おしえてください
ぎりぎりと弓の弦を引いていく。右の小指と薬指は折り畳み、残りの指で番えた矢を支えて、左手は小指で弓を強く掴み、薬指と中指は添えるだけにし、親指と伸ばした人差し指とで挟み、その二本の指の間で思い切り弓を押す。左の人差し指とその上に乗せた鏃は真っ直ぐ的を狙い、弦を引いている右肘の先にも的がある、というイメージ。更に弦を引くのは掌や指ではなく肘から肩を使い、肩甲骨を絞める―――

「…アルコル」
「ん? 何だ、ドルベ」
「君はいつもどうやってこの弓を引いているんだ?」
「今教えた引き方で」

しれっと答えたアルコルは私の傍らに胡坐をかき、その上に頬杖をついてくつくつと笑っている。
一度彼女の狩りを見てからというものアルコルの弓が気になっていた私は、弓を引かせてくれと頼んだ。すると存外あっさりと了承が下りた。厳密には彼女が予備として作った弓であって、愛用のものではないが。
弓も鏃もこの辺りで使われる弓とは全く違う作り、形状の代物のそれは、引いてみると予想以上に力が要った。見た限りでは女性である事を差し引いても体格に優れているとは言えないアルコルはこんな弓をいつも引いていたのか、と感心する。

「弓兵部隊が引いているものを引いた事はあるが…こんなに固くはなかったな」
「弦自体はそんなに固くは張っていないさ。だが、同じ固さでも多少強い力で引く必要がある。ま、それにしても初めてにしてはよく引けている方だ。…ほら次、矢を放ってみろ」
「ん? このまま右手を離せばいい、のだな?」
「うん、そうだ。…あ、左手はちゃんと力を入れていろよ。弓が…」
「!!!」

言われたとおりに右手を離したら弦が戻る反動で左手の内で弓が回り、その反動に耐え切れず手を離れて飛んでいってしまった。…掌が痛い。

「…すっ飛んでいくからな?」
「…すまない」
「いや、忠告のタイミングも悪かった」

はは、と乾いた笑いを零すアルコルの声を聞きながら弓と矢を回収する。矢は深く的に刺さっていた。弓は…よかった、壊れていないようだ。付着した土を払って矢と共にアルコルに返す。

「で、感想は? こういう弓を引いたのは初めてなんだろう?」

弓矢を受け取り、矢を矢立に納めたアルコルはにんまりと笑みながら私を見上げた。感想、感想か。

「少し君の事が気になった」
「は? 私? 何故だ」
「君の腕は…」

率直に答えようとして、口を噤んだ。今の私が言おうとしている事はアルコルの体格と体重の事であって、それは…恐らく、非常に失礼な事だろう。しかし言いかけた以上、引っ込める事もできない。中途半端に誤魔化すのは苦手だし、誤魔化したところで質問攻めにあうのは目に見えている。

「…その、細くはないだろう。…いや、断じて太くもないが」
「ん? あぁ、そうだな」

アルコルはどうやら全く気にしていないようで、「それがどうした?」と首を傾げた。単純な疑問だけを乗せた表情を見て、多少気が楽になる。

「それでも、あの弓を引くには少し細いと思ったんだ」
「そういう事か。…ならドルベ、私を抱えてみろ」

座ったまま私に両手を伸ばす彼女はにやにやといつもの笑みを浮かべている。
これはどういう事だろう。アルコルは確かに細くはないしいつも身に纏っている服や軽鎧の上からでは曖昧な判別しかできないが、他の女性と変わりない体格に見える。しかし彼女は抱えてみろという。…まさかとは思うが、この外見で私に抱えられないほど重いのだろうか。しかも今の彼女は軽鎧を着けておらず、やや薄手の衣を一枚纏っているだけだというのに。
邪推じみた憶測を並べる合間に伸ばされた両手が催促するように軽く揺らされ、我に返った私はアルコルを抱えた。途端に違和感を覚える。

「…ん?」
「な、重いだろう」

にんまりと、いつもより遥かに近い位置で笑うアルコルは…その、思ったよりは、だが―――彼女の言ったとおり、重い。…ついでに言えば、女性らしい柔らかさからは縁遠い。

「…思ったよりは」
「はっきり言ってもいいんだぞ」
「女性にそんな事は言えないだろう」
「ふふ、紳士的な事だ。で、まぁこのネタ晴らしだが…よっ、と」

アルコルが私の腕からすり抜け、すとん、と軽やかに着地した。彼女が離れたのが少し惜しいなどとは思っていない。断じて思っていない。

「同じ質量だと脂肪より筋肉の方が重く硬いんだ。さっき抱えた時、私の身体は硬かっただろう」
「…思ったよりは」

先ほどと同じ言葉で肯定を返す。彼女は「はっきり言ってもいいのにな」と笑い、指先をくるりと回した。

「ああして弓を引いていれば肩肘の筋肉はつく。そして馬に乗れば―――」
「脚は勿論、体幹まで鍛えられる。だろう」
「…は、これは説明するまでもなかったな。失敬」

肩を竦めて笑ったアルコルに一つ頷く。空を翔るという特徴こそあれ、私が普段駆っているのは紛れもなく馬だ。感覚がわからないはずもない。

「まぁ、そんなわけで私は普通の女よりちょっとばかし筋肉が多い。だから重いし硬い。というわけだ。だから弓を引く力もあるんだ」
「…ふむ」

つまり彼女は幼い頃から、鍛錬と意識せず鍛錬を続けてきたようなもの、なのだろうか。そしてそれが彼女の一族の常だったという事か。

「この弓を扱うには技術がいる。その技術には力がいる。この辺りの弓は弓自体が人間に合わせて進歩しているようだが、この弓は人間が弓に見合った実力をつけなければ引けないんだ。弓兵隊長も、初めて引いた時はさっきのように吹っ飛ばしたよ」
「狩りの時に言っていた、弓兵隊長と張り合ったという話か」
「そう。的から外れるか弓を落としたら負け、公平を期すために弓は互いにこちらのものと私の使っている形状のものを使う…という条件でな」
「大人気なかったとはそういう意味か…」
「その通り。まぁ、私は私でこちらの弓は感覚が違いすぎて的から外れそうになったがな。何とか当たった。あちらは弓を落としたのだからそれ以前の問題だ」

くっくと笑うアルコルの持つ弓を眺め、呆れたような感心したような心持で吐息する。
確かに、何も知らずにあれを引く者はその硬さに驚くだろうし、反動で弓を吹っ飛ばしてしまっても無理はない。それを教えなかったアルコルは意地が悪いというか―――そう、彼女が自分でそう言ったとおり、「大人気ない」。
とはいえ、彼女には相応の実力がある。自分の力を活かせる武器で、自分の力を活かす手段で戦っているのだから当然だろう。大人気ない勝負も、互いによく知った弓とよく知らない弓で行ったのだから、頭ごなしに咎める事はできない。

「さて、授業はこれで終わりにしよう。ドルベ」
「ん、あぁ…ありがとう。楽しめた」
「それはよかった。では今度私に剣を教えてくれ」
「あぁ、わかっ……ん?」
「頷いたな。よし、その時を楽しみにしているぞ」
「いや、アルコル」

呼び止める声を無視してアルコルはけらけらと笑い、廊下の曲がり角へと姿を消してしまった。引き止めようと伸ばしていた手は行き場を失い、引っ込めざるを得なくなる。
…剣を教える、となると自信がない。元より私は誰かに物を教える事に秀でていない。ある程度心得のある者が相手だったら実戦で教えているし、基礎などは頭より身体で覚えてしまっている。
しかし流れに任せただけとはいえ頷いてしまったのだからアルコルは引き下がらないだろう。いつもの不敵な笑顔で私に詰め寄るに決まっている。
だからまずは、そうだ…練習用の木剣でも作っておこう。



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