Happy Wedding
真っ白い衣装。今まで一度も着た事のないふわふわしたそれは、何と言うか、気恥ずかしい。
少し前まで不健康なほど細かった身体は、ここ最近で申し訳程度に肉付きがよくなった。お陰で…袖や腰といった、衣装がぴったりとしていたり露出していたりする部分に妙な劣等感を抱かずに済みそう。
けれど慣れない衣装である事に変わりはない。居心地の悪さに似た気恥ずかしさから顔を俯けると、後ろから「こら」と声をかけられた。

「顔を上げろ、シエナ。化粧ができないだろう」
「ん…ごめんなさいね、ドロワ」

顔を上げて肩越しに振り返れば、化粧道具を一式抱えたドロワが苦笑していた。私も苦笑を返して正面を向く。

「君はいつもどういう化粧をしている?」

台に化粧箱を置いたドロワにそう訊かれる。多少不意を突かれた質問だったから、一瞬惑ってしまった。
すぐに落ち着きを取り戻して、もう一度苦笑する。

「…それがねぇ…生まれてこの方、一度もお化粧をした事がないの」
「…その歳で?」

ドロワは心底驚いた様子で私を振り返った。いつものスーツとは違う、少し華やかな服装で正装した彼女は、これまたいつもとは少し違う化粧をしている。薄い青のラインに縁取られた琥珀色の瞳が怪訝に揺れていた。

「あの人は気にしていないようだったし…私も、今までそんな機会も興味もなくて」
「…まぁ、らしいといえばらしいな」
「ごめんなさいね。…あぁ、でも…強いて言えば、薄めな方がいいわ」
「薄め…か。わかった。だが主役は君だから多少は目立つようにはさせてもらうぞ」
「お願いするわ。…何だか緊張するわねぇ」
「普通は化粧に緊張なんかしないぞ」
「仕方ないでしょう?」

軽口を叩き合いながら、ぽふぽふと下地を作られていく。
…化粧水すらつけた事のない私には、顔に粉末が乗せられていくのはとても不快かつ違和感のあるもので。けれど、こればかりは嫌だと言えない。

「…シエナ、目元をいじるぞ。少し目を閉じろ」
「あぁ、はい」

素直に瞼を下ろす。目尻を中心にいじられる感覚。お化粧ってこんなにも面倒なのね。ドロワは毎日これを、しかも自分でこなしているのかしら。
なんて、余計な事を考えている間に反対側の目も同じようにいじられる。

「…さ、もういいぞ。最後は…口紅だな。…これもやった事はないのか?」
「ないわね。リップクリームならあるけれど」
「………」

ゆったりと瞼を上げれば、ドロワの呆れ帰った表情があった。思わずくすりと笑ってしまう。

「笑い事ではないぞ」
「あぁ、ごめんなさいね。…お願いするわ」
「全く…」

軽く吐息したドロワが細い筆を取ってその毛先にルージュを付け、そろり、私の唇に近づけた。
笑みを象っていた唇を一度だけ緩く噛み締め、真一文字に結び直す。自力でやった事も誰かにやってもらった事もないけれど、そうしないときっと塗りにくい。
ぺたり。ぺたり。唇を縁取って、その中を塗りつぶすように、けれど丁寧に、筆が動く。ひんやりしてくすぐったい。

「…少し唇を噛め。歯は立てるなよ」
「ん」

言われた通りにしたらほんのりと湿らせた脱脂綿で唇の端々を拭われた。…はみ出した、のかしら。それともはみ出さないための予防策?
脱脂綿が離れると「もういいぞ」とのお声。唇を薄く開く。

「終わり?」
「あぁ」
「そう、ありがとうドロワ」
「どういたしまして」

にこりと笑んでドロワにお礼を述べる。彼女もやんわりと微笑み返してくれた。
顔の違和感は拭えないけれど、今日一日ぐらいはこういうのもいいわよね。

「鏡、見るか?」
「あ、是非」
「ほら」

化粧箱の中から鏡を取り出したドロワに顔を見せられる。ほんの少し浮かれながら覗き込む。

―――何これ整形?

そんな第一印象を口にしなくて済んだのは、きっと呆気に取られたから。だと思いたい。
だって本当に、ドロワの手で施されたお化粧で、整形手術でもしたように私の顔は変わっていたのだから。
全体的にお化粧は控えめ…だと思うのだけれど、ドロワの言ったとおり多少は目立ちそうなもので。それを施された私はといえば…多分、いつもより、綺麗。

「…どうした?」
「あ、いえ…驚いてしまって。…お化粧をするとこんなに変わるものなのねぇ」

ついつい見入っていると、ノックの音が響いた。ぱっと顔を上げる。
入ってこられて困る事はない。…というのは嘘で、「彼」以外の人だとしたら入室を断ってもらいたいところ。この姿を初めて見せるのはあの人がいい。
迷っているとドロワがさっさと扉の方へ行っていた。しかも相手の確認もなしに扉を開けている。
入り口からは角度の問題で私の姿は見えないけれど、何だかそわそわしてしまう。どうしようかしら。

「シエナ、こっちに来い」

ドロワに名前を呼ばれて入り口を振り返った。心なしか楽しそうに微笑む琥珀色の目が私を見ている。
ドロワは私を手招きした。ご丁寧に「大丈夫だ」とまで言って。何が大丈夫なのかいまいちわからないけれど、純白の衣装を汚さないように裾を持って立ち上がる。…重い。
私を見ていたドロワは相手の人に一言二言何かを言い置いて滑るように部屋を出て行ってしまった。私にどうしろと言うの。
思考停止して足まで止めてしまうと、ドロワと入れ替わりで相手の人が入ってきてはドアを閉めた。
あぁどうしよう―――なんて懸念は、杞憂に過ぎなかった。だってその人は、私が今一番会いたい人だったから。

「シエナ…?」
「クリス!」

すぐにでも駆け出して抱きついてしまいたいのを堪えるのには苦労が要った。裾に足を引っ掛ける可能性があるし、引っ掛けてしまえば転んでしまうし、転んでしまえば何もかも台無しになってしまう。それはわかっているのだけれど、愛しい人と別々の部屋に通されて数時間も経っているのだから興奮してしまうのは仕方がない。
その人、クリスはやはり正装に身を包んでいて、ただでさえ女性と見紛うほどに美人なのにその美しさが際立っている。
いつものゆったりとした足取りで私の傍までやってきたクリスが、私を見てくすりと一言。

「…似合わないな」
「あら、お互い様でしょう」
「それもそうだ」

憎まれ口を叩いて小さく笑う。衣装そのものが、ではなくて、この状態の事だ。めかし込んで、煌びやかに装って、華やかに振舞っている、この状態。自然体で接する事の方が、私達には似合っているのに。
お互いに意図を理解しているから軽く笑って流す事ができるけれど、周りの人が見たらどう思うのかしらね。奇妙かしら。
クリスは私より先に笑いを引っ込めて、ふ、と硝子球のような蒼い双眸を細めた。

「…綺麗だよ、シエナ」
「ありがとう。…貴方も…とても素敵よ。クリス」

はにかむように微笑んだクリスの手が私を緩やかに抱き寄せた。ふわりと密着する。

「裾、踏まないでね?」
「わかっている」

雰囲気も何もあったものではない会話。そんなものの方が私達には似合うでしょう、ねぇ?
くつくつと笑ったクリスがそろりと顔を近づけてきた。あと数センチ、というところで私は瞼を伏せた。
けれど待っている感触がいつまで経っても来ない。じれったくて瞼を上げると、気まずそうな顔のクリス。

「…これは後だな。今してしまうと、誰に何を言われるかわかったものではない」
「あぁ…それもそうね」

少し残念。クリスに支えられるようにして身体を離す。あと数時間はお預けかしら。
ふとクリスが部屋に備え付けられた時計を見て、あぁ、と声を零した。

「そろそろ時間だな。行こうか」
「…えぇ」

自然な動作で差し出された手を取って、部屋を出る。
広間に出て、儀式…という言葉の持つイメージほど荘厳ではないけれど、その儀を終えれば、私達は家族になる。
今まで我慢していた事、トーマスやミハエルを堂々と「弟」と紹介する事や、バイロンさんを「父」と呼ぶ事が許されるようになる。血は繋がっていないから「義」が付いてしまうけれど、そこはそれ。
そして何より…クリスと一緒にいる事を義務付けられる。私にとって最も嬉しい義務。それを放棄する事もできるにはできるけれど、クリスに拒まれない限りは、ありえない。
「幸せ」なんていう言葉では足りず、私の持ちうる言葉でも表現しきれない歓喜を覚え、私は少しだけクリスに身を寄せた。



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