アレキサンドライト
「ジン、ちょっといいかな」

薄いフレームの眼鏡越しに読書に耽る同級生の机をこつこつと叩く。あまり他者を大事にしないという一点を除けば間違いなく傑物である彼にこんな風に接するのは、私ぐらいのものらしい。碧眼がゆっくりと上向くのを出迎える。

「…ナナシ。何だ」
「手伝ってほしいの」

懐妊中の教師から荷物運びを頼まれたものの、重量はさておき量が多いと聞いたのだと付け加える。身重の女性に力仕事をさせるのは忍びないし、多量と聞けば一人で運ぶのは少し面倒だった。しかし私の交友関係は非常に狭く、こんな風に頼み事をできるぐらいの関係を築けたのは同学年ではこの気難しい生徒会長ぐらいしかいない。
そのジンは気怠そうに目を細めはしたが拒否をする事はなく、栞を挟んだ本と眼鏡を収めたケースを鞄に突っ込み、静かに椅子を引いて立ち上がった。

「ごめん、ありがとう」
「いいからさっさと終わらせるぞ」

いかにも面倒臭そうにそう言うくせに断らない。意外に律儀で、ある程度内側に入れた相手に対してはとても優しいというのが、彼を兄と慕う赤毛の可愛らしい後輩との共通認識だ。
連れ立って教室を出て、職員室に向かう。会話がない事は気まずくない。むしろ私はさほど口の回るたちではないから、下手に気を回して話す必要のないジンは良い相手だった。
昼の長い休み時間とあって廊下は騒がしく、未来の統制機構衛士とは思えない無邪気な声が飛び交う中を私達は黙々と歩く。職員室に着いてかの教師から荷物を預かり、指定された教室まで運ぶ。
丁度下級生の教室が並ぶ階に来た時、朗らかに透き通る声が私達を呼び止めた。

「ジン兄様、ナナシ先輩」
「ん。あ、ツバキちゃん」
「ツバキ」

抱えた荷物に視界を遮られながら振り返った先では、彼女と同じ名前の花で染めたような椿色の髪を上品に流した少女が冬の曙のように美しい青を湛えた瞳を輝かせて立っていた。その整った顔立ちは、しかし私達の手にある荷物を見てきょとりとあどけなく疑問に彩られた。

「そのお荷物は?」
「先生に頼まれたの」
「僕はこいつに付き合わされた」
「ジン」

義妹の前とあっていくらか気の緩んだジンに軽く蹴りを入れる。無論、そんな程度でよろけるような相手ではない。
そんなやり取りを見て小さく笑って、愛らしい後輩は私達の手の上の荷物に白い手を伸ばした。

「お手伝いします。お二人では大変そうですから」
「でも、お友達呼んでるよ」
「えっ? …あ」

行儀悪く顎で指した先、大きな栗鼠の尻尾が特徴的な少女が手を振っていた。私あるいはジンと目の合った彼女はへこりと頭を下げた。美しい赤毛の後輩は闊達な友人に手を振り返し、それから私達に向き直ると申し訳なさそうに頭を下げた。

「そうだ、ごめんなさい。約束があったんでした」
「気にしないで。ね、ジン」
「あぁ。これはこいつが勝手に受けた仕事だ。ツバキが気に病む事はない」

人はこれを減らず口という。そして憎まれ口ともいう。もう一度ジンに蹴りを入れて眼前の少女を笑わせる。花の少女は笑いながらも再び折り目正しく礼をした。

「それじゃあ失礼します、兄様がた。お気を付けて」
「あぁ」
「ありがとう」

簡単に挨拶をして彼女と別れ、階段に足をかける。さっきまで心地よかった沈黙を勝手に気まずく思ってしまっているのは私だけだろう。
あの子はジンを兄と呼ぶ。ジンもあの子を妹と言う。揃って鮮やかかつ品のある出で立ちをした二人は贔屓目を抜きにしても仲睦まじい。その光景が、心に刺さった。大切な友人と後輩に何を考えているのかと自分でも呆れるが、その理由である感情を自覚してそれなりに経つ。彼あるいは彼女、どちらか一人と話すだけならそうでもないのに、これだ。
目的の教室に荷物を置いて、量の多さから少し反り気味に固まってしまった身体を解しながら、私は口を開いた。

「ジンはツバキちゃんの前だと態度が柔らかいね。ツバキちゃんもジンの前だと本当に子供みたい」
「…それがどうした」
「少し羨ましい」

その羨望は単なる兄妹への憧れに納まるようなものではない。飢餓、渇望―――嫉妬。そういった、もっと貪欲で的外れなものだ。
しかしこれを口にするつもりはない。口にしたところで解決する問題ではないし、そもそも同じものが返らない事を私は知っている。
どこまでも冷淡なくせに性根は心優しい友人が、どこまでも純粋に彼と私を慕ってくれる後輩が、そのどちらもが私にとっては慈しむべき対象なのだ。これ以上を求めてはいけない。

「美男美女っていいね」
「さっきから意味がわからん」

同じく身体を解していたジンが眉間に皺を寄せた。吐息と共に身体から力を抜いて、私はぎこちなく笑った。

「仲良き事は美しき事、って思っただけだよ。流していい。…手伝ってくれてありがとう。戻ろうか」

ジンに反論をさせず、私はわざと足音を大きく立てて廊下へと踏み出した。ジンの鋭い視線が刺さっているのは、そんな気がするだけではないはずだったが、気付かないふりをした。
彼も、彼女も、何も知らないままでいい。知っているのは私だけでいい。
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