音に喰らわれる
その人間は自分を含む何者かが言葉を語れば顔を顰め、何かを見れば慌てて視線を逸らし、何かを食せば複雑な表情をした。そしてそういった行動の後、決まってその耳を塞いだ。
唯一、私を見ている時だけはそういった行動はない。どころか、表情を和らげる事さえある。だがそれは互いに無言であるという前提の下にしか成り立たず、視線を煩った私が声をかければ、やはりその表情は崩れる。
私は興味本位でその人間に問うた。何故、そんな行動をするのかと。他人の声が煩わしくて耳を塞ぐのはわかる。だが、視覚や味覚といった情報を遮断するのに耳を塞ぐ必要はないはずだ。
その人間―――ナナシは、しばらく考えるような仕草をしてから答えた。

「…わたしの耳は、音以外のものを音として捉えるんだ」
「…意味がわからん」

率直な印象を告げると、ナナシは「だろうなぁ」などと唇の端を引きつらせた。その口角は微かに上がっている。恐らく笑っているつもりなのだろう。それにしては随分と醜い笑みだ、などと思っている間に、ナナシはつらつらと言葉を並べた。

「ミザエルは見た目とは裏腹に鋭い音がする。でも不思議と耳に心地いい。時空竜は随分荒々しい音だ。天城カイトはピアノ線を張ったような音がする。彼の銀河眼は猛々しさと優しさが入り混じったような音だな。バリアン世界、あれは怖いな。何かが崩れていくような音がする。ドルベはよく晴れた日に森の中にいるような音がして落ち着く。ギラグは間抜けな拍子だが音自体は心臓を叩くような感じがする。アリトは炎の中にいるような音がして、ベクターは聞くに堪えないえげつない音だ。もしかすると、性格が反映されているのかもしれないな」
「…何を言っている?」

意味がわからん、と続けた私自身の顔が歪むのを感じた。人間の姿を取ると感情に伴って顔が変わる。面倒な事だ。
私の内心など知るはずもないナナシは「言っただろ」と肩を竦めた。

「わたしの耳は、音以外のものを音として捉える。例えば『ミザエル』、貴方の名前を呼ぶ。そうすると発した言葉の音と、その言葉の持つ意味が音としてわたしの耳に流れ込む」
「そんな事を信じろと言うのか? ふざけるのも大概にしろ」
「信じなくていいさ…誰かの理解を得られたためしなんかないんだ」

再びあの醜い笑みを見せるとナナシはそれきり目を閉じて黙りこくった。こいつが黙るのは何も珍しい事ではない。むしろ、今の饒舌さこそが珍しく、もっと率直に言えば異常な事だった。
私は先の言葉を疑う言質をとったが、本当に音声以外の情報を聴覚で捉えているとしたならば、今までの行動も納得がいく。

「…その言葉の持つ意味の音とやらは、視界からでも得られるのか」

私の問いに対し、ナナシは言葉ではなく首肯一つで答える。これもいつもの事だ。否定か肯定で答えられる質問には、ナナシは首を振る事でのみ答える。
私の目線より幾分低い位置にある顔を両手で掴み、私へと向かせた。瞼さえ上げれば私と視線が合うだろうが、その目は硬く閉じられたままだ。…気に入らん。

「目を開けろ」

苛立ちを隠しもせず告げると、ナナシは不快そうに眉根を寄せてから瞼を上げた。私をはっきりと視界に納めたその目が緩やかに細められる。

「私を見ているだけでも、その音は聞こえるのか」

私がこうして話せば多少は歪んだ顔を見せるが、それはすぐに取り繕われる。そしてナナシは私に顔を押さえられたまま、制限された範囲で首肯を返す。

「ならば、私を見ていろ」
「…そうするとミザエルは怒る」
「それは貴様があんな視線を向ける理由を言わなかったからだ」
「……言っても信じてくれなかった」

ナナシはそう言って淀んだ目を三日月のように歪めた。この人間がどれほどの時を生きてきたのか私は知らないが、自らの体質について信用される事は今までなかったのだろう。澱みを全て圧縮したような目をしている。
つくづく、人間はわかりやすい。その顔を見ているだけで、大雑把な感情が読み取れる。

「信じてやらん事もない」
「…は」

こうして私が先の自分の発言を翻すだけで、その表情が変わる。淀みきった目は見開かれ、赤みを帯びた唇は間抜けにも半開きだ。驚いているのだと、その変化だけで充分にわかる。

「貴様は何かを見れば耳を塞ぎ、何かを食せば耳を塞ぎ、必要以上の言葉を発さず、大声で怒鳴られたわけでもないのに五月蝿そうな顔をする。貴様の話が本当だと仮定すれば、その一連の行動に納得がいく」
「…ミザエル?」

淀んでいた目に生気が戻り、その代わりにくらくらと揺れ始め、焦点を外した。どうやら混乱しているらしい。…これも気に入らん。私を見ろと言ったのに、こいつは私に焦点を合わせない。不愉快だ。

「世の音が煩わしいのなら、私だけを見ていろ」

そうすれば、ナナシの内にある煩わしさも、私の感じる不快感も、全てが消える。悪い話ではない。そのはずだ。私は間違った事は言っていない。
だから貴様は私の言葉に従って頷いていろ。人間界も、バリアン世界も、そこに住む者達も、そこに在る物も、何も見ず、私だけを見て、私の音とやらを聞いていればいいのだ。





(夢主は「共感覚」持ち。聴覚に変換される共感覚の事例があるのかどうか、調べていないのでわかりません。出てきた「音」は全て管理人のイメージなので実際どんな「音」がするのかもわかりません。あしからず)



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