海賊船に拘留されて何日経ったのか。深海を拠点としているから日にちを推し量る術はない。 青炎の皆は大丈夫だろうか。私がいなくても十分に強い彼らだから、私を諦めて目的を達成するために奔走してくれているだろうか。正直なところ、恐怖こそあっても気を遣わないという一点では海賊船にいる方が気楽なのは、非常に腹立たしい事に事実だった。 どうしてか私を気に入ったらしいナイトミストから、私は拍子抜けするほど丁重な扱いを受けていた。衣食に困る事はなく、貞操や吸血を含めた身の安全は保障されているようだった。あまつさえ私の声の影響を受けないのをいい事に、ナイトミスト自身が「暇潰し」と称して話し相手になりに来た事もある。あてがわれた部屋を出ても咎められる事もない。お陰で私の精神は不安定ながら真っ当に保たれていた。 一方であの男は、私に手を出そうとした幹部を笑いながら壁に叩きつけたり、私が食欲不振だと訴えると容赦なく顎を掴んで無理矢理食べさせようとしたりと、おぞましい行動を平気でとった。私の死後の話を笑ってしたくせに、それも都合がいいと私を嘲ったくせに、あの男は私を生かすために、私の目の前で、私自身にすら蛮行を働く。 ナイトミストの支配下に置かれているせいか、私が喋ったところでこの船に影響はない。そういう意味ではこちらの方が気楽ではあった。同時に私には抵抗する術がない事を意味していて、尚且つ強大な力を持つヴァンパイアに執拗なまでに構われているとあれば、気を遣わないまでも恐怖は拭えなかった。 助けてほしいのか、放っておいてほしいのか、私にはわからなかった。「死んだらバンシーとしてグランブルーに迎えてやるよ」と笑ったナイトミストの言葉は恐らく真実だろう。それは真っ平ごめんだ。青炎の同胞に迷惑をかけるぐらいならバンシーにされる前に消えてしまった方がいい。私なら、私の魔力なら、それができる。できるのにしないのは――― 「よう、歌の騎士サマよ」 「!」 ばぁんと扉を蹴り開け、私の思考を断ち切ったのはそのナイトミストだった。思わず肩を震わせた私を見下ろしておかしそうに笑った彼は、妙に上機嫌そうだった。 「オマエのお仲間がすぐそこまで来てンだとよ。来い」 「………」 血の気が引いた。差し出された手を見つめて動けなくなる。ぬらりと白く華奢なそれが動いたと思ったら、胸倉を掴まれて立たされた。見た目にそぐわない遠慮容赦ない力加減に顔を歪める。 「せっかく喧嘩売りに来たンだ、買ってやらねェとなァ?」 どうしてこの男はこうも好戦的なのか。そのくせ、不利と見るやすぐさま退く冷静さも持ち合わせている。つまり今回は勝機があると見ているのか、あるいは撤退の算段も踏まえた上での判断か。 駄目だ、どちらにしろ、それなら私は出てはいけない。 『嫌だ』 引きずられそうになる身体を止めるために足を突っ張る。振り返ったナイトミストがにんまりと笑みを深めて、唇が触れるかと思うほどに顔を寄せる。 「オマエに、拒否権が、あると思うか?」 「ッ…」 ない。 怯えて身を竦ませた私を、ナイトミストは軽々と抱えた。いつかのように荷物を担ぐような抱え方ではなく、姫君を抱えるように丁重に。 長く海中にいて潮の匂いに鈍感になっていたから気付かなかったが、いつの間にか船は海上に出ていた。甲板に出て、しばらくぶりの日光に目を焼かれる。ぱちぱちと何度も瞬きを繰り返して、ようやく明るさに慣れた視界にまず捉えたのは、アクアフォースの戦艦。それから、既に繰り広げられている戦闘の光景。 「あの時の青炎の騎士サマがたと……ほー、ありゃ蒼波艦隊か。なかなか厄介な連合軍だ」 「……!!」 ごう、と遠くで立ち上る青い炎。見覚えがある、いや、私自身も操るその光を、見紛うはずもない。 連れ去られた時の恐怖が蘇って、それに支配される前にもがいて、叫んだ。 『降ろして!! 降ろせ!!!』 「ハハ、ハハハ! イイ気付け薬になったか!?」 悪辣に笑うナイトミストは私の抵抗をものともせず、むしろ片腕だけで一層きつく抱き直した。足元が自由になるが、身長の差もあって私の下半身は宙ぶらりんになった。 がつんと音を立てて額が合わさり、その衝撃に目眩を起こした私の目をしっかりと捉え、ナイトミストは睦言のように囁く。 「帰してやろうか」 「…?」 「オマエが戻ったところでアイツらはその能力を持て余すだろう。オマエが向こうに戻ったところで、オレには大したデメリットがない。だから―――帰してやろうか」 「……ッ」 脳髄まで溶けてしまいそうなどろりとした声に、首から背にかけてぞわりと鳥肌が立った。 この男の言っている事は正しい。私自身でさえ持て余しているこの体質を知っているのは、私の他には団長であるパーシヴァルと、初見で兵装を見ただけで看破したこいつしかいない。 それに―――私は、「海賊船にいた方がまだ気楽だ」と、ほんの一時でも思ってしまっている。 すぐにも「帰せ」と言えなかったのは、ナイトミストの思惑を推し量れなかったからだけではなくて、その後ろめたさもあっての事だろう。 唇を噛み締めたと同時、砲撃の音と共に船体が大きく揺れた。衝撃でぶつりと唇が切れる。ナイトミストはいとも簡単に、そして愉快そうにバランスを保っていて、私を落とす事もなく青炎と海軍の連合軍を見やった。―――視線が、外れた。 『――――――!!!!!!!!!』 口を開け、叫んだ。怒号。意味をなさない声が兵装と共鳴し、青い炎を巻き上げる。その口はすぐにナイトミストの手に塞がれ、さして長いものではなかった。ぬるりとした血の滑る感触が気持ち悪い。 けれども。それはどうやら、充分に過ぎたようだった。 流星のように青い光が奔って、それが通り過ぎる瞬間、私はナイトミストから引き剥がされていた。最後まで掴まれていた腕から奇妙な音を立てながら。 ナイトミストと同じく片手で、しかしナイトミストよりよほどか安心できる力強さで私を抱えるのは、白い鱗と青い炎に黄金の鎧をまとう、左手に剣を携えた竜だった。 「―――返してもらおう」 竜が低く唸る。パーシヴァルの声だった。そういえば、私達の守護竜様から力を借り受けたと言っていた。 血の色をした両目を細め、ナイトミストが陰湿にぎらつく瞳で私とパーシヴァルを見る。 「…ハハッ! こいつは驚いた。高潔な騎士サマが! オレ達と同じ手段に出るとは! 見事な『略奪』じゃねェか、なァ!」 「奪ったのはそちらだ。我らは我らの仲間を取り戻したまでの事」 「言うじゃねェか。まァ、尤も」 腰に佩いた剣を抜くそぶりも見せず、ナイトミストは鋭い牙を見せておかしそうに笑い、パーシヴァルの腕に納まる私を見た。視線が合い、精一杯に押し殺していた恐怖が再び頭を締め上げる。そうして折れたか外れたかした腕の痛みが、今更のように鈍く押し寄せる。 「その嬢ちゃんはこっちにいた方が気楽そうだぜ」 「…戯言を」 「ナナシ」 呼ばれた。名を。ひくっと喉が鳴る。ナイトミストの赤い舌が、べろりと、白い手に付着した私の血を舐め取った。私に、パーシヴァルに、見せつけるように。 「そっちが辛けりゃ、オレはいつでも歓迎するぜ。ま、その時は死んでもらうがなァ」 パーシヴァルは最後まで聞かなかった。中空で身を翻し、すぐに艦隊へと向かった。 砲撃と水柱を掻い潜り、甲板に降り立つ。そこには黒髪を短く切り揃えた将校がいて、生真面目そうな彼はパーシヴァルと私を見るやすぐに部下へ指示を出し始めた。 「衛生兵を第三へ戻せ! ヒューマンの治療を心得ている者だ! 包帯と布も用意しろ! …貴公、この短時間で目標を取り返したというのか」 怒鳴るような指示の後、彼は人の姿をとったパーシヴァルを振り返った。鬱陶しそうに頭を振ったパーシヴァルは両腕で私を抱えながら、「あぁ」と小さく呻くように肯定した。 「目印がよかった」 「目印…その青き炎の兵装か。ともかく、貴公らは下がられよ。階段を下りて左へ三つ目の医務室が空いている。衛生兵を呼ぶから、その後は好きに使ってくれ」 「感謝する、スターレス殿」 パーシヴァルは目礼し、滑るように船内へ入った。兵装は解除したらしい、短い髪から続く青い炎は見られない。 医務室に入ると、既に医師がいた。肩と手首が外れ、前腕が折れているという腕の手当てをしてもらって、数週間の安静と数ヶ月の療養を申し付かった。痛くないのにと呟いたら、医師は眦をつり上げて「痛覚が働かないのは重傷です」と殊更強く再三にわたって釘を刺した。 手当てを終え、パーシヴァルに魔力遮蔽のローブを被せてもらった後、医師が戦線に戻った。遠い砲撃の音と微かな怒号ばかりが響く空間が耳に痛い。 謝罪しようと顔を上げた私より早く、彼は口を開いた。 「…手荒く扱った。すまない」 「あ、いや……私こそごめんなさい、迷惑かけた」 パーシヴァルは妙な顔をした。私が戦場以外で歌う時によく見せる、申し訳なさと苛立ちを混ぜたような、しかし険のない表情だ。 「…それを助長させたのは俺だ」 「―――……」 違う。どう考えても、彼の指示を忘れて単騎で先走った私が悪い。頭でそうわかっていて、それなのに口が動かないのは何故だ。 「ナナシ、お前は」 短い沈黙の後、パーシヴァルは私の手を掴んで顔を覗き込んだ。穏やかな海に沈む夕陽のような瞳と、視線がひたと合う。 「あちらにいたかったか」 すぐには答えられず、私は数度瞬いた。 いたかったわけではない。青炎の方がいいに決まっている。けれど、それでも。あちらにいた方がいいだろうと、気楽だと、一度でも思ってしまっている。 即答できなかったのはその負い目だ。 「望むならば離れるが良い」 投げられたのは突き放すような言葉で、しかしパーシヴァルが私を気遣っている事を知っている。この世の騎士王も守護竜も、我が世の騎士王と守護竜すらも知らぬはずの私の魔力を、私以外で正確に把握している人だ。―――ただ一人のと、もう言えなくなってしまったのが悔しい。 「………」 かぶりを振って、私はパーシヴァルの手をゆっくりと握り返した。動かない腕を恨めしく思う。パーシヴァルの所業が嫌だったとかではなく、ただこの身の全てで応えられないのが悔しい。 聞き分けのない子供のように何度もかぶりを振った後、武骨な手を離さないようにきつく握り直して、私は黙った。言葉が見つからなかった。 ―――どれが正答なのだろう。「嫌だ」。「こっちがいい」。「置いてほしい」。どれも相応しくはないように思えた。今もって居心地は悪いけれど、義務で歌うのは虚しいばかりだけれど、それでも。 私は彼に尽くしたい。力を、心を、尽くしたい。 だって、私が彼に示せる誠意はそれしかない。 非力な私の手から、彼にどれほどの心が伝わるだろう。私の言葉では、私の手では、あまりにも力が足りない。 「……私は、パーシヴァルの目の届かないところで死にたくはない、な」 かといって、彼の目の前で死にたいわけでもない。 私がどの世界からも消えてしまって、彼がそれを知るのが全てが終わった後だった、というのは―――あまりにも悔しい。 「…そうか」 パーシヴァルの声はどこまでも静かで、私の手を握る手はどこまでも優しかった。 ++++++ こちらは凸らず凹んだままのIfぐらいで。パーシヴァルへの献身…献身?も負い目100%からくるやつです。 凸ったルートではちゃんと矜持をもって移動砲台やり放題やるようになるはずです。多分。 ところでドラゴンとヴァンパイアの膂力で取り合いなんかしたら肩が外れるどころか腕が丸ごともげそうな気がしますね。隻腕は身体のバランスが大変な事になるそうなのでやめておきますとも。 comment(0) |