相互餌食
※とても不健全。







私は彼の餌である。本来なら死に得る者の血を欲する種のくせに、彼は同じく不死者である私の血を好んでいる。とはいえこれに関しては私もそうなので、深くは言わない事にしている。つまり私は彼の捕喰者でもある。

「ナナシ」

こいこいと手招きをされ、私は船長たるナイトミストに歩み寄った。船長用の豪奢な椅子に腰掛けてじっとりと気だるそうに私を見上げる赤い双眸を見て、そういえば最後に食事をしたのは数ヶ月前だったな、と思い出す。いつもの船長帽も古びたコートもなくラフな出で立ちの彼は、断言の語調で問いを投げかけた。

「腹ァ減ってンだろ」
「ん、そうね。思い出したら減ってきた」
「オラ、喰え」

ナイトミストはタイを解き、乱雑にシャツのボタンをいくつか外すと粗雑な仕草で首筋を差し出した。深海の漆黒を湛えるたっぷりとした黒髪と青白い肌が強烈なコントラストをなしている。とん、と黒塗りの爪が指したそこを見て、ぐらりと視界が揺らいだ。
内蔵した空気を全て吐き出した風船のように、胃袋が、頭の中が、ぺしゃりと潰れるような感覚。あぁ、あの無粋な侵略者との戦闘で忘れていたが、とても空腹だ。そう認識してしまえば行動は早い―――などという事はなく、私はある事に思い至った。私がしばらく食事をしていない、これ即ちナイトミストもそうではないのか、と。

「ナイトミストもお腹減ってるんじゃないの?」
「…いや? オマエよりゃマシだ」
「えっ」

予想外の返答に間抜け面を晒す。端整な顔立ちににやにやと下卑た笑みを浮かべたナイトミストは、「何だ、気付いてねェのか」と愉快そうに目を細めた。

「寝てる時は反応悪かったな」

それだけで理解する。そういえば、妙に気だるかったり、妙に身体が熱かったり、妙に下半身が重かったりする状態で目が覚める事がたまにあった。なるほど、つまり彼は私が眠っている間に摘み喰いをしていたのか。

「まァ。血にしろ精気にしろ、ここ最近はヒデェ味だったが」
「…睡姦の趣味があったなんてびっくりだわ。流石は船長、略奪のやり方も突き抜けてるわね」

間接的に、だが。性行為もされていたと暴露され、私は棒読みで彼を讃えた。彼の事だ、どうせ眠っている私に更に魔術を施して絶対に起きないようにしたのだろう。きっと、私がまともに彼を喰わずにいられたのはそれが理由だ。意識がないからダイレクトに彼の精気を受け取れて、そのせいで空腹は紛らわされていたのだろう。私達はお互いの血だけでなく、精気も食事とする事ができる。
話が逸れたが、とにかく彼の腹は満たされているらしい。釈然としない気持ちを溜息として吐き出して、「ほら」と再度晒された、男にしてはあまりにも細いナイトミストの首筋を見やる。
もう一度溜息を吐いてナイトミストの膝の上に跨り、抱きつくようにして首筋に顔を近づけた。久方ぶりの食事だと認識すればがっつきたくもなるものだが、それは彼に負担をかけるし、私だって食事のマナーぐらいは守りたい。ので、唇がそこに触れる寸前で一度止まって、目を伏せた。

「…頂きます」

一言告げて温度のない首筋に唇を押し当て、何度か軽く吸い上げてから噛み付く。死に得る者達のような温度を持たず、ただただ形を作るためだけに作られている血。彼の、血。突き破った皮膚の下から零れたそれが、口の中に。舌の上を転がる。旧い吸血鬼の血は、膨大な魔力を孕んでいる。重くどろりとしていて、普通に考えればヒューマンより舌触りの悪い血、だが。

(…おいしい……おいしい、美味しい)

ナイトミストの血は私にとっては唯一にして最高級の食事だ。私の血が彼にとってそうであるのと同じように。もう年若い童貞処女の血だって受け付けない。以前はあれが一番美味しい食事だったのに、今では彼の血でなくては駄目なのだ。そういう生態だとはわかっていたが、何だってこんな旧い男の。いや、私は私で、見た目はさておき中身は彼と同等の旧い存在だから、彼だって、どうしてこんなヤツのと思っているだろう。それも割り切って、今ではもう楽しんでしまっているようだが。
顎に力を込め、より深く牙を突き立てる。溢れる血が増え、私の口の中から零れそうになった。一度牙を引き抜き、じゅる、と品のない音を立てて啜る。

「…忘れてた分際でがっつくじゃねェか、暴食が」
「…んー……、…ごめんね。思ったより、お腹、減ってるの」
「当たり前だ。オレが呼んでなきゃ飢え死にだ、っ…ぐ」
「…んふ。……んぐ…ちゅ、る」

罵倒の言葉を頂戴するより早く吸血を再開すると、余裕のない吐息が落ちた。いい気味だ。いろいろと仮があるから、少しぐらい、やり返させてほしい。私とて略奪の欲があるからこそ、この船に乗っているのだ。
べろりとナイトミストの首に作った歯形を舐め上げ、もう一度牙を立てる。このひんやりとした肉を喰いちぎってしまいたいところだが、流石にそれはやりすぎだろうからやめておく。代わりにきりりと顎を揺らし、傷口を広げた。そうして、更に量の多くなった出血を、余さず飲み干す。ずず、と、ともすれば卑猥な音を立てるのも忘れずに。
どれほど啜っただろうか。ようやく腹が満たされて、何度目か傷口を舐めた。ゆっくりと、ゆっくりと、噛み跡から滲む血を一滴も逃さないように、時間をかけて。吸血の終わりを意図するその行為は、規則正しく並んだ穴を綺麗に消していった。

「…ご馳走様……はぁ、美味しかった…」
「みてーだなァ。で、満足か?」
「イマイチ。あ、お腹はいっぱいになったけど、別の意味でね。そっちもでしょ、船長?」

ニィと笑ってナイトミストを見上げ、はだけている鎖骨に指を這わせる。ベルスリーブの袖が微かに掠るように。微かに身震いしたナイトミストも愉しそうに唇の端を吊り上げ、私の戦装束でもあるアンティークドレスの裾をうざったそうに軽く捲り上げると、その中に手を入れて私の内腿を撫でた。豪奢な仕立ての長い袖が、その袖を絞る黒いリボンが、彼の手と同じように腿を擽る。

「ま、なァ。オマエに吸われンのも久方ぶりだ。…足りるわけねェやな」
「ふ、ふふ、そうだと思ったわ、うふふふふ」

挑発的に微笑むナイトミスト。平時より明らかに高い体温。淫靡に触れ合う低い温度。
官能にぞくりと背筋が粟立つのを感じて笑いを零しながら、私はナイトミストの頬に手を添えた。とろんと目を細め、彼の色のない唇に吸い付いては舌を絡め合う。両手をそろりとナイトミストの首の後ろに回すと、太ももと腰を支えるようにして抱き返された。

「ん、っふ……はぁ…」
「…くふ」

どろどろした口内から舌を引き抜きつつ離れて、蠱惑的に微笑むナイトミストに笑みを返す。腿を這う指先が、そこから長く伸びる黒い爪が、私の下着の縁を際どくなぞった。それだけで、触れられたところがじりじりと熱を帯びた。まるで、炙られているよう。
急かすようにナイトミストの服を脱がしにかかると、これまた愉快そうに彼は喉を鳴らして嗤った。

「…どっちが喰われたンだかわかりゃしねェな。盛りやがって」
「私達に限ってはどっちが喰べられるかなんてどうでもいいんじゃない?」
「は、それもそうだ」

きぃ、と椅子が軋んだ。調律の行き届かない弦楽器が立てる音に似ている。次いで微かな浮遊感を覚えた次の瞬間には私は床に転がされ、ナイトミストに組み敷かれていた。艶やかな闇色の髪が緩やかに零れ落ち、床に広がる私の髪に絡んだ。

「床でするの?」
「ア? イイだろ別に」
「ベッドがいい。床だと身体が痛くなるもの」
「面倒臭ぇな。誰がその気にさせてンだよ」
「間違いなく私よね」
「おう」

躊躇なく頷いたナイトミストの名誉のために言っておこう。彼はただ単に盛りがついたのではない。
私達ヴァンパイアの吸血行為には性的快楽が伴う。それは何の耐性もないただのヒューマンが相手なら、中毒にしてしまいかねないほどの強いものだ。そこまではいかないが、私達自身にもその効果は現れる。加えてヴァンパイアという種はとても厄介で、心から愛した相手ができると、その相手以外から血を吸っても美味しく思えなくなったり、そもそも栄養にさえならなくなったりしてしまう。もっと厄介なのは、というか役得なのはというか、愛した相手の血を吸うとその相手には通常とは比較にならない性感が行く事と、自分自身も発情する事だ。
つまりだ。ナイトミストが私を摘み喰いしていた時に、私が情事後のような感覚と共に目覚めていたのは、別の意味で摘み喰いされていたのもあるが、吸血の副作用が原因だ。私は眠っていても尋常でない快感を頂戴していて―――下世話な話だがナイトミストは吸血も性交渉も凄く上手い―――私を捕喰する度にナイトミストは発情していたのだ。ついでに、今し方私に捕喰された事でも発情している。これは私も同じだ。彼を喰べた事で発情している。
その証拠とばかり、面倒だと言っておきながらじんわりと情欲を滲ませて笑うナイトミストはやはり愉しそうだ。止めたって意味がない事はよくわかっているので、好きにさせる代わりに、いくらかの条件を提示する事にした。どうせ、私だって吸血の反動でそろそろ我慢が利かなくなってきているのだ。楽しむに越した事はない。

「…もういいけど、明日はこの部屋で休ませてね。あと私を最優先にして、甘やかして。それから―――んぅ」

言葉の途中で唇に文字通り噛みつかれた。そこからほんの数滴、血を取られる。ぞわぞわと鳥肌が立つのを感じながら、ぺろりと唇を舐めて離れたナイトミストを見上げる。面倒臭そうに目を細めながら、隠す気のない情欲に笑みを浮かべた表情。存外喜怒哀楽の激しい彼らしい表情だ。

「…うだうだとうるっせェ。早ェ話、明日一日オマエの機嫌取りゃァイインだろが」
「うふ、話が早くて助かるわ」

にんまりと笑いながら緩く膝を立てて、ナイトミストの腰をごく軽く挟むようにして拘束すると、獰猛な笑みが返された。





(ヴァンパイアの生態に関しては俗説に加えて捏造も含んでおります)



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