酔っ払い
「んふ」
「………」

ほのかに身の危険を感じる。私の首筋に顔を押し付けるシエナの顔は微かに朱がさしており、暑いらしく二つほど外されたボタンと相俟って酷く扇情的だ。いっそ彼女にされるがままに流れてしまってもいいかもしれないが、しかし今の彼女に自我といったものは存在していないはずだ。
私はシエナの肩を押して引き剥がしながら、テーブルの上に転がる酒瓶を視界に納めて溜息を吐いた。

「んぅー、えへ、あははは」

私の手をすり抜けて意味ある言葉を一言も話さずに顔を近付けてくるシエナは、まぁ、端的に言えば酒を飲んだ。そして酔った。結果、こうして私に迫っている。
多少ぞんざいである事は承知の上で、彼女の頭を片手で掴んで遠ざけた。「あぅ、んふふ」と何が面白いのか笑い声を零すシエナの視界が掌底で塞がっている事を確認し、シエナのグラスに4分の1ほど残っていたワインを飲み干す。甘みの強い類の酒だ。なるほど悪酔いしてしまうほど彼女が飲んだのもよくわかる。グラスから口を離し、軽く吐息しながらテーブルに置く。
そもそもこうなる事がわかっていれば私はシエナが酒を飲むのを止めた。最初に止めなかったのは私達の故国ではシエナが成人に当たる年齢であり彼女が悪酔いするほど飲むはずがないと信じていたからだが、彼女は見事に酔っ払ってしまった。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。

「えへへ、うふ、んーふふふふー」
「何やってんだ」

不意にWの声が聞こえて振り返った。その拍子にシエナの頭から手が外れ、彼女は私にしなだれかかってきた。首筋に顎に耳にと柔らかい感触を浴びる。Wは仕事帰りのようで、少しばかり疲れた顔をしていた。それでも私達を見るその目は一種の侮蔑のようなものをありありと映し出している。

「シエナが酒に酔った」
「あぁ? 何でまた…」
「ん、ぅあ。…ぅふ」
「げ」
「あ」

Wを見つけたシエナの行動は速かった。いや、いつものように穏やかな所作ではあったが、止める隙がなかったというか。とにかく言い訳をしても仕方がない。シエナはソファの背もたれを乗り越えてWに近寄り、その頬にキスをした。

「っ、は、なれろ!!!」

一瞬固まったWはそう叫んだ。顔が赤い。どうやら照れているらしい。私の前でこんな感情を露にするとは。珍しいものをしっかりと目に焼き付けるつもりで、自分のグラスを手に酒を飲みながらじっとその光景を眺める。

「んむーぅ。うふふへへへへへあははは、えへへっ」
「おい笑ってんなシエナ!! X助けろ!!!」
「たまには彼女を甘やかしてやれ。お前は何度か彼女に甘えたのだろう」
「もっともらしい事言ってんじゃ、んっ」
「んーぅ」
「………」

Wの言葉が遮られた。もとい、シエナがWの唇にキスをしていた。Wは顔を真っ赤にして目を丸く見開いている。面白い。だがそうも言っていられない。私にも嫉妬心はある。グラスをテーブルに置き、背もたれ越しにシエナの服の裾を引いた。彼女は意外とすぐにWから離れ、私を振り返った。相変わらず自我の見受けられない瞳で笑っては、今度は私に顔を寄せてくる。

「んぅー。うふー」
「な、な、なっ…」
「…W……大丈夫、だっ、たか」

言葉の合間にシエナから啄ばむようなキスを受けながら問えば、Wは「そうじゃねぇだろうが!!」などと叫んだ。それはわかっているし嫉妬もしたが、弟を気遣う気持ちを優先した兄に対しその言動はないだろうと思ってしまう。私も酔っているのだろうか。
とりあえず会話に支障が出そうなのでシエナの頭を抱え込み、首筋へ導く。服と髪の隙間、露出している肌に吸い付かれた気がしたが、今は気にしない事にしておこう。

「離れた方がいいぞ」
「言うのが遅ぇ…ッ!!」
「兄様達、こんな夜中にどうしたんですか…?」

口論している私達へとVの声がかけられる。微かに掠れているのは、恐らく今まで彼が眠りについていたからだろう。起こしてしまったのだろうか。
そんな事を考えていたせいで気付かなかった。首元と腕の中に、シエナの感触がない。慌てて視線を巡らせる、が。遅かった。

「んぁ。あぅー、ふふふ、へひ、えへへへ。んむー」
「!!!」

シエナは可笑しそうに笑いながら既にVにしがみつき、彼の頬と額、そして唇にキスをしていた。やはり笑い声以外には一言も発さないままだ。Vは先ほどのWと同じく顔を真っ赤にし、大きな目を更に丸くして硬直していた。Wは片手で頭を抱えている。やはり面白い。が、同時に嫉妬もする。

「シエナ。こっちにおいで」
「んむぁ、あーい。うふ、えへへぇ」

存外私の言葉は理解できているようで、いつものように声をかければ彼女は素直にVから離れて私のところへ戻ってきた。細い身体を抱きしめ、今度は逃がさないようにと腕に力を込める。散々私達にキスをしておいてまだ飽き足らないらしく、胸元や髪や肩に不自然な角度と力加減で顔を押し付けられた。

「V」
「っ!! …は、はい。…っあ、あの、X兄様!! 違うんです、僕はその」
「大丈夫だ、彼女が酔っているだけにすぎない。Wも同じ事をされた」
「俺は舌入れられたぞ」
「そのまま襲われなかっただけ良かっただろう」

「そういう問題じゃねぇだろ」、先程よりは幾分落ち着いた声でWに抗議を頂戴した。「そうですよ!」とWに同調するVはまだ顔を真っ赤にしていて、シエナは相変わらず私の至る所にキスをしている。
何度か深呼吸したVが、それでも混乱した表情は拭いきれないまま首を傾げた。

「あの、兄様、姉様はどうしたんですか?」
「酒に酔った。どうやらシエナは酔うとキス魔になるようだ」
「へぇ、そうなの? 僕もシエナにキスされたーい」

それまで聞こえなかった声が聞こえた。少しばかり慌てて振り返れば、トロンがいつものように笑いながら立っていて―――しまった。シエナがいない。もとい、既にトロンに迫っている。WもVも私も固まった。行動が早すぎる。

「えへ、うふふふふふ」
「わぁ…こんなに笑ってるシエナは初めて見たかも」

トロンは意外と冷静なようだ。…まだ被害に遭っていないのは仮面のせいだろうか。だとしたらこれは不幸中の幸いだろうか、いや、トロンはシエナにキスされたいと言っているから不幸なのだろうか、しかしそれがそもそも冗談である可能性も否定できない。
いろいろといらぬ事を考える自分を片隅に追いやり、シエナを呼び寄せようとした、が。遅かった。

「んみゅ」
「あ」

シエナは邪魔臭そうにトロンの仮面を外して投げ捨て、そのまま彼を押し倒す勢いで唇を重ねた。トロンの片方だけの目が見開かれている。

「んー。ふぁ、えへ、んっふふふ、えーへへへあはははは」

息継ぎのためだろうか、唇を離したシエナが笑いながらトロンに頬擦りをした。トロンはいつの間にやら落ち着きを取り戻していつもの笑顔を浮かべているが、これ以上は流石にまずいだろうと判断して呼び戻しにかかる。

「シエナ、おいで」
「んぁ、あーい。えへへんふ、ふひ」

シエナは再び素直に私の下へ戻った。笑い方がおかしくなっている。いつもの状態から考えればずっとおかしかったが、それが割増されたとでもいうか。このままだといろいろとまずい気がしたが、軽い音を立てて私の膝の上に座ったシエナはそのまま身体を弛緩させた。同時に指先さえ動かさず、規則的な呼吸音を立て始めた。
翌日の彼女は一日中青白い顔で頭を抱えていたが、自業自得だという事にしておこう。




(ちからつきた)



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