小さなお茶会
―――今日はよく晴れているので中庭に出ましょう。
にこやかに笑うナナシにそう言われ、返事をする間もなくナッシュは中庭に連れ出された。広い中庭の一角、日当たりの良いその場所にはテーブルと椅子があり、強すぎる日差しを避けるためなのだろうパラソルが立てられていた。テーブルに並んだ派手ではないが質の良い茶器が、ティーハウスに整然と並べられたスコーンが、その傍らできらきらと色とりどりに輝くジャムが、どうやらしばらく解放してもらえないらしい事を全身で語っている。しかもナナシはご丁寧に人払いしたようで、周りには誰もいないときた。
これらの状況の意味するところはたった一つ、「断ったら相応の対処を覚悟して下さい」。これはいつだったか、にっこりと笑った彼女に面と向かって言われた事だ。
席に着いたナッシュはナナシにバレないよう緩やかに溜息を吐いた。やりかけの政務があったしそれが終われば剣の稽古でもしようかと考えていたが、これはどちらも諦めるしかなさそうだ。

「つまらなさそうなお顔をなさって、まぁ」
「…は?」
「貴方の事です、ナッシュ。政務がやりかけだとか、それが終わったら剣の稽古をしようとか、そう考えておいでだったのに私に引きずられたのが面白くないのでしょう」

考えていた事をそっくりそのまま言い当てられたナッシュはぐっと口を噤み、それから視線を逸らして憮然とした表情で「別に」と答えた。

「そう拗ねないで下さいな」
「拗ねてねぇよ」
「視線を逸らすのは都合が悪い時の貴方の癖ですよ」
「知らねぇな」
「私が知っています。…さ、どうぞ」

差し出されたカップに手をかける。ほんのりと熱を帯びている事から察するに、紅茶が冷めないように適温に温められていたようだ。
口元まで持っていけば、いつも飲んでいるものとは違う香りが鼻腔を擽った。微かな違和感に内心で首を傾げつつ、一口啜る。心なしか、味もいつもとは違う気がする。

「…ナナシ」
「はぁい。何でしょう」
「いつもと違う気がするが、何だこの紅茶」
「あらご明察。私の故国で育つ茶葉です。少し恋しくなったので取り寄せたのですが…お口に合いませんでしたか?」
「いや。…美味い」

素直に感想を述べ、もう一口啜る。いつも飲んでいる紅茶より甘く優しい香りは、波立っていたナッシュの心を少なからず落ち着かせた。なるほどこれを日常的に飲んでいれば恋しく思う日も来そうなものだ。

「落ち着きますか?」
「まぁ、な」
「それは良かった」

満足そうに微笑んだナナシは静かに紅茶を啜ってから、真正面からじぃっとナッシュを見据え、ゆったりと両目を細めた。

「ナッシュ。貴方、ここのところ休まる暇がなかったでしょう」
「…あ?」
「心身を同時に休める時間は必要ですよ」
「………」

緩く首を傾げつつ、カップの取っ手を指先でなぞる。微かな振動が伝っては紅茶にごく小さな漣を起こした。綺麗な円を描くその漣を眺めながら記憶を辿る。
―――確かに、心身の両方、あるいはどちらかを酷使し続けた記憶しかない。メラグに心配された事も、ドルベに口煩く休息を勧められた事も、記憶に新しい。

「…そういうモンか?」
「そういうものです。たまにはこうしてのんびりして下さい」
「考えてはおく」
「あら。珍しく素直ですねぇ」
「一言余計だ」
「それは申し訳ありません」

言葉ほどの謝罪の意を見せず、ナナシはスコーンにジャムを塗って齧った。スコーンは手掴み、ジャムは指先で掬ってべったりと塗りたくる―――行儀も礼儀作法もあったものではない所作だ。人払いをしたから良いようなものの、誰かに見られたら咎められそうなものだ。彼女の事だから、ナッシュ以外の人の目のある所でそんな粗相はしないだろうが。
スコーンを咀嚼しながら指先のジャムをぺろりと舐め取るナナシを呆れたように一瞥し、ナッシュは同じように素手でスコーンを掴んで指先で掬ったジャムを塗った。がぶ、と齧りつく。ジャム特有の甘ったるさに果物の酸味が合わさって、スコーンの香ばしさと相俟って美味だ。

「まぁ、私は無茶しいで素直じゃないナッシュが好きですがねぇ」
「はぁ? 何だそれ」
「度を過ぎない無茶でしたらこうして時々連れ出せますもの。それに貴方があんまり素直でしたら、私が心配する前にメラグやドルベの言葉を聞き入れて休みそうなものですし」

二個目のスコーンに手を伸ばすナナシの言葉に呆れたように鼻を鳴らし、ナッシュは大口にスコーンを放り込んだ。水分の大半を奪われた口の中に紅茶を流し込み、荒っぽく咀嚼して飲み込む。

「ナナシ」
「はい」
「今日は周辺の領地からいろいろと報告書が上がってくる日だ」

指先についたジャムを舐め、「こんなにのんびりしてちゃ、終わらねぇだろうな」とナナシを見やると、彼女はぽかんと目を丸めていた。
おい、とナッシュが声をかけると我に返ったようで、ぱしぱしと瞬いて細い首を傾げた。

「ううん、失念していました。…わかる範囲になりますが、お手伝いしましょうか」
「できんのか」
「経営学や測量や政治学は故国で修めました。不安ならお聞きします」
「ほう。信用するぜ」
「はい」

ナナシが目を細めて頷いたのを確認し、ナッシュはスコーンを掴んで指先で掬ったジャムを塗った。
日光を受けて水面か宝石かのように輝くそれに齧りつくと、穏やかな甘味と酸味がふわりと広がった。





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佐伯様リクエストの「前世ナッシュと王宮で穏やかに過ごす話」です。なかなかの難産でした。遅くなって申し訳ありません。
現在のナッシュのイメージなのか神代凌牙のイメージなのか、彼には何かと無茶をする印象があるのでこんな感じに。
このマイペース過ぎるサイトの更新を楽しみだと仰って頂けたり、文章を大絶賛して頂いたり、挙動不審になるほど嬉しかったです。佐伯様、リクエストありがとうございました。



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