ひねくれ感謝
「トーマス、こっちにおいでなさいな」

ソファに座りながらそう言ったシエナににっこりと柔らかに微笑まれ手招きをされ、俺は眉を寄せた。
復讐の必要がなくなってからというもの、シエナは以前にも増して兄貴と共にいる事が多くなった。今まで傍観していた分の距離を詰めようとするかのようにも見えた。きっとそれは間違ってはいない。
そんなシエナが何故兄貴ではなく俺を呼んでいるんだ。邪推とも取れる思考に捕らわれて黙っていると、シエナがのんびりと苦笑した。

「何も取って食おうというわけではないのだから」

おいでなさい。とシエナがもう一度言う。あまり邪険に扱うと兄貴に怒られるかもしれないし、そうでなくともシエナに嫌な思いはさせたくない。
諦め混じりの言い訳5割、面倒臭さ3割、なけなしの素直さ2割、そんな感情配分でシエナに歩み寄ると手を握られた。随分と柔らかいが、女の手ってのは皆こんなもんなんだろうか。

「何だよ」
「ん。何という事はないのだけれど」

手を引かれるがままにシエナの隣に座ると、頭をぐいぐいと押さえられた。「痛ぇよ」と訴えるが、にこにこと笑ったまま謝る気配すら見せない。どうやら寝転がれという意思表示らしい。だが、この位置で寝転がると…膝枕をする事になる。
だが、シエナにやめるつもりはないらしい。少し癪だがシエナの膝に大人しく頭を乗せた。そして髪を梳かれる。くそ、何なんだ。俺は兄貴ほど綺麗な髪質じゃねぇだろうに。シエナの膝は柔らけぇし。いやそうじゃなくて。

「…何なんだよ、ねーちゃん」

ほんの少しだけからかう意図を込めて姉と呼んでみると、予想通りというかシエナはきょとりと目を丸めた。本当に年上かと疑いたくなるような幼い表情だ。本当は妹じゃねーの。ありえねーけど。
だがその効果は薄かったようで、シエナはすぐににこりと笑った。これも予想していた事だが、とても嬉しそうしている。

「ねぇ、トーマス。もう寂しくない?」
「…は?」

今度は俺がびっくりする番だった。寂しくないか…だと?

「さっきから何だよ、わけわかんねぇ」
「貴方がどれだけ頑張ってきたか知っているつもりだから」
「………」

呆気に取られていると、シエナはふすりと小さく笑ってぽんぽんと俺の肩を軽く叩くようにして撫でた。何度かそれを繰り返した後、顔の右半分に走っている傷跡に指を這わせた。くすぐったい。

「別に…寂しくは、なかった。勘違いすんな」
「あら、そう?」

優しい気遣いに素直に甘える事ができればいいのに、俺はそんなつっけんどんな言葉を返す。年齢からすれば反抗期というものだが、それを言い訳に使っていいと思えるほどガキでもなかった。
寂しくなかったというのは嘘だ。本当はずっと寂しかった。兄や弟ほどの信頼を父から得られていなかったせいだろうか。はっきりとそう告げられたのは凌牙と戦っていた時だが。そしてきっと、父から信じてもらえなかったのは俺が父を信じきれなかったせいでもある。殊に璃緒をはめてからというもの、父への信頼は確かに不信へと傾いていた。歪みながらも取り戻せた家族を信頼できないのは、確かに寂しかった。
ちゃんとそう言って、全てが終わった今は寂しくはないと言えればよかったのに、その今でさえ俺は素直に言葉を紡ぐ事ができなかった。

「貴方がそう言うのならそうなのでしょうね」

だが、シエナ…義姉はそう言って咎めようともせず、のんびりと笑う。慈しむように細められた両目は母を思い出させるようでもあり、見透かすようでもあり。何にせよ俺の言いたい事を全て汲み取っているように見えた。
少し気恥ずかしくなり、寝返りを打ってシエナから顔を背けた。くすくすと鈴を転がすような笑い声が頭上から聞こえる。くそ。何なんだ。
シエナは至極柔らかい手つきで俺の髪を梳いている。母でもなければ血の繋がった姉でもなく、恋人でもない女にこんな事をされているというのが妙に不思議な気分にさせる。
それでも心地いい事に変わりはなくて、気恥ずかしさから逃げるためでもあるのだろうか、眠気が襲ってきた。今日は仕事がないし眠っても誰も文句は言わねぇ、はず。

「…ねーちゃん」
「何?」
「…眠ぃ」
「…そう。おやすみなさい」

ねーちゃんが俺の髪を梳いていた手を止め、もう片方の手でゆっくりと俺を叩き始めた。母親がよくやる、抱いた子供を寝かしつけるような、あの手つき。
確かねーちゃんとは2つしか歳が違わないはずだが、ねーちゃんにとって俺はそんなに子供なんだろうか。まぁそう言われたところで、割と遠慮なく(素直でもないが)甘えている俺に反論の余地はない。
姉のようでも母のようでもあるシエナの体温を主に頭部に感じながら目を伏せた。
意識が落ちる寸前、シエナの名前を呼ぼうとした兄貴の声が聞こえた。完全に呼ぶ前にシエナに遮られたようで、その声は途切れたが。
呆れ混じりに、だが復讐に心身を焦がしていた時よりずっと優しい声音で、兄貴は何かを言っていた。だがすぐに睡魔に負けた俺がそれを聞き取る事はできなかった。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -