その日はたまたま定時に仕事が終われそうなくらいの業務量で、花子ちゃんの事を飲みに誘って、俺ん家行って、いつもみたいに、なんて思って「花子ちゃん、今日さ」と声を掛けた俺の言葉を遮るみたいに「田中!」なんて秘書課の入り口の方から声が聞こえて、俺は思わず口をつぐんだ。花子ちゃんに近づいてきた彼は、花子ちゃんがこの前名前を教えてくれた営業部の鈴木さんってやつだった。






「定時ダッシュできる?」


『もう少しで終われるからもうちょっと待ってて』


「はいよ。じゃあ先に下で待ってる」


『うん、ありがとう』






なんて2人のやりとりを少し見ていた俺の心臓が、焦った様に早くなる。鈴木さんが秘書課から出ていって、花子ちゃんがパソコンモニターに視線を戻してすぐに「行くの?」なんて彼氏でもないのに不機嫌そうに言いながら眉を寄せた俺に、『聞こえてませんでした?』と、花子ちゃんが初めて会った時の様な冷たい声を出していく。花子ちゃんの声を聞いて戸惑った様に「なんで?」と、更に眉を寄せる俺を、ちらっと花子ちゃんが見て俺の言葉を無視するみたいに帰り支度をしていった。『お疲れ様でした』なんて言って、そのまま花子ちゃんが席を立っていって、俺は何をしたのか少し考えていく。なのに、考えたって、俺はただ気持ちをぶつけただけだった。花子ちゃんの気持ちを無視しすぎた?だけど、花子ちゃんはこの前俺を受け入れてくれた。それにまだ牧さんを好きな花子ちゃんのことを、傷ついて落ち込んでる花子ちゃんのことを、ただ黙って見てるだけなんて嫌なんだ。ただ、気持ちを伝えてないだけで花子ちゃんの弱いところも、強がるところも、泣き顔も、笑顔も、全部ひっくるめて俺だけに見せて欲しい。それをパッと出の鈴木なんかに、他の男に横からかっさらわれるなんてごめんだ。それに俺は、まだ花子ちゃんに好きだと口にしていない。拒まれるのなんかわかってるのに、俺は思わず後を追う様に席を立っていって、エレベーター前で立ち止まっている花子ちゃんを見つけた。花子ちゃんの腕を掴んで「俺、なんで?って聞いたんだけど」と、花子ちゃんの背中に向けて余裕がない言葉を口から出していった俺に、花子ちゃんは振り向かないまま『あなたに、関係ないでしょ』と、我慢しているような声を出していった。また、我慢してるの?花子ちゃんは今、何を、考えてる?なんて考えたってわからなくて、続ける様に『こんな所見られたらまずいでしょ』なんて言って、花子ちゃんの腕に力が入っていくのが、俺の手に伝わっていく。






「俺は良いよ」


『...嘘つきは、あなたの方じゃない』


「は?何それ?」


『触らないで...』






そう言ってパシッと俺の手を振り払いながら、花子ちゃんは振り向いて俺を見つめた。『嫌いなの』と、ハッキリ俺の目を見つめながら言った花子ちゃんの言葉に俺の心臓が掴まれたみたいに痛くなっていって、現実なんて受け入れたくない俺の口からは「どういう意味?」と、勝手に口から漏れていく。馬鹿みたいだけど、信じたくなかったんだ。花子ちゃんに、ハッキリ嫌いって言われてるなんて、信じたくない。そんな俺の事なんか気にしないみたいに『私は、仙道さんの事が嫌い』と、俺の目を見て花子ちゃんが繰り返すみたいにそう言った。だけど、どこか悲しそうな顔をしている様に見えて、いや...俺がそう思いたかっただけなのかもしれない。花子ちゃんの言葉に固まったみたいに何も言えない俺に『二度と、私に触らないで』と、花子ちゃんはそう言った後、俺の横を通り過ぎていって、非常階段の扉を開けていった。俺は花子ちゃんに振り払われた手を見つめながら、頭の中で勝手に繰り返されていく花子ちゃんの言葉を消し去るみたいにギュッと目を瞑っていく。追いかけたい。追いかけなくちゃいけない気がした。その瞬間に「仙道さん!」と高い声が聞こえて、俺は目を開けて声のする方へ視線を移した。視線の先にいたのは、昼休みに話していた総務の女性で、花子ちゃんとは正反対なタイプの、いつも無邪気に笑っている様な子で、名前なんか覚えていない俺は『あれ?昼間の...』なんて呟いていく。「あはは、高木ですよ。本当に忘れっぽいんですね」と、ニコッと笑った高木さんは、多分男にモテるんだろう。小さくて可愛い、俺からしたら子供みたいに見える彼女は、俺を見つめながら目を細めて「昼間、付き合ってないって確認してくれた話、あるじゃないですか」なんて言って俺のそばまで寄ってくる。そうだ。俺たちは付き合ってる、なんて噂を聞いて俺は確認するみたいに昼休みに話に行って、「私彼氏いますし、そんなわけないですよね」と、笑う高木さんに「俺も好きな人いるし、あり得ないよね」なんて返して笑っていた。なのに、高木さんは今、すごい楽しそうに笑っていて「あの話、本当にしちゃいましょうよ」と、信じられない様なことを口にした。






「は?」


「だから、私たち本当に付き合いませんか?」


「...高木さん、彼氏いるんじゃないの?」


「まー、正確には付き合ってると思わせる。っていうのが正しいのかな...?私、見ちゃったんですよね」






「誰もいないオフィスで、田中さんと仙道さんがえっちなことしてるの」なんて言ってスマホ画面を俺に見せる様にして自分の顔横に持ってくると、またニコッと笑ていく。俺は一瞬なんのことを話しているのかわからなくて、スマホ画面を確認するみたいに視線を移すと「わかんないですか?これですよ」なんて、ズイッと俺の目の前に持ってきた高木さんのスマホ画面には、花子ちゃんと俺がコピー機の前でしていた行為が映し出されている画面が見えた。パッとスマホを奪おうとする俺に、またニコッと笑った高木さんが「これ、社内メールで一斉送信しちゃったらやばいですよね?」と、スマホを下げてクスクス笑う高木さんに「俺は、別にいつ会社辞めても困らないし、送ってもらって良いけど?」なんて焦った気持ちを誤魔化すみたいに小さく笑っていく。





「ふーん。でも、仙道さんは良いかもしれないですけど、田中さんはどうですかね?」


「...」


「プライド高いと思うし、会社にいられないんじゃないですか?それにほら、社長の秘書になるのだって、すごい頑張ってたみたいですし...キャリアを壊されるのは、困るかなぁって...」


「君、良い性格してるね...」





俺の言った言葉にクスクス笑った高木さんは「それで、どうします?私と、付き合います?」なんて言って俺を見つめる高木さんに、俺に選択肢なんて無いじゃないか。なんて思いながら「良いよ、ただし、田中さんに危害を加えないこと。後、動画を消してくれる条件...教えてくれる?」と、苛立った気持ちを抑えるみたい静かに瞬きをして高木さんを見つめた。






「田中さんの、傷ついた顔が見たいだけですよ」


「...なにそれ?」


「私の彼氏浮気したらしくて、誰か問い詰めたら田中さんと特徴が似てて...田中さんの写真見せたら、案の定って感じで...」


「それは浮気した彼氏が悪いんじゃないの?」


「ムカつくんですよね。一晩限りだかなんだか知らないですけど人の彼氏と浮気しておいて、普通に仕事してるのが。そのくせ社内で人気の社長と仙道さんの周りにずっといるし、目障りじゃないですか?」


「そんな事で、俺を脅迫してるの?」


「私にとってはそんな事、じゃないんですよ。いわゆる復讐ってやつ、なんで...」






「この動画社内にばら撒かれたくなかったら協力してくれますよね?」なんて笑った高木さんに、俺はYESと答えるしかなかった。「とりあえず、今日は一緒に帰りましょうよ」と、俺の手を取った高木さんの手を思わず振り払うと「あれ?協力、してくれるんですよね?」と、俺に視線を移した高木さんから視線を逸らして、俺は高木さんの手をギュッと握っていく。花子ちゃんを追いかけなきゃいけなかったはずなのに、なんでこうなった?俺が誰もいない、と勝手に判断して花子ちゃんに迫ったせいだ...。なんて考えても過去が変えられるわけじゃない。俺はどうしたらいいのかわからないまま、ギュッと握り返される高木さんの手の体温を感じながら、瞼を静かに下げていった。








全部、俺が悪い
(こんな展開、最悪だ)





「とりあえず、来週から田中さんと話さないでください」


「田中さんの補佐なんだから、それは無理」


「仕事以外の話ですよ。私もそこまで鬼じゃないですし...」


「結構、鬼だと思うよ?」


「そうですか?とりあえず、1週間くらい無視してくださいよ。その後の作戦はまた、考えましょうか」




(嫌われてたって、花子ちゃんは俺が守るよ)






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