お忍び遊び
(…なァんでこんな事になってんだろうな?)

肩にもふもふとした薄金の毛並みを感じながら、鬼柳は心中で溜息を吐いた。勿論、口から発せられたものではないから大気は震えない―――はずだったのに、肩に乗った幼い妖狐は文句を言わんとするように二尾を揺らした。指先を伸ばして喉から耳にかけての小さく細い輪郭をカリカリと掻いてやると、機嫌が良くなったのか尻尾がすとんと下ろされた。
暇ができてジャックのいる社に赴いたはいいものの、彼は遊星を依として麓に降りてしまっていた。いつものように留守を言いつけられたのだというナナシは小さな唇を尖らせて静かに怒気を放ちながら、義兄の残した式神達の丸い身体をむにむにと摘んで不貞腐れていた。
触らぬ神に祟りなしとはいうが、元来面倒見の良い性格の持ち主である鬼柳がそんな様子の少女―――それも気の置けない友人の義妹だ―――を捨て置けるはずもなく声をかけてから、まだ四半刻も経っていない。しかし鬼柳はどっと疲れていた。
外に出してくれと言うナナシと、後でジャックに怒られるのはたまったものではないと思う鬼柳が口論を続ける事しばらく。痺れを切らしたナナシが狐の姿で鬼柳の狩衣の袂に入り込み、慌てて引っ張り出そうとする彼の手をことごとくかわして、最終的に尻尾で締め上げんばかりに首に巻きついて―――そこで鬼柳が折れた。言い出したら聞かないナナシの気性は、きっとジャックに似たのだろう。そうだと思いたい。

「…日暮れまでには帰るからな」
『わかってるよ、何回も聞いたもん』

ばふばふと器用に左右の目元を二尾ではたかれ、鬼柳はナナシの首根っこを掴んでべりっと引き剥がした。ぷらーんと吊るされたナナシが物言いたそうに淡紫の瞳を眇め、鬼柳は緩く溜息を吐いて金の目を細めた。

「お前らの社に、じゃねぇぞ? そんな悠長にしてたらオレがジャックに殺されるからな」
『わかってるもん』
「ならいい。…で、どこに行きてぇんだ?」

肩の上にナナシを乗せ直して問えば、彼女はふわふわと尻尾を揺らして小首を傾げた。性格の苛烈ささえ無視すれば、彼女はとても愛らしい。

『…鬼柳のおうちとか』
「お前よっぽどオレを死なせたいらしいな!?」

狐は蛇や鴉と違って鼻がよく効く。山以外の場所や鬼柳の匂いが移るだけならばジャックは顔を顰めるだけだろうが、これで鬼柳の家の匂いまで移ったら。あれでなかなかこの幼い妖狐を溺愛しているジャックの事だ、本気で鬼柳の首を落としにかかりかねない。
思わずと声を荒げた鬼柳に対し、ナナシはくつくつと喉を鳴らした。くりくりとした双眸は細められ、どうやら彼女が笑っているらしいと容易に想像がつく。

『冗談だよ。…えっとね、甘いもの食べたい。干菓子買って?』
「…へーへー」

ざり、と鬼柳は思い当たる店に足を向けた。…非常に疲れた、もう帰りたい。
いくらナナシがジャックの妹だからといって、鬼柳が彼女の扱いに慣れているかというとそんな事はちっともないのだ。
ジャックはまだ良い。幼い頃から知った仲だし、見た目の年齢はほとんど同じだし、何より同性だから。高慢なところも多少わがままなところも、笑って流してしまえる程度には仲良くなった。少なくとも鬼柳はそう思っている。
しかしナナシはつい最近知り合ったばかりで―――拾ったと聞いたのは随分前だったがジャックが会わせようとしなかったから―――、異性で、話に多少の食い違いが出る程度には年が離れている。加えて、何故か彼女は鬼柳を嫌っている。厳密に言えば「嫌っている」のではなく「気に入らない」との事だが、あの兄妹に限って言えば双方の言葉に大差がない。正直なところ、…扱いかねていた。
店で干菓子を買ったところ、もっと買えと言わんばかりに顔面を尻尾で叩かれたので2人分ほど追加で購入した。上機嫌に尻尾を揺らして鬼柳の肩をくすぐるナナシの耳の裏を掻くようにして撫でながら、問いを投げる。

「干菓子好きなのか」
『うん。あにさまは嫌いだって言うけど』
「あぁ、そうらしいな。美味ぇのに」
『えー』
「えーって何だ、えーって」
『あにさま、男の人は甘いの苦手って言ってたよ』
「は? オレは甘味が好きだぜ」
『えー』
「おい」

耳の裏から移動させた手で軽く首根っこを摘むとナナシはばふんと鬼柳の顔を叩いた。仕方なく手を離し、袋から干菓子を一つ取り出してナナシの口元に運ぶ。ぱくりとそれをくわえたナナシが器用に口の中でそれを噛み砕くのを視界の端に納めながら、自分用にと買った袋の中から同じように干菓子を取り出して口の中に放り込んだ。
それにしても随分と買わされたものだ。ナナシ一人で食べるには勿論、あの社にいる巫女と一緒に食べるにしても完全に消費するには数日はかかるだろう。まるで―――

「…ん?」

ふと脳裏をよぎった考えに首を傾げ、噛み砕いた干菓子を嚥下した鬼柳はじっとりとナナシに視線を向けた。

「おい、ナナシ」
『むぐ…何?』
「お前まさかこんなに買わせたの」
『あにさまに嫌がらせ。いっつも私はお留守番なんだもん』
「…だよな」

げんなりした。知らずとはいえ嫌がらせの片棒を担がされてしまった。バレたらジャックの機嫌を損ねるだろう事は火を見るより明らかだが、もう買ってしまったものを払い戻す事はできない。溜息を吐いて干菓子をもう一個口にした。甘い、美味い。頬を鼻先でつつかれたので妖狐にも一つ差し出す。

「…一応ジャックを庇わせてもらうがよ。あいつがお前を山から出そうとしねぇのはお前を心配してるからなんだぜ?」

上を向きながらかじかじと干菓子を噛み砕いて嚥下したナナシは『知ってる』と頷いた。

『でもそれなら私を連れてってくれたらいいじゃん』
「そういうわけにもいかねぇだろうよ」
『どうして? あにさま強いよ』
「…お前、他の狐と遊ぶのにジャックを連れて行くか?」
『…あ』
「そういう事だ。あんまりわがままばっか言うなよ」
『月一で「外に行きたい」って言ってるだけだもん。わがままじゃないもん』
「あいつがそう思うような奴じゃねぇって事ぐらい知ってんだろ、お前がもう少し大きくなるまでは我慢してやれ」

窘めるように小さな頭を指先で小突けば、ナナシは微かに尾を膨らませて身震いした。納得はしたが腑には落ちない、という時の彼女の癖だ。ちょいちょいと喉元を引っかいてやればそれもすぐに治まったが、完全に機嫌が直ったとも言いがたい。
いつまでこの気分屋な姫君に付き合えばいいのかと空を仰いだ鬼柳は、まだまだ天頂にも上っていない太陽を視界の端に捉えて溜息と共に目を閉じた。




++++++


なしこ様のリクエストの平安パロ、です。遅くなって申し訳ありません。本当は義妹が大冒険とかそんなお話にしようかと思っていたのですが鬼柳に付き合わせた結果こうなりました。
2周年と銘打ってもう3ヶ月近く。5万打から数えればそこから更に2万打してしまいました。…遅筆にもほどがありますね。申し訳ありません。
ともあれなしこ様、リクエストありがとうございました。



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