月曜日の朝は、最悪の気分だった。金曜日にお風呂に入ったとき、鏡で見えた自分の首元には、鈴木さんの唇で吸いつかれてついたであろう赤い痕が残っていたとか、仙道さんに嫌いと言って逃げたくせに、本当は仙道さんのことが好きだとか、牧さんのことが好きだったはずなのに、こんなにも簡単に自分は他の人になびくような女だったんだ。だとか、色々考えてしまって、この週末は何も手につかなかった。そのまま月曜日の朝を迎えて、いつもみたいに化粧をして、スーツに着替えて、髪型を整えて、なんて準備を進めていくのに、玄関でヒールを履いた私の足は、鉛みたいに重かった。どんな顔して、仙道さんに会ったらいいの。どんな顔して、鈴木さんに会えばいいの。そんな事考えたって答えなんか出るわけなくて、私は深呼吸を1回した後に、いつもよりも重たく感じる玄関の扉を開けて家を出ていった。
















『おはようございます...』


「おはようございます」





結構早めに会社に着いたと思っていたら、仙道さんがすでに自席についていて、私は挨拶をした後に何を言ったら良いのかわからないまま、牧さんが出社するまで自分の仕事をしていった。仙道さんも何も言わないままで、牧さんに今週のスケジュールの確認をしに行って、仕事を淡々と進めていく。なんで、何も話さないの?いつもあんなにうんざりするくらい、話しかけてくるくせに。なんて考えていくのに、私が自分で言った『嫌い』という言葉が私の頭の中をぐるぐる回っていく気がした。結局その日は仙道さんと私は業務以外何も話さなくて、自分で突き放したくせに自分で勝手に傷つくなんて本当に馬鹿みたいだ。なんて思いながら、『お疲れ様でした』と言って仙道さんを見つめた。仙道さんは私の方をチラッと見て、すぐに私から視線を逸らした後に「お疲れ様でした」なんて言ってパソコンモニターを見つめていく。そうだよね、これが普通の同僚としての距離感だ。これが、本来あるべき姿で、私だって前はそう望んでた筈だった。なのに私は、自分が仙道さんの事をどう思っているのか気づいてしまった手前、この状況が嫌で仕方がなかった。だけど、どうしたら良いのかわからなくて、この状態で仕事に集中なんかできるわけもなかった。次の日も、その次の日も、変わることがない状況に、仙道さんを傷つけてしまったんだ。と自覚していく私の胸が誰かに掴まれているみたいに痛くなる。このままじゃ、だめだ。と、私は退社する直前に仙道さんに『明日、時間ありますか?』なんて話しかけて、仙道さんは少しだけ眉を寄せて「なんで?」とパソコンモニターから目を離さずに答えた。『明日、時間があるなら仕事終わりに私と...』飲みに行かない?と、続けるつもりが「仙道さ〜ん!」なんて声が聞こえて口をつぐんだ。声のする方を見ると、仙道さんと付き合ってるって噂の高木さんで、仙道さんに近づいて「明日、約束覚えてます?」とニコッと笑った。仙道さんは「覚えてるから、わざわざ来なくてもよかったのに」なんてため息まじりに呟いていって、立ち上がりながら高木さんに視線を移す。「あ、田中さんお疲れ様です」なんて私に視線を移した高木さんが仙道さんの腕に腕を絡ませるのが見えて、私の心臓がドクドクと煩いくらいに早くなる。





『お疲れ様、です...』


「あれ?何か業務の話してました?すみません、遮っちゃって」


『いえ...別に大した話じゃないので...』


「え〜?本当ですか?明日がどうたらとか、言ってませんでした?」


『本当に、なんでもないですから』


「あ、仙道さん田中さんが美人だからって浮気はダメですよ?私の彼氏なんですから」


「...わかってるよ」






高木さんが口にした"彼氏“という言葉で、私の喉に穴が開いたみたいに喋れなくなって、視界が揺らいでいく。仙道さんと高木さんが「お疲れ様でした」と言う言葉に、私は何も言えないまま2人が目の前からいなくなるまでボーッとパソコンモニターを見つめていた。なんだ、本当に付き合ってたんだ。しばらく何度か瞬きをして、現実を受け入れられないみたいな私の頭を落ち着ける様に深呼吸していくと、パソコンの電源を消していく。落ち着かない心臓の音が、マウスを握る手が、真っ黒になっていく様な私の視界が、全部が震えている様な気がする。そのまま帰ろうとしたけど、なんだか家に1人でいる気分になれなくて、私はいつものバーへ足を運んでいった。


















「あれ?久しぶりですね。忙しかったんですか?」

『えぇ...ちょっと...』





馴染みの店員さんがお酒を運んでくれて、私は少し俯いて持ってきてもらったお酒を口に運んでいく。喉に流れ込んでくるお酒で、喉が焼け付くみたいに熱くなって、「隣、良いですか?」なんて声が聞こえると、私はパッと声のする方へ振り向いた。だけど振り向いたって仙道さんが居るわけなくて、知らない男性が居ただけだった。自分で勝手に期待したくせに、そうじゃなかったら勝手に胸が苦しくなっていくって、本当に馬鹿みたいだ。私がチクリと痛んだ胸を隠すみたいに『良いですよ』と小さく答えると、男性は「ありがとう」なんて小さく笑って私の隣の席へと座り込む。ただ、他愛無い話をして、興味のない相手の話に相槌を打ってくだけ。今までは普通に出来てたことが何故だか今日はできなくて、その人の話が全く入ってこなかった。だってどうせこの人だって、目的は一つだ。しばらく話を聞いていたけど、私はハァッと小さくため息をついて『そろそろ、行きます?』と、その人と一緒にお店を出ていって、ある所に向かっていく。行き先なんか決まってる。だけど、私の頭の中に何故だか仙道さんの顔がチラついていって、思わず『やっぱり...今日はその...』なんて、私が全て言い終わる瞬間に「花子ちゃん!」と、後ろから聞きたかったはずの声が聞こえた。振り返って見えた姿は、勿論仙道さんで、「何してんの?」なんて私に近寄ってきたかと思えば私の腕を掴んで「この人、俺のなんで...すみません」と言って私がお店を一緒に出た男性の言葉なんか聞かずにその場から走る様に消えていく。何よ、高木さんと付き合ってるくせになんで、私の手なんか掴むのよ。なんで期待させるみたいなこと...なんで...。と、頭の中で考えていくのに、仙道さんが言ってくれた言葉がただただ、嬉しかった。ドキドキしていく心臓の音が身体中に響いていって、仙道さんが掴んだところからどんどん熱を帯びていく。そのまましばらく仙道さんに手を引かれながら歩いていって、仙道さんがピタリと足を止めると私も同じ様に足を止めた。





「...花子ちゃん、何してんの?」


『仙道さんこそ、こんな所で何してるのよ...』


「一応、気になって見にきただけ」


『気にするなら...恋人の高木さんのこと気にしたらいいじゃない。私の事なんて...』


「...俺が気にしてるのは、花子ちゃんのことだけだよ」


『え...?』


「あ、ごめん...俺の事嫌いだったんだっけ...」





「本当は、邪魔だった?」なんて私の腕を掴んでいた仙道さんの手が離れていって、私は小さく首を左右に振った。言いたいことはたくさんあったけど、私の口から何も出てこなくて、仙道さんと業務以外の話ができることがただ、嬉しかった。毎日会っていたのに、たった数日業務以外の話をしなかっただけなのに、なんでこんなに胸が熱くなるの。思わず胸に当てた手をギュッと握っていくのと同時に、高木さんと付き合ってる事実が頭を掠めていって『高木さんが...彼女が見たら嫌がるわよこんな所...』と仙道さんから視線を外す。仙道さんは何も言わなくて、私を見つめているのが視界の隅で見えると、私は思わずギュッと目を瞑った。なんで、こんなに期待させるようなことするの。残酷な人。そんなこと考えていたら「花子ちゃん、俺以外の人に抱かれないで」と、仙道さんの声が聞こえて、私は思わず瞼を持ち上げて仙道さんの方へ視線を移した。なんで、そんなこと言うの?なんて私の言いたいことがわかるみたいに仙道さんが困った様に眉を寄せていって、私を見つめて小さく笑う。





「花子ちゃんが、大事なんだ」


『どうして?高木さんが...いるじゃない...』


「...そーだね...」


『仙道さんは、なんで私の事そんなに気にするのよ...私はあなたの事が...』


「知ってるよ...嫌い、なんでしょ?」






言いながら仙道さんがまた眉をグッと寄せていって、私は小さく首を左右に振る。同時に胸元で握った拳を更にギュッと強く握りしめて『この前は...酷いこと言ってごめんなさい...嫌いじゃないわ...私、本当は...』と、私の言葉が全て口から出る前に仙道さんの手が私の口を塞いだ。「それ以上は、言わないで」なんて困った様に小さく笑った仙道さんが私を抱きしめるみたいに引き寄せていって、私は仙道さんの腕に包まれる。ドキドキと早くなっていく心臓の音が聞こえちゃうんじゃないかって位に煩くて私はギュッと瞼を閉じた。嬉しいのに、苦しくなる胸が更に苦しくなっていく気がして、仙道さんの手が離れた口から『何、してんのよ...』と、仙道さんの腕の中で小さく呟く。仙道さんは「んー、本当...俺何してんだろ...」なんてため息まじりに囁いたと同時に私の頭に小さく口付けた。






「俺...花子ちゃんが好きだよ」


『...彼女がいるくせに...最低ね』


「あはは、そうだよね...でも、本当に花子ちゃんが大好きなんだ」


『馬鹿じゃないの...離して...』


「もうちょっとだけ...このままでいさせて...今だけで、いいから...」





ギュッと強くなっていく仙道さんの腕が私を痛いくらいに抱きしめていって、同時に私の胸がまたチクリと痛んでいく。だけど仙道さんの腕を振り払えるわけなくて、静かに仙道さんの腕の中で『今だけよ』なんて自分に言い聞かせるみたいに小さく呟いていった。










今だけは、
あなたの腕の中で

(高木さんに悪い事してるって、わかってる)





次の日、会社に行ってパソコンを立ち上げてメールのチェックをした瞬間に私は目の前が真っ暗になった。だって、私と仙道さんがオフィスでしていたあの時の行為の動画が、送られてきていたから。







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