奇妙なりや
ナッシュが側にいる事を命じれば黙って傍らに控え、待機を命じればどれほど長い時間でも微動だにせず待ち続け、ナッシュが是と言うものに非と答える事はない。
ナナシとはそういう、度し難いほどの従順さを持つ存在だった。
いかに王として戴かれる立場にあるとはいえ、ナッシュを諫める者はいる。片割れであるメラグは無論、気の置けない友であるドルベにしろ、自身の考えとナッシュへの気遣いに基づいた諫言を呈する事は往々にしてある。しかしナナシにはそれがない。
生き人形の如きナナシの在り方はナッシュにとって気色の悪いものとしか言いようがなかったが、しかし彼はこと彼女に対しては奇妙なほどに凪いだ心境で接していた。

「ナナシ」

ナッシュが呼びかける。ナナシが振り返る。視線が合ったのを境に、彫像のようにナナシが静止する。

「こっちに来い」

言葉と共に手招きする。彼女は少しく首を傾げ、ぱちりと瞬いてから「御意に」と頷いた。女にしては低く、常からやや掠れているその声を、ナッシュの耳は心地良く捉える。
ナッシュの傍までやってきたナナシは、当然のようにその場に両の膝をついて頭を垂れた。美しく柔らかな色彩の髪が揺れるのを見下ろして、ナッシュは緩やかに目を細めた。

「…いちいち跪くな」
「……、…はい」

少しの間を置いて、ナナシは顔を上げ、次いで両脚を伸ばして立ち上がった。挟んだ沈黙は不満そうなものでしかありえない。
ナッシュをどこまでも盲信するくせに、彼女にはこういう、従順でありながら反抗的な部分が散見されるのだが―――まぁ、今は関係のない話だ。

「手を出せ」
「はい」

ぬらりと生白い両手が差し出される。メラグと同じように細く丸みを帯びたその掌に、ナッシュはさやかな音を落とした。手の器を引き戻したナナシが、与えられたものをまんじりと眺める。
赤と青紫の遊色が美しい紡錘形の玉を細い銀の鎖に連ねたペンダントだ。

「…首飾りですか」
「お前にやる」
「……では、追加の業務を?」
「いや。よく働いてるから、その褒美だ」

どことなく釈然としない面持ちで、ナナシはナッシュを見つめた。

「私は命ぜられた事をこなしているだけですが…よろしいのでしょうか?」
「あぁ。俺がそうするに値すると判断した。わかるか」
「ナッシュ様の直々のご判断でしたら、光栄の至りです」
「なら素直に受け取れ。いらねぇなら売ってもいい。西国の硝子だ、それなりの金にはなる」

ナナシは何か言おうとして、しかしすぐに口を噤んだ。じっと考えるように視線を伏せ、沈黙する。
やや気の短いナッシュが急かすまでもなく、彼女は再び顔を上げた。

「…ありがとうございます。とても嬉しく、思います。なので…売りません」

それは何とも彼女らしい、律儀な返答だった。頭を下げる代わりのように、ひらりと不可思議な遊色を湛えたそのペンダントを、やや日に焼けた細い首にかける。銀色の鎖は小麦色の肌によく映え、同じく銀色の台座に収まった遊色は殊更に美しい。
首元を空けるように俯いていたナナシはトップの位置を調整してから顔を上げた。少しの間を置いて、みずくらげがかさを広げるように、彼女は柔らかく微笑んだ。

「本当に、ありがとうございます。大切にします」
「あぁ。…呼び止めて悪かったな、仕事に戻っていい」
「仰せのままに」

ナナシは今度こそ深く頭を下げ、それから足音もなく踵を返して場を辞した。首の後ろに手を回して、ペンダントを服の中にしまうのが見える。
―――ナッシュの直属とはいえ一介の侍女であるナナシが贔屓される事を、あまり快く思わない者が一定数いる。ナッシュ自身は勿論、メラグもそれとなく牽制する事はあるが、用心はしておけ、と命じた事がある。彼女はそれを律儀に守っているのだろう。そのくせナッシュから与えられるものは、どんなものであれ、拒もうとしない。先ほどのように、稀に反抗的な表情を見せるが、それだけだった。

(やはり、変な女だ)

玉座の肘掛けを指先で漫然と叩いて、ナッシュは小さく笑んだ。
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