逢瀬は殺しても死なない
「片付けに時間掛っちゃったね」
「もう皆居ないし…酷いなー」
本日最後の授業を終え下校時間の迫る中、煤けた体育倉庫で教材道具を片付けている男女が一人ずつ。男の名は了、女の名は名前という。この二人は好きとも伝え合った事がないがお互いに慕わしさを潜めていた。
「まぁ僕等も早く教室に帰ろうか」
「あれ、倉庫の鍵どこやったっけ……」
「えーと…………あ 名前ちゃん、足元のじゃない?」
如何やらいつの間にか落としていたらしい。二人が阿吽の呼吸で床にしゃがみ鍵に手を伸ばすと顔の間隔が狭まる。その所為で、必然的に両者が抒情的となった。
了と名前は、その場で接吻を交わす。雰囲気がそうさせたといっても過言ではなかった。どちら側からでもなく両者がゆっくりと近づいたのだ。 名前は焦点が合っていないように身動きを停止させて居たが、はっと我に返り視界を見直す。
「……!! あ、あの、…これは…」
恋人でもない異性と口付けた事に慌てを取らずには居られない名前は、顔を紅潮させ男から退いた。拍動の速さで発声を不可能としている。
「名前ちゃん」
名を呼ばれびくっと肩を跳ね上がらせると、一人で倉庫から飛び出してしまった。騒々しく去る彼女を追うことなく、呆然と見送るだけの了。
翌日、二人は問題なく登校する。名前の方は時間ギリギリまで家に籠っていたが休む訳にも行かず重い足取りで学校へ行った。 そんな彼女が廊下を歩いていると、大荷物を抱えた教師が声を掛けてきた。
「調度良かった。これを獏良と資料室まで運んでくれ」
獏良というワードを名前が聞き逃す訳がない。教師の後ろには、既にテキスト束を抱いた了の姿があった。
拒否する時間は与えず持っていた荷物を押しつさけ軽快に手を挙げ去っていく教師は名前の気持ちなど無論考慮しいないだろう。
名前は下に向ける顔しかないように俯き廊下を歩く。速足で資料室へと向かい、粗雑に荷物を収め了の側から離れ去った。 態度が悪いとは名前も自覚していた。しかし、羞恥心が彼と話す力を打ち消してしまっているのだ。
そしてまた次の日、人間が月日を拒んでも太陽は昇る。名前自身辛かった。今まで仲の良い友達で傍に居られた了と顔すら合わせられぬ状況で、学校でも家でも生きている心地が持てて居らず『接吻なんぞしなければ』と項垂れる始末となっていた。
エネルギーを消耗果たした放課後、人の多い昇降口に降りる気が起きない名前は、安らぎを求め図書室に訪れた。
足に任せ歩く。高々と規則的に積み重ねられている本を眺めると落ち着けるような気がした。すると正面の通路からコツ、と足音が響く。その足音の持ち主は了であった。
何故こうも鉢合わせてしまうのか。名前は胸の痛みを押さえ逃げ去ろうと道筋を返す。
「待って、名前ちゃん」
了が虚を衝き彼女の手首を掴み止めた。数日前の出来事を回想してしまう名前の体温は上昇してゆく。誰かに助けを求めたいような、しかし誰にも見咎められたくないような心境に切羽詰まらせる。
「ごめん」
彼が発した言葉で強ばる身体が解かれた。そっと振り替えると、ばつが悪そうに了は彼女を見ている。
「そんなに嫌だったんだね。僕としたのが」
「違う!」
やっと視線を合わせた名前は、図書室に響く自分の声に恥じらい口を紡ぐ。暫し沈黙が続いた後にそっと続けた。
「………嫌じゃなかった。でも、私は獏良くんの彼女でもないのに……キスしちゃったから、獏良くんに悪くて」
混み上がる様々な感情に目尻が熱くなるに連れて声も段々と小さくなる。
「ごめん。もうしないから」
あれはただの流れだ。だからしてしまった。このまま気持ちを伝えたからと言って彼が自分のものになるとは限らない。振られてこれ以上気まずくなるのなら憖っかで良い。一番泣き出したくなる事は、何処までも逃げの思考を叩き出す己の情けなさだった。
離れようとする名前を見た了が、常おしなく掴んでいる腕を強めに引いた。
「じゃあ、僕の彼女になればいいんじゃないかな」
両者の頬が赤いは夕暮れの仕業ではない。言葉を理解できてなく愁眉となってる名前に、了は言い聞かせるように同じ事を伝える。
「彼女なれば、もう悪いと思わないでしょ?」
そうして漸く名前を解放した。繋ぎ止める物が消えたにも関わらず、名前は其所に佇む。遂に涙が流れ出す彼女頬に、了が優しく手を添えた。
「僕は名前ちゃんだから、キスを許したんだ」
「………………いいの? 私で」
「うん。君がいい」
涙を濁流させる名前をあやすように抱きすくめ宥め賺す。女寄な顔立ちの了だが肩幅は広い。男なのだと思い知らされる腕の中で名前は泣き続けた。
「私も好き、獏良くんが好き」
「もう逃げないで僕の傍にいてね」
「うん……」
一度交えた逢瀬は不老不死となり、再度二人を巡り逢わせる。
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