(黒死牟が先に死亡)


縁談を持ち込まれた。良い歳をした女が独り身で暮らしているというのは、どうにも世間的にはよろしくないようだ。
しかし、しかしだ。木筒に立てた花鈴の簪をつつく。ぼやけた輪郭が揺れて、ちりんと音がする。柱の半数以上を含む多くの剣士が命を落としたあの夜、私は死んでもおかしくなかったのに生き延びた。右脚を失い、以前のように動けなくはなったが、それは些末な話だ。どうあれその結果、困ったことに、この花の鈴はなかなか強固な呪いになってしまった。
私は彼より先に自分が死んで、彼が地獄での禊を終えるまで黄泉路を待つものと思っていた。なのに現実は私が生き残っていて、彼は多分、先に禊を始めている。
彼の最期を私は知らない。最期だけではない。あの数日の逢瀬が私と彼の間にあった全てだ。私は彼のうつくしさと醜さしか知らないし、彼も私の多くを知らないはずだ。
次に私が彼のことを知ったのは、少なくない犠牲を代償に彼が討伐されたのだという鎹鴉の報告だった。あのうつくしい頚をついぞ狩れなかった。一太刀だって浴びせられなかった。これは私の無念。翻って、彼は何を思って滅んだだろうか、何か未練はあっただろうか。私のことなど露ほども考えないまま滅んでいてくれたら良いと心から思う。
話が逸れた。そう。縁談を持ち込まれたのだ。縁談というか、近所のお節介なご婦人が、「息子が貴方を好いてて」と温かく勧めてくれた。片脚を失った私は日常生活も覚束ない。かのご婦人の息子さんというのはまた気の良い人で、例えば私が義足を引きずって荷物を抱えていると、下心もなく手伝いを申し出てくれる。甘えたことはないけれど、それでも毎回、大丈夫かい、と微笑んでくれる。袖から覗く傷を見ても追求しない。
多分、あのご婦人の息子さんと一緒になれば、私はそれなりに住みよく暮らせる。鬼殺隊時代の給料は有り余っているし、私の介助でお金の迷惑をかけたりはしない。思うように動かずとも、慣れてしまえばどうということはないのだ。
だが、断った。想う人がいて、その人を待っていて、その人以外に嫁ぐ気はないのだと微笑みながら告げた。ご婦人は野暮だったと謝罪し、困ったことがあったら何でも言って、と聞き慣れた気遣いを残していった。
決して嘘ではない。私は彼が良い。彼がくれたこの簪を、彼がついぞ口にしなかったその意味を、無下にしたくない。誰かと添い遂げたり、血を残したり、そもそも他の誰かを愛したり、彼はそういう選択肢を私からすっかり奪ってしまった。いいや、それは私が選んだ。この綺麗な簪で、彼以外の選択肢を切り落とした。けれど、それ以外にも理由はあった。
右の首筋を撫でる。雷にも月光にも見える目立たない痣が、彼と同じく右の首筋から頬にかけて浮いたのは土壇場も土壇場だった。今は消えているけれども、発現した以上、私の余命は短い。更に私は元々寿命が短かったのか、二十二を過ぎた数ヵ月前から予兆があった。眠る時間が多くなった。空腹をあまり感じなくなった。身体が重くなった。秋の甘い香りがわからなくなった。好物の味が遠くなった。目が霞むようになった。喪った脚の痛みが薄くなった。長くないのだと悟るには十分だった。
彼にも痣が浮いていたから、鬼になる直前にはこんな日々を過ごしたのだろうか。それとも、彼は鬼になってから痣が発現したのだろうか。物思いに耽りながら簪をもう一度つつく。その柔らかな冷たさもぼんやりしているが、鈴の音はまだ明瞭に聞こえる。荒っぽく帯にねじ込まれた感触は、まだ残っている。
彼と逢瀬を重ねたあの日々と比較してもすっかり衰えた足に力を込め、簪を掴んで立ち上がる。ふらつきながら襖をひとつ開けて隣の寝室に滑り込み、しまうのが面倒臭くて起きたときのまま放置した布団に入り込んだ。換気のためにと開け放して、やはり面倒でそのままにしておいた障子から、月光が注いでいる。
そういえば、彼との日々はずっと月下だった。殊に私が意識を取り戻した日、あの日は満月だった。今の夜はどうだろう。明るいから、満月かそれに近いぐらいには肥えているはずだが、今の私にはそれもよくわからない。
こんな日に迎えに来てくれたら、と思うが、残念ながら彼が迎えに来てくれることはない。彼はこの世にいない。それに私も、今の弱った私を彼に見せたくない。何より、迎えをじっと待つのは性に合わない。
簪を握り直す。これで良い。これだけで良い。刀は返納した。所持品は少しずつ処分した。鎹鴉に遺書は託した。あとはこの簪さえあれば、私は何を恐れずとも黄泉路を行ける。
ひとつ、ふたつ、呼吸を数える。ああ、眠い。片道切符を切って、私は幾星霜をかけても彼を迎えに行く。

地獄の業火は何故か遠く、さりとて浄土にも行けぬ私の魂は、ちょうどよかったのだ。


++++++


(夢主が先に死亡)


「思ったよりお早いお着きですね」

女は黄泉路にいた。何を言う気力もなく子供のように蹲ったその正面に、立っていた。
項垂れてその顔を見ないままでいると、女が屈んだらしく、ゆるりと手をすくい上げた。振り払ったが、女はめげずに弾いた手を追いかけて握る。二度目の気力はない。代わりに、握り返すこともない。
嫉妬も傲慢も慢心も執着も、何もかも捨てられなかった。日輪になりたかったのに、日輪とは決して相容れない存在になった。挙げ句に最後の最期まで醜態を晒した。嫌気がさす。

「顔を見せて」

女がたおやかに願う。嫌だと答える代わりに顎を引く。彼女はしかし、「しょうのないひと」と軽やかに笑った。嘲笑には聞こえなかったから、女の硬い手に爪を立てた。女は何も言わなかった。
罵られ、見下された方がマシだった。だのに弟はひたすら純粋に兄を敬慕していたし、彼女は穢れを知らぬように清かに微笑む。これ以上惨めな気分にさせないでほしい。
するりと彼女の手が這う。右の首筋から頬にかけて、いつかの夜をなぞるように、うっそりと痣を愛でる。触れるな、触れてくれるなと思うのに、頑として口を開かない。どうして彼女は逢瀬の夜と同じように穏やかに触れるのか。
首筋を通り抜けた女の片腕に抱き締められる。ちりんと鈴の音が耳元に響いて、立てていた爪を緩める。あんなものを、黄泉路にまで持ってきたのか。些細な動揺が伝わったのか、彼女はころころと笑った。

「貴方、存外聞き分けがありませんね」

この期に及んで幻滅も見せない。理解できない。気味が悪い。さっさと捨て置いて浄土へでもどこへでも行けば良いのに、今となっては彼女が愛したものは何も残っていないのに、後生大事に留まって心底いとおしそうにぽんぽんと頭を撫でる。

「今更、救いなど求めないでしょう? 私も貴方を許しません。…だから、ねぇ、一緒に地獄へ行きましょうか」
「…何故…そうなる」
「あら、やっと口を利いたと思ったら」

至極楽しそうな笑い声が転がる。彼女はこんな声で笑うのか。微笑むばかりで、声をあげて笑わなかったから知らなかった。
思えば彼女のことなど何も知らないのだ、と今更ながらに思う。ただ一度刃を交わして、一方的に遊んで、気まぐれで生かして、彼女がほとんど一方的に話していた。彼女は醜い異形の目を好んで覗いた。それだけの日々を経て、簪を贈った。彼女は拒まなかった。

「貴方が私を生かしたところからおかしかったのですもの。私がおかしなことをしでかしたところで、咎められる謂れはないわ」
「…お前は地獄に落ちるほどの罪をなしていない。負うべき罰もない」
「一時は人として生きた者を殺しています」

屁理屈も良いところだ。まるで聞く耳を持たないことだけは理解できた。
ようやく視線を上げて、ちりりと揺れる花鈴を見つめる。今の通貨で考えても高価ではなかったそれを掴み、くぐもった沈黙を作る。

「待っている…と言ったのはお前だ」
「…言いましたけれど」
「たがえるな」

細身ながら鍛えられていた肢体をやや荒く突き飛ばす。慌てて再び伸べられた手は空を切る。目が丸く見開かれた間抜け面が愉快だ。気味が悪いほどに整った笑顔しか見てこなかった。面白くもない防戦を選ばれた。寒気がするほどに穏やかな仕草しか向けられなかった。
口元が笑みを結ぶのを自覚する。ああ、あの間抜け面だけで、千年は優に耐えられる。

「ちょ、っと、どこへ」
「待てたらもう一度くれてやる」
「黒死牟!」

足元から灼かれていく。熱い、違う、痛い。あの醜悪な鬼としての日々を灌ぐにはこれぐらいでちょうど良い。彼女の手も届かない。この手は何も掴まない。

「―――継国巌勝だ」
「〜〜〜っ!」

隔てられた先で彼女が心底悔しそうな顔をしたから、くつくつと笑い声をこぼしながら、満足して堕ちていった。




++++++

心がバキバキに折れてお迎えもなかったのはしんどくない????
というわけで実は後半が先に浮かんでおりましたが前半もやりたかったのでやりました。
兄上めちゃくちゃ性癖に刺さるんですが黒死牟が好きで好きで好きなので好きです。
「花のみぞ」にしろこれにしろ、妻子持ちなので妻子と仲良くしててほしい気持ちもありつつどっちも黄泉の国へ旅だった本編時間軸なら別によくないか? というガバガバ思考回路の産物です。
今更ながら、簪を贈る=求婚ですが、大正時代にはほぼ廃れていたようで。でも黒死牟ならやりそうだと思いました。言葉にはしなさそうですが。




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