健康的病人
メールの着信を知らせる音が診療所に響いた。端末を覗き込んで患者のデータを整理していたエルダは顔を上げ、端末の電源を切ると別の端末に触れた。新着メールフォルダを開くと、鬼柳京介の名前がある。
メールしてくるとは珍しい、いつもなら押しかけてくるのに、などと思いながらメールを開く。

『だるい 来てくれ』

件名、差出人、宛先、受信日時、それらの方が遥かに多いであろう、あまりに素っ気無い本文だった。いろいろと言いたい事はあったが、頭を抱えて溜息を吐く事で終わりとする。
気を取り直して医療用具を入れてある鞄に端末を突っ込み、それを引っ掴んで診療所を出た。狭い街だ。何度も通い慣れた家にはさほど時間をかけず、迷う事もなく着いた。
扉をノックするが、誰も出ない。その代わりに妙にはきはきした声で「開いてるから入れ」と言われた。
本当にだるいのかとげんなりしながら「お邪魔します」と家に入り、声のした方に行くと、毛布に包まって転がっている鬼柳が手招きしていた。
溜息を吐いて傍らに膝をつき、消毒液で手を消毒したりマスクをつけたりしながら質問を飛ばす。

「どうされたんですか? だるいとしか書いてありませんでしたが」
「頭痛ぇ。割れる。吐きそう。あと腹が苦しい。どこだこれ、胃か。けどもうちょい下は痛ぇ。捻じ切れる」
「他には?」
「今朝食ったモン全部戻した。あと腹が苦しいし痛ぇ」
「お腹の事は先ほど聞きました。熱測りますね」
「ん」

体温計を取り出し、鬼柳の銀髪を掻き分けて器用に耳に押し当てる。一秒もしないうちに、ピッ、と電子音が鳴った。体温計を離して示された体温を読み上げる。

「…37度8分。…お腹出して下さい」
「ん」

布団を退けた鬼柳がシャツを捲り、腹部を出した。日焼けを知らなさそうな白さと肋骨が浮くほどの細さに一瞬眉を寄せながら、エルダは聴診器を押し当てる。何度か腹部を転々として、外した。

「戻して下さい」
「ん」
「口開けて下さい」
「あー」

次いでヘラを取り出し、口を開いた鬼柳の舌に押し当ててペンライトで口内を照らす。
それらを退けて鞄から取り出したパックに押し込みながら、はぁ、と何度目ともわからない溜息を一つ。

「胃腸風邪ですね」
「あぁ、やっぱりか」
「やっぱりって何ですか」
「何回かかかった事があるんだよ」
「………」

なるほどそれで、と納得しつつ、再び溜息を一つ。布団を被り直した鬼柳は金の双眸を細めてエルダを見やった。

「何だエルダ、さっきから溜息ばっかじゃねぇか。ちゃんとぶっ倒れる前に呼んだだろ」
「…そうですね、そこは評価します。少しは学習して下さったようで何よりです」
「…少し傷ついたぜ」

苦い表情を浮かべる鬼柳の頬を撫で、エルダはその熱さに眉尻を下げた。そしてぽつり、呟く。

「…これでも心配してるんです」
「だろうな。前に倒れた時と同じ顔をしてる」
「……どんな顔ですか」
「痛くて辛くて苦しいのに、それを必死で隠そうとしている顔だ。マスクでほとんど見えねぇけどよ、目がそんな感じだ」
「………」

洞察力の鋭い事だ、とエルダは呆れ混じりに感嘆する。しかしそんな観察をするぐらいなら体調管理に気を配ってほしいというのが本当のところではある。
そんな彼女の心境を知ってか知らずか、鬼柳はくつくつと力なく笑った。

「…最近はちゃんと気ぃ付けてたんだがな」
「え」
「エルダのそんな顔、見たくねぇから」
「…素敵な殺し文句ですね」
「本心だ」
「じゃあどうしてまた倒れたんですか」
「………」

ぐっと口を噤み、鬼柳は困ったように両目を細めてエルダから視線を逸らした。エルダはしばらくその表情を見ていたが、やがて溜息を吐いてもう一度鬼柳の頬を撫でた。

「…身体、丈夫じゃないんですね」
「…あぁ…一年通して、何もない日の方が少ねぇぐらいだ」
「……そうですか」

エルダは溜息混じりに頷き、手を離して鞄を持つと立ち上がった。

「…鬼柳さん」
「ん」
「診療所、閉めてきます。…今日はこちらに泊めてもらってもいいですか?」
「…別に構わねぇが…何でだ?」
「看病します」

それだけ言って、鬼柳が返事をするより早くそそくさと玄関へ向かった。少し遅れてドアを開閉する音が聞こえる。残された鬼柳はぱっちりと瞬き、ふ、と微笑んだ。

「…ありがとうよ」

彼女が来たらもう一度、ちゃんと言おう。軋む身体をもぞもぞと動かし、楽な姿勢を見つけながら鬼柳はひっそりと決意した。



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