深夜のひめごと
クリスがお盆に乗せたティーセットを庭に運んできた。ナナシ、と丸いテーブルにクロスをかけていた私の名前を小さく呼んで、振り返った私に彼は薄らと笑った。私は少し気恥ずかしくなって、テーブルクロスを押さえるふりをして顔を俯けた。クリスはその上にそおっと、音を立てないように気を付けて、ティーセットを置いた。
向かい合うように置いた椅子に二人で腰掛けて、クリスはカップに紅茶を注いだ。その挙動も慎重そのもので、注ぐ時の水音さえ出ないようにと気を配っているのが見て取れた。
私のと、彼のと。お互いのカップに紅茶を入れた後、彼はやはり慎重にポットをテーブルの端に置いた。

「…何だか少し、悪い事をしてるみたい」
「そうかな」
「だって、こんな時間にお茶会なんて、した事ないから」

小声で話し合って、月と星と、街からの遠い灯りの下で首を竦める。クリスは噴出すのを堪えるように口元を手で押さえた。その表情と、真夜中の突き刺さるように澄んだ空気の中に漂う紅茶の香りと湯気は柔らかく私を和ませた。
現在の時刻は午前3時半。良い子も悪い子も、大人だって寝静まるような時間だ。けれど私とクリスはこうして外でお茶会を始めている。
彼のお宅に泊めてもらう事になったはいいけれど眠れない―――。恥ずかしながら、事の発端はこんな事だった。
別に枕が変わると眠れないとかいう事はない。ただ、恋人のお宅に初めて泊まる―――しかもその恋人と同じ部屋に―――というその状況に妙な興奮と気恥ずかしさを覚えた結果、ぎりぎりと目が冴えてしまって、どうしようかと悶々としていたら、見かねたクリスが「落ち着くと思うから」と真夜中のお茶会を提案した、と。そういうわけ。

「…いただき、ます」
「どうぞ」

カップの取っ手を持つ。温い。きっと、適温まで温められていたのだろう。その方が美味しく頂けるのだと、クリスが笑っていた事を思い出す。私も、これぐらいの気遣いができるようになるだろうか。
紅茶を啜る。私は猫舌ではないけれど、それでも熱かった。すぐに唇を離して、舌をざりざりと前歯に擦り付けた。

「…熱いかい?」
「ん…少し…」
「火傷をさせてしまったかな。すまない」
「火傷まではしてない…と思う…から、謝らないで」

もごもごと舌を揺らす。そんなに痛くないから、きっと大丈夫だとは思う。
それよりも失態を見せてしまった事の方が恥ずかしくて、私はそろりと俯いて紅茶をもう一口啜った。クリスが淹れる紅茶は甘くて優しい香りがする。
―――私が淹れても、こんな香りはしないのになぁ。

「…ナナシ。私は君が淹れた紅茶が好きだ」
「え」
「君の紅茶は私が淹れるものよりも柔らかくてまろやかな味がする」

静々と紅茶を啜っていたクリスの声に顔を上げると、彼は涼しい顔をしてカップを傾けていた。
私はしぱしぱと瞬いて、彼の言わんとするところに気付いて、自分の顔が耳まで真っ赤になるのを感じた。

「え、な、さっき、もしかして」
「口に出していた。思い切り」
「〜〜〜〜ッ!!」

両手で顔を押さえてクリスから視線を剥がした。あぁ、さっきに続いて、何という失態だろう!

「そんなに恥じらう必要もないだろうに」
「で、でも、だって」
「ほら、紅茶が冷める」
「うぅ」

あからさまに話を逸らされた。しかも視線を戻せばクリスが笑いを堪えて愉快そうに目を細めているのが見えた。何だかとても悔しい。でも紅茶が冷めるのは勿体ない。
両手を下ろした私は、今度はカップで顔を隠すようにして紅茶を啜った。…飲み頃だ。



++++++



「あーあ…こんな夜中に何をしてるんだろうね」

庭の光景を見て、父さんが苦笑した。視線の先には兄貴と、兄貴の恋人であるナナシ。

「止めねぇのか、父さん」
「うん。ナナシとクリスが仲良くなれるのならいいと思うよ」
「でも、もう歯磨きも済んだ後でしょうに」

ミハエルが女みてぇな顔を困ったように歪めて呟いた。俺は俺で、夜中にトイレ近くなったらどうすんだ、と身も蓋もない―――ついでに言えば下世話な事を、思っていた。
恥ずかしそうに俯いたり顔を赤くしたりしているナナシとは対照的に、兄貴はいつもの涼しい顔で、それでもいつもより明らかに柔らかい表情で、紅茶を啜っている。

「ミハエルは心配性だね。虫歯になったら、それは彼らの責任だよ。まぁ、クリスもナナシも几帳面だから、大丈夫だと思うけど」
「…几帳面な奴らがこんな時間に茶ぁ飲むかぁ?」
「全く、お前は…将来姉になるかもしれない人に失礼だよ、トーマス」
「姉?」
「姉?」

ぽかん、と目を丸め、同じタイミングで疑問を発したミハエルと顔を見合わせた。お互いに間抜け面だ。二人揃って父さんを見ると、父さんはくつくつと楽しそうに笑った。

「あれ、嫌なのかい?」
「嫌だなんて、そんな事はありませんけど」
「…イメージ沸かねぇよ」

姉なんていなかった。父さんと、兄貴と、俺と、ミハエル。それだけで完結しているつもりでいた。だから、ナナシが姉になると言われても上手くイメージできない。それはミハエルも同じようで、狐に摘まれたような顔をしていた。

「今はそうだろうね」

やんわりと優しく笑った父さんが外に視線を向けた。俺はまたミハエルと顔を見合わせて、それから父さんと同じように兄貴とナナシを見た。
兄貴達はずっと小声で話している。こうして全員起きてしまっているから完全に無意味なものだが、恐らく俺達を起こさないようにという配慮だろう。だから話している内容は聞こえない。聞こえないが、兄貴が時々楽しそうに笑う事やナナシが慌てたり笑ったり照れたりと百面相を披露している事から察するに、まぁ、楽しんでいるんだろう。
あそこに俺達が出て行ったらあいつらはどんな顔をするだろうか。と意地悪い事を考えたが、そこまで無粋な事をするつもりはない。ただ、気付かれる前に部屋に戻る必要はあるだろうな。
翌日というかその日の朝、ナナシが席を外した時に言及され、覗き見していた事が兄貴にはばっちりバレていた事を俺達は知る事になる。





++++++

ユリ様リクエストの「クリスと夢主のほのぼのしたお茶会の様子を見守る家族」です。全部同じ場面で描写していたら少々ややこしくなりましたので別々に描写させて頂きました。
「ひめごと」=お茶会と家族の覗き見、です。あ、真夜中に紅茶なんて飲んだらWの懸念通りになりかねないのでやめましょう。なんて。
ユリ様、リクエストありがとうございました。



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