消毒
「…どうしたんだよ。それ」
「え?」
それ、と指され、きょろきょろ。朱史さんの示すものを探すけれど、見当たらない。何の事かと問おうとして、その前に手首を掴まれた。ぐい、と目線まで持ち上げられた手、人差し指の先と中指の第二関節辺りに紅く短い線があった。
あぁ切り傷だ、そう思うと同時にちくちくとした痛みを覚える。身体って、なんて正直なんだろう。
「うーん、どうしたんだろ?」
「俺が訊いてんのにナナシが訊いてどうすんだよ」
「でも私もわかんないんです。ていうか、さっきまで気付かなかったぐらいですし」
呆れ果てたような朱史さんの視線がざくざくと刺さるのを感じながら、記憶を辿る。
えぇと、今日は大学に行って、講義を受けて、帰って、それからそれから。
「…あ、あれかな?」
一つだけあった、心当たり。
「あれ?」
「はい。バイトで切ったのかも」
私のアルバイト先は本屋だ。フィルムをかけていない本や雑誌を整理している時に紙に引っかけたのかもしれない、と説明する。
朱史さんは、ふぅん、と言って私の手を―――正確には傷を眺めた。
「手当て、しねぇのかよ」
「別にいいです。舐めておけば治るでしょうし」
そう答えた瞬間。朱史さんはにんまりと意地悪く笑った。
あ、やばい―――なんて思う間もなく、私の手は朱史さんに引き寄せられた。そして、ぱくり。そんな擬音が似合う調子で、指先が彼の形のいい唇に吸い込まれた。
「な、に―――」
してるんですか。と続くはずだった言葉は混乱に掻き消された。呆気に取られている間に朱史さんはちゅるりと私の指先から唇を離し、同じように中指の関節にある傷に吸い付いた。ぬるりと傷口が舐められ、その感触に私がびくっと反応すると同時に朱史さんは私の手を解放した。
「な、に、してんですか、あかしさん」
「消毒」
全く悪びれず、それどころか実に愉しそうに笑って朱史さんはそう言う。そしてぱくぱくと魚のように口を開閉している私に、「舐めときゃ治るんだろ?」と続けた。そりゃ確かにそう言いましたけど。
「怪我には気ぃ付けろよ。ナナシ」
私の頭をわしわしと荒っぽく撫でる感触と声音は、何となく優しい。顔が熱くなっているのを感じた私は俯き、朱史さんから顔を背けた。
「気を付けたって、たまにはこんな事もあります」
「安心しろ、その時はまた消毒してやるよ」
「結構ですっ」
飄々と笑う朱史さんを恨めしく見やる。しかし彼は紅い双眸を細めてやはり愉しそうに笑うだけだった。
本当に、朱史さんの言う通り。怪我には気を付けよう。毎回こんな事をされると思うと、心臓がもたない。