先頭の娘
「ナッシュ様」

遊馬に負けて、消滅を迎えて。先に消えてしまったドルベやメラグ、他の七皇にも、会いに行こうとして。…その道中―――道、と言えるほどのものはなかったが―――ウェーラがいた。

「な、ん…ウェーラ、お前…どうして」

どうして、ここにいるんだ。お前はここにいるはずがないだろう。お前は人間で、まだ14年しか生きていなくて、前世の記憶だって、取り戻して1日と経っていないはずなのに、お前はまだまだ、人間として、生きていられるのに。
疑問は何一つ言葉にならず、ウェーラがくつくつと目を細めて浮かべた笑顔の意味だって、拾う事ができない。

「…今度こそ、最期までナッシュ様に添い遂げます」

ゆったりと、記憶の中のそれとほとんど変わらない、柔らかな笑顔で言われたのは、記憶を取り戻した俺が、情けなくも泣いて縋りついた時に言われた事と、同じだった。

「……お前…」
「恋は盲目とはよく言ったものだと思われません?」
「何が、言いたい…?」
「わたくしは…本当ならもっともっと、この世界で長く生きるはずなのでしょう。ナッシュ様は、きっと、それを望んで下さっておられますね?」
「………」

ウェーラらしからぬ脈絡に欠けた文章の意図は、やはり今の頭では理解ができない。ただ、最後の問いかけにだけは頷いた。
あぁ、確かに俺は、ウェーラに人間としての生を全うしてほしい。いつもウェーラ一人だけを想っていられず、それどころか何度も置いていこうとしてしまうような俺の事など、いい加減に切り捨ててほしかった。それでも尚、記憶を取り戻して最初にウェーラに会いに行ったのは…どうしても、ウェーラの顔を、見たかった、から。

「でも、ナッシュ様。貴方がこうしてわたくしを置いていこうとなさるのはもう3度目です。…無礼を承知で申し上げます。いい加減になさいませ? 一体、何度わたくしを置き去りになされば気が済むのです? 貴方がお一人で背負おうとするものはいつも大きすぎて、重すぎます。何故それを誰かと共有しようとなさらないのです? わたくしはそういうところがナッシュ様の短所だと、昔から思っておりました。それに、痛い目を見ても学習なさらないどころか、学習なさっても同じ事を繰り返していらっしゃいますし。見ていて呆れてしまいます」
「…なら、早く帰れ。学習しねぇ上にその短所を直そうとしねぇ男の事なんか、さっさと切り捨てろ。そしてお前を置き去りにしねぇで、背負ったモンも適当に共有できる男を探せ」
「嫌です。今まで散々振り回されましたもの。これでまた手を離すなんて無責任にもほどがあります」

俺への罵倒の言葉を繰り返しながら、ウェーラはやはり穏やかに―――楽しそうに、笑っている。…おかしい。こいつは、怒った時は笑わなくなる女だった。激して怒鳴る事もなかった。ただ表情と声音から一切の情感を消し去っていた。つまり、何だ。こいつは、怒っていない、のか。

「…ねぇ、ナッシュ様。ナッシュ様がわたくしを置いていこうとなさるのはわたくしを危険に巻き込まないためでしょう。大きすぎて重すぎるものをお一人で背負おうとなさるのは、ご自分以外を同じ苦しみに巻き込みたくないと思っておいでだからでしょう。痛い目を見ても学習なさらないのは、学習なさっても同じ事をなさるのは、わたくしを巻き込みたくないとお思いだったからでしょう」
「自惚れんな。お前は俺の妃で、俺とメラグがいなくなったらあの国を導くべき立場にあった。今は…お前はバリアンじゃねぇ、ただの人間だ。傍に置いても邪魔になる。だから置いていった。それだけの事だ」
「バレる嘘は仰らないで下さいな。共に過ごせた時間こそ短いものでしたが、それでもナッシュ様が損得ばかりで動けるほど器用な方ではない事ぐらい存じ上げております」
「何でもかんでも都合よく解釈してんじゃねぇよ。…イラッとするぜ」
「私は神代凌牙くんのそんなところも大好きだったんですよ?」

突き放すような俺の言葉に動じるどころか、敬語というところだけを除けば年相応の口調で返す辺り、この女は性質が悪い。
こいつは昔からそうだ。俺がどれだけ本音を隠そうが、それだけ建前を並べ立てようが、奥底に隠した本心を事もなさそうに汲み取って、その上で俺に従い、反発し、自分の意見を述べる。そんな奴、俺の周りにはいなかったのに。こいつの存在は希少で、俺にとっては何よりも心安らぐ存在だった。
そんなだから心の底ではウェーラを連れて行きたいと思っていたが、それはできない。俺は二重、三重ぐらいの意味でもう死んだ存在だが、ウェーラはまだ生きている。バリアンとの戦いに巻き込まれた事もない。まだ、人間として、生きていられる。だから、連れて行ってはいけない。
溜息を吐いて俺はウェーラから視線を逸らした。いつの間にか混乱は風に吹かれた雲のように失せていた。

「ナッシュ様。先ほども申し上げましたが、恋は盲目とはよく言ったものです。わたくしはもう待ちくたびれました。置いていかれるのももう嫌です。だから―――わたくしは、ナッシュ様と共に参ります」
「駄目だ。帰れ。…これ以上は、帰れなくなるぞ」

もうすぐ俺達の立っている場所は消える。俺は人間としてもバリアンとしても生を終える。ウェーラは…年齢を考えれば、病気や事故にでもあわない限りは、あと数十年は生きていられる。
だが、あろう事かウェーラは笑顔のまま首を横に振ってこうのたまった。

「無理です」

…せっかく落ち着きかけていたのに、また盛大に混乱した。無理って何だよ。眩暈さえ覚えてこめかみを押さえる。落ち着け。こいつは今、感情に流されてそう言っただけだ。実際は無理だなんて事はないはずだ。こうなったら強硬手段に出てでも帰すべきか。
返すべき言葉を捻り出そうとしている俺の耳を、ウェーラの声がまた刺激した。

「わたくし、身体を捨てて参りましたもの」
「…おい」

身体を捨てた。つまりそれは、自殺した、という事か。記憶を取り戻したという事は、人間だった時のメラグが不本意とはいえ身を投げた事を知っているはずだろう。

「何故そんな事をした?」
「貴方に嫌と言わせないためです。わたくしが生きられる存在であればこそ、ナッシュ様は頑なに『帰れ』と仰るでしょう。だったら退路を断ってしまおうかと思いまして。…再三申し上げますけれど、恋は盲目とはよく言ったものです。わたくしはナッシュ様と共にいるためなら何でも投げ打ちます」
「……お前は…っとに…」

遠い遠い記憶、俺に嫁いで半年と少し経った頃のウェーラが、城を抜け出した俺を追って一人で出てきた時の事を、思い出す。あの時もこいつは俺の事だけを考えて―――と言うと聞こえは良いが、実際はそれ以外の事を何も考えていなかっただけだ―――突拍子もない行動をした。普段は大人しいくせに、妙なところで妙な行動力と果断さがあって、俺はそれに振り回され続けた。だが、今回のこれはそう簡単に許してやれない。いろいろと無茶をやらかしてきた俺が言える事ではないとしても、だ。
とはいえ―――もう、本当に時間がない。無理にでも帰す算段を整えていたが、ウェーラにはもう還るべき身体がない。こいつは時々詰めの甘いところが目立つが、今回の事に関してはそんなものは期待できやしない。

「…ウェーラ」
「はい」
「後でメラグとドルベからも説教くらってもらうぜ」

細い手を掴んで軽く引けば、ウェーラは微かに目を丸めた後で喜色満面に笑った。

「まぁ…メラグ様とドルベ様もいらっしゃるの?」
「あぁ。騎士達もいる。そいつらからも怒られるだろうな」
「えぇ、えぇ、喜んで。お説教ぐらい、いくらでも受けます」

そう言って何度も何度も頷くウェーラと連れ立って歩いていく。

「おかしな奴だ。これから怒られるってのに」
「そうですね。ですがわたくしは、これからナッシュ様と共にいられる事が嬉しいのです。怒られるぐらい、どうという事はありません」
「そうかよ」

素っ気無い態度になるのは、俺の悪癖だ。ウェーラを帰せなかった悔いよりも、ウェーラが自殺した事への怒りよりも、俺だってこれからウェーラと一緒にいられる喜びの方が明らかに勝っていて、それを表になど出せないから、素っ気無く、してしまう。
もし許されるなら。もしできるのなら。昔ではできなかった事を、今から取り戻せないだろうか。そもそも俺はウェーラと会話した事があまりない。人間のナッシュとして生きていた時は政務を終えてから眠るまでの短い時間でしか話す事がまずなかったし、バリアンに転生してからはウェーラの事を忘れてしまっていたし、神代凌牙として生きていた時にこいつと言葉を交わしたのは一度だけだった。だから、他愛ない話をするぐらいは、許されないだろうか。
妹を含めた6人の影が遠くに見える。…そうだ、まず、あそこまでの距離を、雑談で埋めてみる、か。
ウェーラの手を緩く握り直すと、ウェーラは嬉しそうに笑みを咲かせて指を絡めた。
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