るのが苦手な為、小学校からの付き合いで、タクシー会社に勤める須戸 数男(スド カズオ)を呼んだ。日頃病院と自宅を行き来する際に呼ぶタクシーも彼が運転するものだった。

タクシーに乗り込んだ際、彼女がいつもより遥かに上機嫌であったので須戸は名前にその意味を問うた。千尋達にプレゼントしたティーカップを喜んでもらえたこと、法律事務所のオフィス選びの後に美味しい味噌ラーメンを食べたこと、真宵にネックレスを千尋にカメラを貰ったことなどを嬉々として語った彼女に須戸は笑みを零す。

「須戸くんにはこれです」

暫しの雑談の後、名前が思い出したように口を開きカバンから取り出した小綺麗な紙袋を須戸の膝の上に置く。

「中身は?」

「手袋ですよー。古いのはいい加減捨ててください」

彼女が小学生の時に須戸に日頃のお礼を兼ねて渡した手袋を、彼は未だに持ち歩いている。サイズが合わなくなり使えないにも関わらず、須戸は初めて人に貰った物だからと未だに大切にしているのだ。

「考えておくよ」

須戸がそう言葉を発すると同時に、車は医療センターへと到着した。名前は彼に礼を述べると足早に病室へと向かう。

エレベーターを待つ時間すらも惜しく思えて最上階へと階段を駆け上がる。息も絶え絶えに辿り着いた病室の扉へと手を伸ばし、強く握った。

起きているかもしれないという期待と、その逆──不安と焦りを抱えながら扉を開く。

神乃木はいつもと変わりなく幾多の管に繋がれて呼吸を繰り返していた。肩と共に胸を撫で下ろし、名前は彼の側へと寄る。

「メリークリスマス、龍ちゃん」

それから先程三人で撮った写真に想いを込めて、神乃木の枕の下へとそっと忍び込ませた。



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