ランバット2


十分ほどして扉の向こうからガチャリ、と鍵が開く音がした。
次いで、ぎぎぎと夜のしじまを切り裂く音。
開いたドアの向こうに、ぼんやりと月の光を浴びた全裸の紫苑が立っていた。視線が所在なさげに彷徨っている。
おれは寒さで固まってしまった筋肉をほぐすように立ち上がった。
「ありがとう、助かった」
そう言って紫苑に制服を渡した。渡された本人は、驚いたように固まって動かない。
「何してるんだよ、風邪ひきたいのか。はやく服を着ろ」
「あ……うん」
紫苑はくるりとおれに背を向けた。かじかむ手で服をもたもた着ている。おれは、紅い蛇のような痣が這っている身体をぼんやり眺めた。
「ネズミ……気持ち悪くないの?」
着替えながら、おれに質問を投げかける。
「何が?」
わかっているくせに、しらばっくれる。
「ぼくのこと」
「恐い」
「え?」
「恐いかもしれない、あんたが」
偽りなくそう告げると、紫苑はゆっくりこちらを振り返った。その顔は泣きそうに歪められている。
「だ、大丈夫……これが露見しちゃったから、もうここにはいられない。近い内に消えるから……安心して」
「それでさっき転校するって言ってたのか、あんた。おれのこと好きなくせに」
そう指摘すると、面白いくらい頬に朱が走った。
「だ、だって仕方がないじゃないか。ああするしか……ここから出られなかった。だからきみの前で蛇になった……怖がらせてごめん」
「紫苑、おれはそんなこと言って欲しいわけじゃない。転校する必要がどこにある?」
「え?」
「蛇になれることを知っているのは、おれだけだ。おれが黙っていれば事は簡単じゃないか」
「簡単、ってネズミ……」
「なに? 他に知っている人いる?」
「いや……学校にはいない……」
「ならそれでいいだろ。それに学校内に協力者がいる方が、いろいろ都合がいいと思うけど?」
「ネズミに迷惑がかかる……! それにきみ、今恐いって言ったじゃないか」
「恐いさ。人と関わることは恐いことだらけだろ。どうすればあんたがおれに心を開いてくれるのか、どうしたらあんたが逃げないか、どうしたらあんたが傷つかずに済むか、どう触れたらいいか、無理なことを言って嫌われたりしないか、分からないことだらけで恐いことだらけだ」
紫苑はとっくに制服を着終わり、茫然と立ち尽くしている。
「ところで、あんたを抱きしめたら蛇になる?」
おれが微笑んで首をかしげると、紫苑はふるふると首を横に振った。
それを見て、おれは両腕を広げた。
「来い」
そう言うと、紫苑は勢いよくおれの腕の中に飛び込んできた。勢い良すぎて、少し痛かった。

「ネズミ……!」
「なんだよ」
紫苑の背を摩るように、抱きしめてやるとくぐもった声がした。
「ネズミ……恐くてもいいから、ぼくを愛して」
「ずいぶん熱烈な告白だな」
暗闇で目が合った。
紫苑の目の淵には涙が溜まっていて、おれは穏やかに笑っていた。
自然と顔が近づいて、キスをする瞬間思い出した。
「あ」
「え?」
「唇にしたらまた蛇になっちゃうな」
「あ……ぼくも忘れてた」
ふにゃり、と油断した紫苑の鼻の頭にキスをした。
「む!」
紫苑は驚いたように固まった。それをいいことに、顔中にキスしてやった。唇を除いて。
「ぼく……これほどこの呪いが憎いと思ったことはないよ」
「どうした?」
「唇にしてもらいたい!」
ついにおれは声をあげて笑った。



******

「ねぇ、ネズミ。紫苑見なかった?」
中庭のベンチに腰掛けていると、クラス委員の沙布が尋ねて来た。
「いいや?」
「おかしいわね……どこ行ったのかしら。最近、あなたたち仲が良いから絶対ここにいると思ったのに」
おやおや、まあまあ。
「ま、いいわ。じゃあまたね」
沙布はスカートを翻らせて去っていった。
彼女の姿見えなくなるのを確認すると、「おい」と声をかけた。
制服の袖からしゅるり、と蛇が顔を覗かせた。
「ごめん……」
「中庭でいきなり蛇になる奴があるか」
「だって寒くてつい……」
「だからあんた寒いの苦手なのか。すぐ蛇になっちゃうから」
「うん……蛇は変温動物だからね……環境にすぐ影響されるんだ……あぁ……あったかい……」
まん丸の紅い目が眠そうにまどろんでいる。
「おい寝るなよ」
紫苑の制服は鞄の中に隠してある。蛇である紫苑はとっさに、おれの制服の中に隠した。
沙布にばれなくて良かったと安堵したが、紫苑はおれの身体に巻きついて離れない。
「おい、その状態で人間に戻るなよ? 制服が千切れる」
「んー……」
「あんた今までよくそれで、ばれなかったよな」
ぱちり、丸い目が開く。ついでに赤くて細い舌がちろりと顔を出した。
「きみがいて安心してる」
「ああ、そう。油断するなよ」

紫苑について分かったこと。
水を浴びると蛇になること、乾いたら人間に戻ること、お湯だと蛇にならないこと、寒すぎると蛇になること、唇にキスをすると蛇になること、一定時間経過すると人間に戻ること、チェリーケーキが好きなこと、ココアが好きなこと、おれのことが好きなこと。
だいたいこれくらいだ。



紫苑と一緒にこの変な呪いを解く方法を考えるのも、悪くないと思っている自分がいた。





END



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