ジレンマ
誰かとべったりするのはあまり好きではないのだと、ナナシは言った。それはWが彼女に好意を告げた時に言われた言葉で、それでも良いのならと彼女はWの気持ちを受け止めた。
実際、恋人関係になったからといって、ナナシは必要以上にWと関わろうとはしなかった。Wの休みを問うメールはおろか、朝晩の挨拶さえあれば幸運、といった様子だった。たまに会えたとしても、ナナシはまるで毎日会う友人を相手にするかのような淡々とした素振りを見せた。
そういった態度にWが不快感を覚えた事は一度もない。不用意にべたべたされるよりはずっと居心地が良かったし、やれ毎日メールしろだの週に何回はデートしろだの仕事と私とどちらが大事なのかだの、そういった面倒な事を言われないのはいっそありがたかった。
だからといって不満がないのかと言われれば―――そうでも、ない。

「おいナナシ」
「ん―――っと、と」

雑誌を読んでいたナナシを後ろから抱き寄せると、彼女はバランスを崩しかけた身体を片手で支え、振り仰ぐようにしてWを見た。バランスなんぞ取らずとも、Wが彼女を転がしたり巻き込まれて倒れるような醜態を晒したりするはずもないのに、と思う。

「…何」
「…迷惑承知で言うがよ。ちったぁ構え」
「は…ぁ?」

しぱしぱと瞬いたナナシが首を傾げるのを見て、Wは微かに眉根を寄せた。

「いきなりどしたの」
「…だから、構えって」
「…珍しいね? Wがそんな事言うなんて」

溜息混じりに言われて、やっぱ駄目か、とふつりと諦めが湧くのを感じながら、それでもナナシを抱きしめる腕からは力を抜かない。
「ナナシがWに構わない」。Wの不満というのはこの一点に尽きる。確かにWもナナシも必要以上に引っ付いてああだこうだとするのは好きではない。しかし、Wはだからといって放置されてもいいとは思っていない。
普段からなかなか表情を変えないナナシがどう思っているかを知る術はないし、もしかしたら今こうしてWに抱き竦められているのも彼女は嫌なのかもしれないが、Wの我慢はとうに限界を超えていた。
何が悲しくて惚れた女を前に黙々とデッキの調整などしなくてはならないのか。何が悲しくて惚れた女との会話もなくスケジュールの確認などしなくてはならないのか。何が悲しくて―――惚れた女と関わるのを、我慢しなくてはならないのか。

「いいだろ、別に。構え」

幼子が母親に甘えるような仕草でナナシの肩口に額を擦り付ける。くすぐったいのか拒絶したいのか、ナナシは微かに身じろいだ。

「…具体的にどうしたい? どうしてほしいの?」
「ん。……ん?」

不意に落とされた問いを噛み砕く事が出来ずに顔を上げる。が、その前にナナシが手を伸ばしてWの頭を押さえ込んだ。おい、と威嚇するような声を上げてもそのままでいるから、Wは軽く溜息を吐いて質問に答える事にした。

「…話してぇし、デュエルしてぇし……、…飯食ったり、こうしてくっついたり、してぇよ」
「………」

黙りこくったナナシの手が、ぱっ、と離された。顔を上げ、同年代の女子と比べると多少がっしりしている肩に顎を乗せてその顔を覗く。
観察するような顔つきでまじまじと己の顔を見られている事に気付き、Wはクラレットの瞳を細めて微かな不快感を示した。

「何だよ。何が言いてェんだ」
「え、あー。意外」
「あ?」
「Wがそういう事言うの。嫌なんだと思ってた」
「は」

今し方ナナシに向けられていたのと全く同じ表情を、Wは浮かべた。今、彼女は何と言ったのだろう。

「嫌なわけねェだろうが、何でそうなるんだ」
「だって、私が『べったりするのは好きじゃない』って言った時、俺もだ、って言ったでしょ」
「………」

そういえばそんな事もあったような気がする。し、確かに必要以上の触れ合いは好まない。しかし、だからといって。

「だからくっついたら迷惑だろうなって思ったんだけど」
「…やる事極端すぎやしねーか、お前…」

ぐで、と身体から力を抜いて項垂れた。確かにつかず離れずのこの距離感は心地良かったが、だからといって全くくっつかなくていいのかというと、そんな事は全然全くこれっぽっちもないのに。
ナナシはといえば不思議そうにぱちぱちと目を瞬かせている。どうやら本気でWが嫌がると思っていて、彼女は何も行動しなかったようだ。Wだってナナシに嫌がられたくなくて今まで必要以上に触れようとはしなかったのだから、これはおあいこか。

「…ナナシ」
「はい」
「お前、俺にこういう事されんの嫌か?」
「んにゃ、別に。…ていうか、今、嬉しい」
「わかりにくい奴」

ナナシの頬をやんわり抓る。その頬肉はおろか眦だって、和らぐどころかぴくりとも動かなかったくせに、嬉しいだなんて。俄かには信じがたいところだが、ナナシのそういうところを憎からず思っているWに文句などつけられるはずもない。

「ね、W」
「何だ」
「ちょっとだけ、離して」
「あ?」

不意に投げられた言葉にWは眉根を寄せた。抱きしめられて嬉しいと言っておきながら、今度は離せとは何だ。
文句を言おうと口を開きかけたWの頭を再びがっちりと押さえ込み、彼が「ぐぇ」と情けない悲鳴をあげるのも構わずにナナシが口を開いた。

「Wの方、向けないでしょ。だから離して。姿勢変える」
「…わぁった、わかったから、まずお前がその手ェ離せ」
「ん」

すっと手が離れる。恋人の肩にしこたまぶつけるという醜態を晒した鼻っ面を軽く擦りながら、ナナシを解放する。
くるりと向き直ったナナシは、どんな表情をしているかとWが確認するより早く彼の胸元に飛び込んだ。ご丁寧に、絞め殺そうとしているのではないかと疑念を抱きたくなるほどの力を込めて、首に腕まで回して。

「W、好き、大好き。抱きしめてくれたの、凄く嬉しいよ」
「…お、い」

嬉しいのはわかったから早急に離してほしい。背丈の関係か体勢の関係か、ナナシの肩が今度はWの喉仏を圧迫している。これは非常に苦しい。そして痛い。
Wがぺしぺしと軽く腕を叩くと、ナナシは我に返ったように腕の力を緩めた。ついでに、腕をWの首に回したまま、ぱっ、と距離を取って、眉尻を下げた。困ったような表情をしていながら、その頬は紅潮していて、何ともアンバランスな顔立ちになっている。

「ごめん、つい」
「つい、じゃねェよ…死ぬかと思ったぜ」
「窒息したら、人工呼吸ぐらいは、するよ」
「その前に解放しろ」
「いたっ。…はーい」

Wが軽くでこぴんをしてやると、ナナシは拗ねたように唇を尖らせた。今日は鉄面皮のナナシの表情がよく変わる。彼女がWの前でこんなにも感情を露にしたのは、初めてだ。そう思った途端に、愛おしさが募った。

「…ナナシ」
「ん、なに」
「すき、だ」

告白してから一度も言わなかった言葉を吐いて、照れが襲いくるより早くWはナナシの唇にかみついた。





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はじめまして、桐葉様。リクエストの「Wの甘夢」です。結構な難産だった上に前半は非常にドライな雰囲気になりましたが、W相手の甘い夢は書いた事がないので新鮮な気持ちでした。
読むたびに印象に残るとか、あ、あこがれるとか、その。拝見した時に不審人物になる勢いで喜んでおりました。しかも当方の書くWがイメージに一番合うと…二次創作の書き手としてこれ以上の褒め言葉はありません。本当にありがとうございます。
リクエストに加えて嬉しいお言葉とエール、お祝いの言葉をありがとうございました。



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