ハガラズ
ナナシほど面倒臭い性格の女はそうそういないだろうと、メールの文面を見ながら凌牙はそう思った。

『会いたい 駄目なら声聞きたい』

いつ、とか、誰に、とか、誰の、とか、そういった重大な部分が大きく欠けた文面はもう見慣れた。元々回りくどい物言いを好まない凌牙としてはむしろありがたくもある。
問題は時間だ。これはついさっき凌牙のD・ゲイザーに届いたメールで、現在の時間は午前2時だ。

(俺だから良かったようなものの)

他の奴にまでこんな事をしてやいないかと思うと、まどろみから引きずり出された怒りを忘れて呆れてしまう。彼女の性格を考えれば、こんな事をしでかすのは凌牙ただ一人に対してのみだろう。それを喜ぶべきか、嘆くべきかはさておき。
凌牙は溜息を吐いた。簡素な文面から読み取れる事は、以前はとても少なかったが現在はそれなりに多い。ベッドを抜け出し、D・ゲイザーの通話機能を起動させてテーブルに置く。繋がるまでの僅かな間、寝巻きから手近にあった服に着替える。
しかし着替えを終えるよりも早く、通話の相手が出た。

『…もしもし』

深夜だからか極力押さえた声は微かに震えていた。画面に映し出されているであろう顔は強張っているのか、それとも常のように一見すれば上の空といった表情を浮かべているのか。
恐らく後者を装った前者だろうと思いながらシャツの袖に腕を通しつつ、凌牙は口を開いた。

「今からそっちに行く」

挨拶も名乗りも全てをすっ飛ばした、そう、まるで先ほど彼が目を通したメールのような言葉だったが、彼女はそれでも安堵したように『…凌牙』と彼の名を呼んだ。
着替えを終え、D・ゲイザーを持ち上げて小さな画面を覗き込む。予想通り、薄ぼんやりとした表情ではあるが顔面蒼白の恋人の顔がそこに映し出されていた。

「…ちゃんと待ってろ。絶対に家を出るんじゃねぇぞ」
『…でも』

何か言いかけたナナシの言葉を無視して通話を切る。そうしないと、彼女はきっと外に出てふらふらと凌牙を探し始める事だろう。精神的に弱っているらしいナナシをこんな真夜中に外に出すなど、できるわけがなかった。愛車の鍵を手に家を出てオートロックのかかる音を聞く間もなく愛車に乗り込み、ナナシの家に向かう。
凌牙の家から彼女の住むアパートはさほど離れていない。10分と経たずに到着する事ができた。インターホンを押さず「着いた」とだけメールを送ると、ナナシはすぐに飛び出してきた。そのまま凌牙に駆け寄るかと思いきや踏み止まり、手招きする。
ナナシのこういうところが何よりも面倒臭い、と凌牙は常々思っている。凌牙に対して無理難題を押し付けたかと思えば、顔面蒼白になるほど平静を失っている時でもこうして妙に気を遣って見せるところが。
しかしその辺りの不平不満を今この場で漏らしてもどうしようもない事はわかっているため、手招きに応じてドアをくぐる。部屋の明かりは、一つも点いていない。

「………」
「………」
「…おい」
「…ん」
「こっちに来い」

ワンルームの部屋の隅に置かれたベッドに腰掛けて膝を抱えたナナシ。凌牙はその隣に座し、ぐい、と彼女を引き寄せた。素直に傾けられたナナシの柔らかな身体が、腕の中に納まる。
その身体が小刻みに震えているのを感じ、凌牙は腕に力を込めた。ナナシは身体中の力を吐き出すように細長く吐息する。

「何があった」
「…何も」
「またか」

思わずと溜息が零れた。彼女がこうして凌牙を呼び出すのは何も初めての事ではない。
初めはメールだった。謝罪に告ぐ謝罪と共に理由のない恐怖を訴えられた。それが通話になり、こういった呼び出しに変わるまで、大した時間はかからなかった。
ナナシ曰く、「予兆もなく急に怖くなる」のだそうだ。それが起きていようが眠っていようが、決まって夜中に来る事、そして翌日にはけろりと治っている事以外は何もわからないらしいが。
とにかく、凌牙にしてみればこれは最早慣れた事だった。

「…今はどうだ」
「…ちょっと、落ち着いて、る」
「ならもう寝るぞ」
「…うん」

毒づくように言った凌牙がナナシが頷くより早く無造作にベッドに横たわれば、その腕に抱かれていたナナシも必然的に横たわる事になった。至近距離のせいか、呆、とした表情が暗がりでも見て取れる。そこに色濃く映されていた恐怖は既になく、震えも止まっている。
ゆっくりと瞼を伏せたナナシの額に唇を落とし、凌牙自身も目を閉じた。



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