最悪の1日だと思った。朝、メールのチェックをすると仙道さんとオフィスでしていたあの行為の動画が送られてきていて、私は動揺が隠せないみたいにメールのウィンドウを素早く閉じた。誰が、何で?なんて頭の中で考えて、メールアドレスを見たけどフリーアドレスから送られてきていて誰だかわからなかったし、お昼休みにはたまたま仙道さんと高木さんが話してる所を見てしまったどころか、キスしてるところを見てしまった。その瞬間に、昨日仙道さんに言われた「好きだよ」と言われた言葉が繰り返される様に頭の中で回っていって、頭の中で仙道さんの言葉が繰り返されるたびに私の胸がちくりと痛んだ。もう何を信じて良いのかわからない。と、はぁっとため息をついた途端に「お疲れ、こんな遅くまで残ってんの?」なんて声が聞こえて、声のする方へ顔を向けると鈴木さんが私のデスク横に立っていた。『あ...』なんて声を出した私は、先週鈴木さんに言い放った『最低!』という言葉を思い返して鈴木さんから視線を外していく。言葉に詰まった様な私に「この前は悪かった!」と、鈴木さんが私に頭を下げるのが視界に映っていって、私は驚いた様に鈴木さんに視線を戻した。






『わ、たし...の方こそ、ごめんなさい...。あんなに酷いこと言って...』


「いや、俺が強引にキスしたのは事実だし...お前の気持ちも考えないで...俺、本当ごめん!」


『こ、こら!大声でそんなこと言わないでよ!馬鹿!変に誤解されちゃうでしょ!?』







まだ残ってる人もいるんだから!なんて、私は焦ったように仙道さんの方へチラリと視線を向けていく。だけど、仙道さんは気にしてないみたいにパソコンのモニターを見つめていて、私の胸は少しだけチクリと痛んだ。なによ、昨日は俺以外に抱かれないで、なんて言ったくせに...私の事好きだと言ったくせに...私が誰とキスしようが、本当は気にしてないんじゃない。なんて思いながら痛む胸を誤魔化す様にぎゅっと目を瞑ると、私の肩にぽんっと手が置かれていく。ハッとして目を開いて横を見ると鈴木さんが「お詫びに今日奢らせてよ」と眉を寄せて困ったように言うもんだから、私は『わかった...じゃあ仕事終わりに少しだけなら』なんて言って小さく笑った。そうだ、仙道さんは高木さんって彼女がいるんだから、期待したって駄目なのよ。それに、彼女がいるのに他の女性にアプローチするなんて、最低男じゃない。何馬鹿な期待してるのよ。なんて深呼吸を一度して、秘書課から出て行く鈴木さんに手を振っていった。











仕事が終わって鈴木さんのデスクまで足を運ぶと「悪い、もう少しで上がれるから待ってて」なんて言われて、『エントランスで待ってる』と告げた私は会社のエントランスまで降りていって椅子へと静かに腰をかけた。ぐちゃぐちゃになった頭を整理するみたいに、はぁと小さくため息をついていって、自分の顔を手で覆っていく。私は仙道さんが好き、牧さんを忘れたいという気持ちがあるから無理に言ってるわけでもなくて、私の全てを受け止めてくれるような彼が、好きだった。だけど今日、高木さんとキスをしている仙道さんを見て痛んだ胸が現実を思い知らされたみたいに苦しくて、牧さんを忘れさせてくれるって言ったくせに、私を好きだと言ったくせに、なんて考えていっても現実が変わるわけじゃない。人生に置いてタイミングってやっぱり大事だ。私はそのタイミングをきっとどこかで間違えた。ただ、それだけ…だから諦めなくちゃいけない。牧さんへの気持ちが薄れていったみたいに、きっと仙道さんへの気持ちも、すぐに忘れられる。大丈夫。なんて自分に言い聞かせていって、ジワリと滲んだ視界を誤魔化すみたいに『失恋ね…』と小さく呟いた。瞬間に私のスマホが小さく震えて、スマホ画面を確認すると仙道さんからの着信だった。仕事の事かも知れない、出ないと…仕事に私情は禁物だ。それをずっと、やってきたじゃない。だから、今回だって大丈夫。そう思いながら応答ボタンをタップして『はい』と電話に出ると、少しだけ焦ったように仙道さんが「花子ちゃん今どこ?」なんて声が受話器から聞こえた。私はなんで焦っているのか良く分からなくて『どうしたの?仕事でトラブル?』と少しだけ眉を寄せながら答えると「良いから、今どこ!?」なんて私の言葉を遮る様に仙道さんの声が私の耳に届いていく。







『会社のエントランスだけど…どうかしたの?』


「そこから絶対に動かないで」


『あの…よく意味が分からないんだけど…』







そう言って頭にはてなを浮かべた私に「絶対に鈴木さんに近づかないで」と仙道さんの言葉が聞こえた瞬間に私の胸がギュッと痛んだ。何よそれ…また、他の男に抱かれないで、なんて言うつもり?と、期待するみたいに頭に浮かんだ言葉を振り払うみたいに『私が誰と会おうが、あなたに関係ないじゃない…彼女を…高木さんを大事にしなさいよ』と吐き捨てるように言ってから、通話の終話ボタンをタップした。なによ、これ以上、期待させないで…これ以上、苦しくさせないでよ。なんてスマホ画面を見つめていると、またすぐにスマホが震えて仙道さんからの着信を告げていく。私は小さくため息をついていって、応答ボタンを押そうとした瞬間にスッとスマホの画面が誰かの手で遮られると、私は驚いたように目の前に立った人物を見上げた。そこに立っていたのは鈴木さんで「ごめん、待たせたな」なんて小さく笑いながらそう言って、私は『そんなに待ってないけど…手、どけなさいよ…』と困った様に眉を寄せていく。




「画面見えたけど、仙道って、あいつだろ?なんか、言われたの?」


『別に…』


「どんな?」


『え?』


「どんな内容の電話?」


『…ただの、意味のわからない電話よ…』


「お前の好きな奴って…社長なんじゃねぇーの?」


『…え?』


「やっぱ仙道って奴が、好きなの?」


『な、なに言ってんのよ…!』




焦った様に鈴木さんの顔の前に待った!とでも言うように手を持っていくと、熱くなった顔を誤魔化すみたいに『いいから…早く行きましょう…』なんて小さく呟いた。鈴木さんは顔の前に向けた私の手を取ると、何も言わずに早歩きでどこかへ向かって言って、私は『鈴木さん?どうしたの?』と困惑したように問いかける。だけど鈴木さんは何も言わないまま、会社から少しだけ離れた路地裏まで行くと、私の方へと振り返ってビルの外壁へ私を追い詰めていく。展開についていけない私は『鈴木さん…?』と、ビルの外壁の間に挟むようにして私の顔横に手を置いてくる鈴木さんの名前を戸惑ったように呼んでいって、同時にビルの影で薄暗くて良く見えない鈴木さんの顔が、知らない人のようで少しの恐怖が私を包んでいった。少しの沈黙が私達の間に流れていって「社長なら…諦めがつくと思ったからずっと我慢してたのに…なんで?あんな男のどこがいいんだよ」なんて不意に鈴木さんが口を開くと、私の口からは『え…?』と自然と声が漏れていく。





「俺は、入社した時から見てたのに、あんなポッと出の男に田中を取られたくない」


『す、鈴木さん…?』


「ずっと、見てたんだ…付き合ってって言ったの本気だから」


『…私…ごめんなさい…鈴木さんの事…そんな風に見れない…』




鈴木さんに痛いくらいに見つめられてそう言いながら思わず顔を横に反らすと、鈴木さんの顔が近づいてきて、私はグッと鈴木さんの胸を押していく。『やめて!』なんて声を荒げて鈴木さんの胸を更に押していくと、顔横に置かれた鈴木さんの手が胸を押している私の手首を掴んでいった。鈴木さんに痛い位に掴まれたせいで、私は思わず眉を寄せていったけど「なんで?俺じゃダメなの?ずっと、お前の事見てたのに」と苦しくなるような声で言った鈴木さんの言葉で何故だか私の胸が痛んでいって、鈴木さんは私と同じなんだ。牧さんを好きだった頃の私と…なんて自分の姿を重ねていく。だけど、すぐに私と違うと感じ取ったのは鈴木さんが言った「あいつは、一夜限りの男じゃなかったから?」の一言からだった。『え…?』なんて驚いた様に出した私の言葉に「言っただろ…ずっと、見てたって…」と眉を寄せながら鈴木さんが私を見つめていって、続ける様に「今までの男は、一夜限りだったのに、あいつは…仙道だけは違ってたじゃん」なんて今までの事を全て見ていたかのように話し出して、私の背中に冷たい風が走っていく。





『え…?なに…言ってるの…?』


「会社で、仙道にされてるの見てたんだ…あいつの家に行ったのも見てたし、海に一緒に入ってるところも見てた。最初は振り回されてるだけなんだって、仙道に強引にされてるから、優しい田中は仕方なく付き合ってるだけなんだって思ってた」


『…』


「だけど、お前笑ってたよな?普通に楽しんでたよな?好きになってたよな?セックスする時だって今までの男たちとは違う、あんな甘い声出しちゃってさぁ…」





鈴木さんの口から出る言葉に、なんで知ってるの?なんて疑問が溢れ出るのに、どんどん恐怖を感じていく私の口からは何の言葉も出ることがなくて、私の足が震えるように動けなくなっていく。「なぁ、なんで黙ってんの?」なんて鈴木さんの問いかけに、私は強張った様にビクッと身体を震わせた。私の知ってる鈴木さんは、同期の中で誰よりも仕事が出来て、私が社長の秘書になりたいって言った時も一番に応援してくれて、ぶっきらぼうだけど優しくて、なんでも相談に乗ってくれるような人だった。なのに突然そんな怖いことを言われたら、誰だって何も言えなくなるに決まってる。そのまま黙っている私の手首を鈴木さんが更にギュッと強く掴んできて私の口からは『痛っ…!』と小さく漏れ出る。痛みに耐えるように眉を寄せた私に、鈴木さんは「俺のものになれよ」なんて言って顔を私に近づけてきた。どうやって逃げようか考えたって、目の前で起きてるのが現実なのかもわからない。ただ、怖くて動けない私の視界がどんどん滲んでいって、鈴木さんを刺激しないように出た『ここじゃ、だめ』と言う私の言葉に近づいてきた鈴木さんの顔がピタリと止まる。「あぁ…そうだよな。悪い…ムードなかったな…」なんて言いながら私の手首を掴む手が緩んでいって、今だ!と思った。ドンッ!と思い切り鈴木さんを突き飛ばして私は勢い良く走り出す。怖い、怖い、逃げなきゃ。どうしよう、誰か…!なんて頭の中で回っていく言葉の中で、仙道さんの顔がぼやけたように浮かんでいった。なによ、馬鹿…あんな人に期待しないって、決めたばっかりでしょ…。滲んだ視界が更に滲んだ気がして、「田中!」なんて鈴木さんが叫ぶ言葉を振り切るようにギュッと目を閉じてそのまま走った。だけどヒールを履いているせいなのか、恐怖で足がすくんでいたからなのか、上手く走ることが出来なくて、もうすぐで路地裏を抜けるというところで私の腕がガシッと鈴木さんに掴まれる。バクバク早くなる心臓の音が、恐怖で奪われたように出なくなった私の声が、上手く呼吸ができないみたいに吸えない空気が、私をどんどん恐怖へと突き落としていくみたいだった。「田中の鞄に盗聴器とGPS入れてるから、逃げたってすぐに捕まえられるよ?」なんて、耳元で囁かれた鈴木さんの言葉に、ゾクリと私の背中に悪寒が更に走っていって、冷えた汗が私の頬をツーッと走っていく。どうしたらいいのか分からなくて震えた声で鈴木さんの名前を呼んでいった私の腕が、鈴木さんに引っ張られていって、私は尻もちを着くようにして地面に倒れた。




「田中、こっち向けよ」


『…』


「大丈夫、何もしねぇーって、お前の事…愛してるだけだよ」





鈴木さんを刺激しないようにしなきゃ、なんて目をギュッと瞑ってずっと考えていたのに、私の震える口から出た言葉は『いや…ッ…!仙道さん…!』と、あの人の名前を呼ぶ言葉だけだった。






期待させないで、なんて
(私も人に期待させておいて、よく言えるよね)




多分私はどこかで鈴木さんに期待をさせる様な発言や行動を無意識にしてしまったんだ。だから、鈴木さんがこうなってしまったのかもしれない。なんて自分を責める様に俯いて動けない私に「花子ちゃん!!」なんて、聞きたかった仙道さんの声が聞こえて思わず俯けた顔を上げていく。滲んだ視界でだって見間違えるはずがない仙道さんの姿が少し離れたところに見えて、私の視界が余計に滲んだ様な気がした。










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