予想外の再会
あまりの人ごみに、私は自分の足元がぐらつくのを感じた。
Wが仕事のため外に出て、Vが彼に付き添い、トロンはいつも通りカートゥーンアニメを見ている。Xに一緒に来てもらおうかと思ったけれど、トロンを一人で屋敷に残すのは気が引けた。…いろんな意味で。
だからXには声もかけず、一人で買出しに来ているのだけれど、いかんせん人が多い。
元々私は他人が怖い。不特定多数の人間が行き交う街並みでは、比喩でも何でもなく意識を失いそうになった。
これは来る日を間違えたと思った。確実に。今日は世間一般が休日で、多くの人々が歩き、話し、笑っていた。気休めだけれど、私はコートについたフードを目深に被った。少しだけ、本当に少しだけ、雑踏と話し声が遠くなった。だから、これで大丈夫、と自分に言い聞かせ、嫌な予感と気分を頭の片隅に追いやった私は意を決して街並みに踏み出したのだ。
結果から言えば、全くもって大丈夫ではなかった。何度足元がふらつき、見知らぬ者の肩にぶつかり、謝罪し、時に怒鳴られたかわからない。
買出し自体は済んだ。後は帰るだけなのだけれど、たったそれだけの事が辛いと感じる程度には私は疲弊していた。荷物を両手にふらつく。こんな事なら素直にXを呼んでいればよかったと思うけれど、後の祭り。
ぼんやりしながら歩いていると、どん、と真正面から誰かにぶつかった。

「っ、ごめ…」
「シエナ?」

謝罪の言葉を言い切るより早く、聞き覚えのある声がした。けれど霞がかったような頭では記憶の糸を即座に辿る事ができず、のろのろとフードの下から視線を上げていく。
怪訝な表情で私の顔を覗き込んでくるのはそもそも会う事すら予想していなかった人物で、僅かに眉が寄るのを感じた。

「……カイト?」
「…やはりシエナか」

相手―――カイトは精悍な顔を顰め、眉間に深く深く皺を刻んだ。そして私の手から荷物を攫い、空いた手で腕を引く。
どうにか歩調を合わせて―――合わさせられて、と言った方が正しいかもしれない―――連れて行かれたのは、人気のない路地裏だった。

「シエナ…貴様、こんな所で何をしている」
「…買出し」
「人込みが苦手だと言っていたのにか」
「…人が、いなくて」

ビルの壁に背を預けて俯くと、カイトが盛大な溜息を吐いた。どうやら怒られそうだ、と思うけれど、予想に反してカイトは私の傍らに立ったまま無言だった。
喧騒や雑踏はほとんど聞こえない。俯いていれば視界に人が入る事もない。それだけで随分楽だった。

「……はぁ」
「………」

カイトは何も言わない。言わないけれど、フードの下から見た彼は私の視界に人が入らないように、またその逆も配慮して立ってくれていた。それを見て少しだけ唇の端が持ち上がる。
カイトは優しい子だ。5年前、Xが私の与り知らぬ所で彼を突き放して、事後承諾の形でそれを聞いた私もカイトの前から姿を消して…多少は恨まれても、文句は言えないのに。
実際、カイトは私やXを恨んでいるのかもしれないけれど、それでもこうして気遣いをしてくれる事は嬉しかった。根の優しいところは変わっていないのだと思うと、実弟のように思っていた彼に愛おしさすら感じる。

「…カイト」
「何だ」
「ありがとう」
「何の事だ」

素っ気無い対応だけれど、それが彼なりの照れ隠しであろう事は拗ねたような表情から察する事ができた。
その態度は何となく、本当に何となく、Wを思わせた。とはいえ、本質的な部分はまるで違うし、口に出して言えば本人達からそれはそれは大きな反感を買うだろうけれど。

「…荷物を持ってくれたでしょう。重い方」

本当は気遣いに対する礼を言いたかった。立ち位置にしても、私をここに連れて来た事にしても。
けれど今のカイトがそれを素直に受け取ってくれるとは思えないから、顔を上げてカイトを見上げた私は荷物に関してだけ礼を言う。
カイトはちらと私を見て、視線が合うとぷいとそっぽを向いてしまった。本当に、素直でない事。可愛い。

「そんな細腕であんな荷物を持つからふらついたんだろう。少しは自分の要領を弁えたらどうだ」
「…返す言葉もないわね」

苦笑した。本当に、カイトの言葉が耳に痛かった。
ふらついていたのは断じて人込みのせいだけではない。荷物が本当に重かったのだ。
5人分の食料や日用品を買い込めば、非力な私が持ちきれるわけはない。にもかかわらず、私は随分と無茶をしてしまった。
カイトはつんとした顔のまま、私に見向きもしないでそれっきり黙ってしまった。気まずくもなければ心地良くもない沈黙が流れる。
そういえば、と私は自分が持っていた方の袋に手を入れ、がさがさと中を漁った。カイトの怪訝な視線が突き刺さるのを感じながらまさぐり、ようやく目当てのものを見つけた。それを掴んで袋から手を引き抜く。

「…カイト」
「…?」

空いている手でカイトを手招く。というか、こちらを向くようにジェスチャーをする。
カイトは一度不審な目を向けたものの、大人しく私に向き直ってくれた。カイトのこういう、少し律儀な面は好感が持てる。

「はい、これ」

カイトの手を掴んで掌を上に向けさせ、そこに先ほど掴んだもの―――小さな袋にぎっしりと詰まった金平糖を乗せた。
途端、カイトが再び怪訝な顔をする。…せっかく精悍な顔立ちなのだから、もう少し柔らかい表情をすればいいのに。あぁ、ハルトの前でだけはそういう顔を見せるのだっけ。

「…何だ、これは」
「金平糖よ。綺麗でしょう? お礼にあげるわ」
「俺はこんなもの…」
「ハルトと一緒に食べなさいな」

ハルト、と聞くとカイトの口が閉ざされた。
うにうにとその口元が一度動いて、カイトは金平糖をズボンのポケットに押し込んだ。

「…シエナ、さっさと帰れ」
「あら。いろいろ訊かれるかと思っていたのだけれど」

随分楽になった私は、いつものように笑いながらカイトを見上げた。カイトはじろっと一度私を睨んで、すぐにその双眸を伏せ、溜息を吐いた。

「…訊きたい事なら山ほどある。だが、貴様はそれに答えないだろう」
「…そうね」

私が小さく頷くと、カイトは呆れと諦観混じりにもう一度溜息を吐いた。彼が私に訊きたい事はきっと、私の口から答えていい事ではない。
カイトは私に背を向けて荷物を地面に置き、路地裏を出て行こうとする。

「もう行くの?」
「当然だ。貴様に構っているほど、俺は暇じゃないんでな」
「………」

ならどうして助けてくれて、落ち着くまで一緒にいてくれたのか、しかもその間気遣いまでしてくれたのか、小一時間説明を請いたいところではあった。
まぁ、訊いたところでカイトが答えてくれるわけでもないから、訊かない事にする。ついさっきと立場が逆転してしまった。

「カイト」
「何だ。まだ何か用か」
「ハルトによろしく言っておいて」

一度足を止めたカイトは、何も言わずに足早に人込みに紛れていった。照れ屋だこと、なんて思う。絶対に全力で否定されるだろうけれど。
少しだけ笑みを深め、私はD・ゲイザーを取り出した。…素直にXに連絡して、迎えに来てもらおう。



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