心境の変化
「…そう。それでは、遊馬の…九十九さんのお宅に泊まるのね?」
『はい!』

画面向こうで頬を紅潮させて微笑みながら大きく頷くミハエルを見て、私自身の頬が緩むのを感じた。この子が昔のように無邪気に笑えるのが、自分で思うよりも「嬉しい」らしい。最近、ようやくクリスに依存しない感情を持つ事ができるようになってきた。

「わかったわ。…あぁそうだ、遊馬とご親族によろしく伝えておいてくれるかしら。ご挨拶を欠いた事の謝罪も伝えておいてくれると嬉しいのだけれど…」
『勿論です。…その、謝らなくても、ここの家の人達は気にしないと思いますけど』
「だからといってご挨拶を欠いていい事にはならないわ」

挨拶が「できない」のではなく、私は他人が怖いという事を言い訳にして、挨拶を「する気がない」。この差は大きい。クリスも、トーマスも、ミハエルも、皆前を見て進めるようになったというのに、私はいまだにこの有様。
自己嫌悪の渦に飲まれそうになって、軽く瞼を伏せた。姉様、とVが怪訝そうな声を零したから、何でもないと笑って首を横に振った。

「それより、そちらの方々に迷惑をかけないようにね。…貴方なら心配ないと思うけれど」
『…頑張ります』

ミハエルは苦笑して頷いた。という事は大丈夫だろう。迷惑をかけないように、自分で気を付ける事ができるから。初めての外泊で緊張しているのか、私が釘を刺したせいでこんな顔をしたのかはわからないけれど。
…とはいえ、緊張させっぱなしでは申し訳ない。いつもいる子がいない夜というのは存外寂しいものだけれど、まぁ、この子が楽しめるならそれでいいかもしれない。

「…楽しんでおいでなさいね、ミハエル」
『…はい!』

元気に返事をしたミハエルとおやすみの挨拶を言い交わし、通話を切る。と同時に、一抹の寂しさが込み上げた。ミハエルは九十九さんのお宅にいる。トーマスは明日の朝が早いからと早々に眠った。クリスは調べ物が残っているからと研究室に缶詰。バイロンさんは…どこで何をなさっているのか、わからない。
以前はクリスがいるとわかっているだけでこんな事にはならなかったのに、今は彼がいようがいまいがこれだ。この変化にはついていけないけれど、悪い事ではない…と思う。

「シエナ」
「! …あ、クリス」

背後から不意にかけられた声に、慌てて振り返る。ほんの少し疲れを滲ませながらも穏やかに笑うクリスが立っていて、ほっと吐息した。ほんの少し、寂しさが紛れる。

「調べ物は? もういいの?」
「まだ少し残っている…が、ほどほどにしておかなければ、君が怒るだろう」

ゆったりとした歩調で私に近寄りながらそう言ったクリスに、思わず笑ってしまった。…自覚があるようで何より、と言うのは意地悪だろうから、笑うだけに留める。
クリスはさっきまで私とミハエルが通話していた端末を見ると、首を傾げた。

「…Vからかい?」
「えぇ、そうよ。今日は九十九さんのお宅に泊まるのですって」
「そうか」
「…心配?」
「いや、Vなら大丈夫だろう。…むしろシエナ、君の方が心配だ」

そう言って目を細めたクリスに頬を撫でられる。そのくすぐったさよりも言われた事の方が気になって、ぱちりと瞬いた。

「私? どうして?」
「寂しそうな顔をしている」

当然のようにそう言われ、ぐっと言葉に詰まった。まさか見透かされているとは思わなかった。緩く溜息を吐いて相変わらず体温の低いクリスの手に自分の手を重ねる。

「貴方には何でもお見通しなのね」
「最近の君がわかりやすいんだ」
「…あぁ、それは」

自分でも困惑するようなこの変化が起きたのは最近。だとしたら、私の反応が殊更にわかりやすくなったのもそれぐらいからだろう。
考え事をしている間にするりと頬を離れたクリスの手が、縋る場を失った私の手を取って引き寄せた。そのまますっぽりと包むように抱きしめられ、私は軽く目を伏せて彼の背に腕を回した。暖かい。小さな子供をあやすようにゆっくりと背中を叩いてくれる手が、心地良い。と同時に、どうしようもなく幸せを感じた。
クリスが頬を撫でてくれる。手を取ってくれる。抱きしめてくれる。あやしてくれる。名前を呼んでくれる。あぁ、幸せ。
まだ寂しさは消えないけれど、それを埋めるようなクリスの優しさには、素直に甘えよう。




(考える事さえXに依存していた夢主の変化)



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