スプレマシー


マスターの居住区から程々の距離を間に位置している慎ましやかなアパートメント。その建物に沿って天へ昇り、目的地の階で高度を定めて1つの窓を覗き込む。眼窩を覆っているレンズと窓の向こうで、一人の少女を確認した。ここが彼女の自宅だ。
私は彼女の家に伺う前、必ずこうして外から10分程彼女を傍観する。他人からすれば、付きまとい行為をする偏執的変質者と呼ばれるだろう。だがそんな誹謗如きでは心に一筋の傷すら衝かんさ。私は精霊故に見咎められやしない。それ以前に、何と言われようともこの一時が至高であるのは揺るがないのだ。

興に入ると時はあっという間に過ぎる。きっかり10分が経った後、私は玄関の方へ赴きドアの前で喉の調子を整えた。




「失礼致します」

卑しい行為等してるとはおくびにも出さずに笑顔で名前さんを呼ぶと、重たそうな瞼を下げた名前さんが私を認識して、忽ちいつものぱっちりとした目に変わった。

「いらっしゃいライブラリアン! 今日どうしたの?」
「大した用ではありません。
マスターからお聞きしましたが、本日は昼間からサテライトを出歩いたようで…」

私のマスター、アンチノミーが腕利きのデュエリストの助けを求めてシティを模索している時に出会ったのが彼女だった。そして私はこの通り主人でない名前さんを傅く為に頻繁に来訪している。どんな些細な事でも、会う理由にして。 主人でない彼女へ会いに行くには理由が必要だろう?


「あのエリアは物騒と聞きますが、大事等に巻き込まれたりはしませんでした?」
「大丈夫大丈夫っ、これでも私はサテライト出身だから。今日は市場でパーツ見たりしててデュエルはしなかったから、貴方に会えなかったね」

出身があの地とは耳新しい情報だ。しかし、現在の彼女の境遇からサテライトの雰囲気は僅かすら感じ取れなかった。

「そうだ、この問題分かる? 詰めデュエルなんだけど……」
「ん?どれどれ…」

名前さんが開いて置いていた本を指差し、私へと傾けた。

「これはまた高度な問題ですね」
「アカデミアに通ってる子から貸して貰ったテキストなの。学園の子はいつもこんな問題を授業で学んでるなんて、羨ましいよ」

若い人間というは自ら造詣を深めるのを億劫と感じる筈なのに、彼女は娯楽を楽しむと同じ態度で問題を眺める。
彼女に問題を解説するのは日頃サイバー・マジシャンに雑学を時とまるで違った。殊勝な彼女の仕草、ペンを持つ細い指など、他愛ない事で私の心臓はドキドキと忙しくさせられる。あまり長居をし過ぎると狂いそうだ。

ふと見上げた名前さんと近距離なみで視線が重なってしまい、つい顔を逸らしてしまった。逃げた視界で目に止まったある物が、甘酸っぱい気持ちを急激に苦くさせる。………煽情的に置かれているのにいままで気がつかなかった。



「……それはマスターに捧げる物ですか?」
「ん、ああ これね」

可愛らしい袋のそれを手に取って。名前さんはいつもマスターに会う度何かを捧げていた。愛情が籠った弁当、Dホイールのチップ、目薬にアイマスク。それを受け取ってマスターも喜んでいる様子を見て、私は陰ながら羨む感情を抱いた。そして私は思った。彼女は、マスターが好きなのだと。

意を汲んでも私は名前さんの側に居たい。私がへつらのはただ彼女を一方的に焦がれているだけで、見返りなど最初から求めていない。なので彼女が誰を好きでも構わないのだ。ましてや、マスターを好きだなんて絶好に都合がではないか。名前さんがマスターの恋人になれば、いつも会いに来てくれるのだから!
変に前向きを装うが虚しさを伴っているのはどうしてだろう。私はその問いの答えを探求しない代わりに、今回は何をプレゼントするのかと、身を痛みながら考察した。




「すっかり忘れてた。―――――はい、ライブラリアン」
「えっ」

私の藪睨みを覆す答えに眼鏡が落ちそうになる。何故だか彼女は、私にそれを差し出してきたではないか。

「私に…ですか」
「うん」

名前さんは紛れもない面持ちで意思表示していた。思いもよらない賜与に、うれしさよりも困惑が勝って諸手が覚束ないのだが。

「それね、ターミナルの物じゃなくて私が作ったタブレットカバーなんだけれど…やっぱり市販の方が良かったかな」
「名前さんの、手作り……」
「サイズ確かめてくれない?」

恥じらいでも掃うような大袈裟な素振りで私の持つタブレットを指示し催促をする。包みから取り出したカバーは、見た目だけで丹誠込められて作れたと分かり思わず目頭が熱くなった。涙がカバーに零れぬよう直ぐさまタブレットに着せてみる。

「ありがとうございます… 重宝致しますね」

名前さんは「作った甲斐があった」と言って白い歯を見せた。人から物を貰ったのは初めてだった。ましてや好きな女性からプレゼントとなれば喜ろこびを押さえられはしなかった。

「どうして私なんかの為に?」

名前さんは肩を窄めた。

「だっていつも来てくれるから、ちょっとした気持ち」

ふわりと柔らかにはにかむ名前さんからのご厚情が痛み入る。この痛みは深く身を刻んで血が重く脈を打った。身に痛みが走っているのは先刻と同じ筈なのに、今回は何故か心地が良い。じんわりと広がって解けるような衝撃に――――これもまた至高なのかもしれないと私は思った。


「はぁ……」
「なにやってるんだライブラリアン。タブレット閉じたままニヤけて」
「? なに、ストライカーか。おっと、気安く私の物に触れないでくれたまえ」
「なっ、何か失敬だな」
「ああ……こうしてタブレットを抱えると彼女を懐にしているようだ………」
「うわ…何なんだアイツ? いつも以上に変態くさいぞ」
「3時間前からあの調子。どうにかしてよ」
「無茶ぶりするなよサイバー…」


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