武運をと祈る
「シエナ姉様、あの、ちょっといいですか…?」

食器を洗い終えて手を拭いていたシエナ姉様に声をかけると、姉様は僕を振り返って柔らかに笑った。

「…V。どうしたの?」
「…あの」
「………」

僕より少し背の高いシエナ姉様は少しだけ腰を折って、僕の顔を覗き込んだ。でもそれだけ。下手に僕の言葉を催促する事はない。
僕が何も言わない事を、咎めるでも訝るでもない表情。柔らかくて、甘やかで、きっと、本当に母様か姉様がいれば、こんな人なんだろうな、って。

「…今から、九十九遊馬のところへいってきます」
「…遊馬……一馬さんの、息子さん…」
「はい。…多分…トロンから頂いたナンバーズを使って、戦う事に…なります」
「そう」

歯切れ悪く言葉を接いでいって、視線を上げて、姉様の表情を窺う。シエナ姉様はほんの少し、両目を細めていたけれど、僕にはその意図はわからない。
シエナ姉様は一度瞬きした後、「それで」と首を傾げた。

「どうするの? …どうしたいの、V?」

言葉こそ催促するようなものだった。でも、表情や声にはそんな感情はなくて、むしろ僕の背中を押すような、そんな優しさがあった。
一度深呼吸して、呼吸と頭の中を整える。…感情がそこに追いつくのはちょっと難しくて、心臓はばくばくいっている。

「…姉様、一度、僕を抱きしめてくれませんか」
「―――……」

シエナ姉様の両目がまあるく見開かれた。そりゃ、急にこんな事を言われたら驚くだろう。そう思ったら急に焦りが芽生えて、僕は「あの、下心があるわけではなくて」―――などと言い訳をし始めた。
くすりと笑う声で我に返ると姉様はいつの間にか背筋を伸ばして立っていて、僕はシエナ姉様の細い腕に抱き寄せられていた。やわらかい、あまい、ふわふわした、かおりがする。

「…ねぇ、さま」
「V」

今の名前を呼ばれて、ちょっと情けない話だけど身体が少し跳ねた。びくっ、って。シエナ姉様がそれをどうとったのかはわからないけれど、抱きしめる手にぎゅっと力を込められた。自分で「非力」だと公言しておられるだけあって、ちっとも苦しくなんて、ならなかったけど。
そしてようやく、シエナ姉様が小さく震えている事に気付いた。

「…無事に帰っておいでなさい、V」
「……、…」
「もし勝てたとしても…貴方が無事でないと、何の意味もないわ。…だから、無事に帰ってきて」

そう言って、シエナ姉様は僕の額に祝福でもするようにキスした後、するりと離れた。
けれど、両手は僕の頬に残って。かちりと、振り払おうと思えばできてしまう程度の力で、僕の顔を固定している。必然的に、姉様と視線が合う。
シエナ姉様は僕の頬を撫でながらにっこりと、いつものように笑った。

「いってらっしゃい、ミハエル」

―――あの時、姉様が僕の本当の名前を呼んだのは何か意味があったんだろうか。
沈んでいく意識で考えても、答えなんか出なかった。



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