ワイルドローズを花瓶に
父はとても喜んだ。王族に名を連ねる事ができるのはとても名誉な事だと笑った。
母もとても喜んだ。私達のような位の低い者でも迎えて下さる王子は素晴らしい人だと笑った。
私は―――死にたい、と思った。

「私の正妃になる者は、強くなければならない」

ある晩餐会で壁の華を決め込んでいた私の下へやってきて、挨拶さえせずにマークス王子はそう仰った。
余所行きの笑顔を貼り付ける間もなく、私はマークス王子を見上げた。極細のシルクで編んだような金糸の御髪の下で、王室に献上されるような極上のガーネットと同じ色をした瞳が、真っ直ぐに私を捉えていた。

「自分の心身を守る事ができるのは当然として。知識を持ち、自制心を持ち、共に大局を見据えられる者でなくてはならない」
「…マークス様。おそれながら…それは、私に仰せになるべきではございません」

マークス王子の言葉の切れ目に絞り出した声が酷く掠れていたのを覚えている。マークス王子が、律儀な事に口を噤んで、私の言葉を待って下さったのも、覚えている。
凝り固まった顔の筋をどうにか動かして、私はようやく、にっこりと笑みを浮かべる事ができた。

「私の家は、貴族とは名ばかりの、下賤なものです。私は他の姫君と比べましても、知識も教養もありません。大局を見るどころか、今日を生きる事が精一杯です。もしそういった女性をお求めなのでしたら、他にもっと相応しい姫君がおられるはずです」

口早にそう言っても、マークス王子の表情はややも変わらなかった。私にお声をかけられた時と同じ、眉間に皺の寄った険しい表情でそこにおいでだった。
マークス王子は私の主張を聞き終え、一つ厳かに頷いた。

「知っている。お前の家が傾きかけている事も、そのせいで常時は平民と変わらぬ生活を余儀なくされている事も、よく知っている。その上で、私はお前に声をかけた」
「………」
「お前は自分で言うほど、暗愚ではない。それどころかレオンに引けを取らぬ聡明さを持っている。それに、弓と槍に長けているだろう。それもカミラにも劣らぬ腕前だ」
「…マークス様は誤解なさっておいでなのですわ。私はそんなにできた人間ではございません。そのように比較しては、カミラ様やレオン様のご不興を買いますよ」
「いいや」

マークス王子はゆっくりと首を横に振った。そして私の目を真っ直ぐに見て、こう仰った。

「ナナシ。私はお前をずっと見てきた。―――私の正妃はお前だと、決めている」

両親が亡くなったら爵位を返上して一平民として生きようと決めていたのに、それまでは両親と静かに暮らそうと思っていたのに、私のささやかな決意は暗夜第一王子の決心の下に砕かれた。
けれども両親が嬉しそうに笑うから、とても嬉しそうに笑うから、私を祝福するから、私の退路はもう存在しなくなっていた。
こうして、望みもしないのにつつがなく進められた婚儀の後、私はマークス王子に呼ばれた。婚礼衣装から簡素な、それでいて仕立ての良い服に着替えた私は、断る権利も持たないから仕方なく応じた。

「…ナナシ。私を恨んでいるか?」

同じく婚礼衣装から着替えを済ませていたマークス王子は、あの時と同じように挨拶もなく直球に問いを投げた。私はじっと黙り、言葉を選んだ。

「…恨んではおりません。マークス様が私に王妃としての器量を見出して下さったのでしたら、そのご期待に応えるべく精進するのみです」
「…だが、お前は」
「マークス様」

眉根を寄せ、どこか心苦しそうな表情を浮かべたマークス王子の言葉を、私は遮った。
マークス王子の口から零れ落ちる高潔な言葉は私の心を檻の中に閉じ込めてゆく。そうするのだったら生涯そうしてほしい。ご自身で組み上げた檻を、ご自身で壊すような真似をしないでほしい。
あの時と同じく律儀に口を閉ざしたマークス王子の、上等なガーネットのような目を真っ直ぐに見据えてから、私は口を開いた。

「私は未熟です。王妃に見合う身分も持ちませぬ。ですが努力いたします。民に、マークス様に、ガロン王に認めて頂けるような、良き王妃になりましょう。そのために―――お願いがございます」
「…私の力の及ぶ事であれば、叶えよう」

私が少しでも恋慕していたら、厳かに頷くマークス王子に心を痛めたかもしれない。この人を好きになる努力をしようと思えたかもしれない。しかし私には、それができない。
足を引き、膝を折り、断頭を待つ罪人のように、私は頭を垂れた。

「私の父母はもう老いております。召使を雇う財さえあの家にはございませぬ。どうか、父母に情けをかけて頂きたいのです」
「………」

マークス王子がぐっと黙り込んだ。私は垂れ下がる髪の下で、眠るように目を伏せた。
良き王妃になるために、などと尤もらしい事を言った。しかし、マークス王子がこの条件を呑んで下さらなかったからといって、離縁する資格など私にはない。まして王妃としての努力を投げようものなら、この暗夜で生きてはいけない。
けれども―――これぐらい、願ったっていいだろう。どうせ思い通りにならないのなら。引きずられるように、二度と出られぬ籠の中に投げ込まれるのなら。

「…尽力しよう」

マークス王子は重く承諾して下さった。私の口から細い溜息が零れ落ちる。
私の生き甲斐はこの城ではなく、生まれ育ったあの家にある。マークス王子はそれを守る努力をすると約束して下さった。それだけの誠意は、見せて下さった。
その約束が明確なものでなかったとしても、帰る事を許されぬ私にはそれを信じる事しかできないのだ。

「…ありがとうございます」

深く深く頭を下げて、私は心の伴わない言葉をマークス王子に向けた。
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -