バレンタイン
この紅空が薄暗がりな色に染まる前に名前は帰ってくるだろう。主の存在しない部屋には、太陽が傾いて行くさまを窓から朧げに見つめるサイレント・ソードマンの像が在った。
玄関からの音が家内に響く。主がご帰宅されたようだ。
サイレント・ソードマンは出向きたい気持ちを自粛し、頑なに身を留めた。彼は日常、彼女の部屋以外に赴くのは余り良い行為でないと思っているらしい。
だが此方に歩んで来るような足音は皆無だった。暫時待ち続けたが、礼節よりも名前会いたさの感情が勝ってしまい、結局部屋を出てみる事に。
浮つく足でリビングへ行くと、名前はキッチンで忙しなく腕を働かせている。一体何を行なっているのか興味で煽動し、そっと顔を出した。
「うわあ! サ、サイソド、居たの!?」
名前の愕きに驚いた。オーバーに慌てふためき手を広げる何かを庇う彼女。それを然程気には留めず、名前に帰宅の挨拶を掛けようと歩んだが、彼女は剣士の前に飛び出し声高に述べた。
「ダメ!来ないで!」
自らの身でキッチンの経路を封鎖する。そんな事をしてもモンスターである彼は、すり抜けようとすればすり抜けられ、触ろうとすれば触れるチートな体だ。そんな事は名前も承知していた。だからこうも必死なのだろう。
「来たら本当に怒るからね。こっちに来ないで。帰って」
示唆を与えられず早口に捲し立てられた。そんな剣士の精神に大ダメージ。あと名前は怒るよと言っている時点で怒っている。 主の命令に敬意を翻した事などない彼は、自分の世界へ帰るしかなかった。
「あ、あとね、明日は夜前には来ないで欲しいの」
しかし帰ろうとした際、追い打ちの言葉土産が投げ渡される。表の顔で出ない分、心中で酷く悲嘆にくれた。身体を引きずって自世界へ戻る剣士の背中は、誰もが同情出来るだろう。
* * *
次の日。
ここはDMの世界、彼らモンスター達が棲む場所だ。そんな常世の端くれで野放図にソードを揮う、不憫な剣士が。普段の生活では朝も昼も主の元にある為、此処では剣の修行しかやる事がないのだが、今日の彼は身が重んじて一向に捗らなかった。
地面に身を挺する。 もう夕方になりかけていた。しかし夜という闇はまだ遠い。
「何をしている」
巨大な影が彼にかかる。破壊竜のガンドラだ。
「だらだらと寝そべって、お前らしくもない」
いつもの自分とはどの様な風なのだろう、そんな事を考え体を起こす。竜の大きな身体で隠れていたのか、サイレント・マジシャンとガジェットとマシュマロン達も居る。そして、彼ら全員の手にそれぞれ何かの包みを持っていた。
「……それは?」
「名前から差し出された」
ガンドラはさらりと答える。軽く吐かれた筈なのに、サイレント・ソードマンの心には鉛を投げつけられたかのように重苦しかった。
自分は彼女を怒らせた挙句、皆に何を与える物を自分だけ何も配分されていないのだから。
「ガンドラ、包みごと食べてはダメよ。開けてから食べなさい」
「手間だ。このままでも問題はない」
サイレント・マジシャンの助言を聞かずにばくんと口に放り投げ胃の中に隠滅する。一体何なんだ、今日は何か行事があるのか。そして自分は参加することが許されていないのか? 疑問が疑問を喚び、サイレント・ソードマンは一人で訳が分からなくなってしまう。
「ソードマン」
自室へ戻ろうとした剣士を、サイレント・マジシャンが呼び止めた。
「この後、部屋へ来るよう伝るようにと頼まれたわ。お行きなさい」
「?」
誰の部屋に? と訊くと、彼女はあからさまに不機嫌になった。
「名前様の部屋に決まっているでしょう。まったく、この間抜け剣士」
温厚な眼がギロリ棘のある物に変わる。
「私達は考慮して、この様に夕方でお暇したというのに」
「………?、?? マスターには、夜まで来るなと言われたのだが……」
此処まで行っても理解しない剣士にとうとう胸糞悪く思ったのか、「いいからお行き」と半ば八つ当たりらしく背を殴り、彼方の世界に放り出した。
…………
……
「きゃあ!」
鈍い音と名前の悲鳴で部屋が鳴動する。サイレント・ソードマンは腰をひどく強打した。揺らぐ視界には少女の顔が映る。
「だ、大丈夫? サイソド……」
その少女とは、心配と驚きを交えた表情の名前だった。
「でもよかった。サイマジの連絡聞いて来てくれたんだよね?」
腰を擦りながら取り敢えず頷く。しかし名前は夜まで来るなと言ったのに、何故彼を呼んだのだろうか。今日は何かある日だとは悟れる 。
彼女は困惑する剣士をそのままにし、机に置かれている物を彼へと差し出した。これが総ての疑問を解かすアイテムだった。
「はい、バレンタインチョコ」
「!!」
「昨日はこれを造ってたの。ごめんね、来ないでなんて言っちゃって」
箱型であり中心には赤いリボンが巻かれている。
両手で受け取り感謝を言うサイレント・ソードマンの心は、疎外感の欠片もなくなり嬉しさで満たされた。
後で頂こうと考えた剣士に、今此処で食べてと言わんばかりに見てくる名前。
「皆にはクッキーを作ったけど、サイソドにはトリュフ。上手く出来たかわかんないから、ちょっと不安なんだ。その場で感想聞きたくって…」
きっとこの剣士は、名前から貰えるのならどんな物でも喜ぶ。
箱を丁重に開け一粒を口へ運ぶと甘さがいっぱいに広がった。「どう?美味しい?」訪ねる彼女の口にも一つ放り込む。
「うん、美味しい。……って、貴方の為に作ったんだから貴方が食べてよ!」
取り掛かってくる名前を受け止めやんわりと謝罪する。お互いに、顔が近くなった事で緊張走った。
口の中は更に甘味が増す。サイレント・ソードマンからの接吻によって。
「……甘くしすぎたね」
「そうでしょうか」
真っ赤な彼女は「だって、いつもならこんなキスしてくれないじゃない」と言った。その通り。必ず許可を得てする彼は、このような不躾行為をしないのだ。だが、菓子に気分を惑わせるような成分があるわけではない。
Happy Valentine
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