「お疲れ様」




会社に帰ってから昼間あったことを忘れる様に仕事をし続けて、ふと声をかけられた途端に、声のする方に視線を移すと私の少し離れた所で仙道さんが困った様に笑ってた。「もう終わりそう?」と、私を見つめる仙道さんに『...えぇ。これ保存して電源落としたら終わりよ』と返してパソコンに視線を戻して、言葉にした作業をするみたいにマウスを握る。「もう遅いから送ってく」なんて言った仙道さんに『今日は1人で帰りたい気分だからいいですよ。先に上がってください。お疲れ様でした』と返していって後ろから聞こえてくる「わかった。お疲れ様でした」の仙道さんの声にまた『お疲れ様でした』なんて復唱するみたいに呟いた。パソコンの電源を落として、帰宅の準備を進めてく。仕事をしていた時は何も考えずに済んだけど、こうして何もしていないとどんどん昼間のことが頭に浮かんできて、私の頭の中は牧さんの事でいっぱいになってしまう。駄目、家に帰るまで、泣いちゃ駄目。と、じわりと滲んでいく視界を振り払うみたいに自分に言い聞かせながら秘書課から出てエレベーターに向かう途中で私は足をぴたりと止めた。エレベーター前に見えたツンツン頭が、まだ仙道さんが居るってことを教えてきて、鉢合わせしたく無い私はその場から動けない。仙道さんは鋭い。だから私のこの顔を見たら、また何か聞いてくる。話したくない、認めたくない、人前で泣きたくない。そんな小さなプライドが、今の私のストッパーの役目を果たしてるみたいだった。そんな事を考えていたらエレベーターが到着した音が聞こえたのと同時に仙道さんがエレベーターに乗り込んだのが見えて、私はエレベーターの扉が閉まることを確認すると、足を進めてエレベーターのボタンを押していく。ボタンを押した瞬間、すぐにエレベーターの扉が開いて、困ったみたいに眉を寄せてる仙道さんが私の視界に入った。






「花子ちゃんさ...1人で、何してんの?」


『...あんたこそ、何してんのよ。早く帰りなさいよ』


「エレベーターのボタン押し忘れた」


『馬鹿じゃないの』


「...花子ちゃんこそ、馬鹿なんじゃない?」


『誰が、馬鹿なのよ...』


「泣きそうな顔してるくせに、何我慢してんの?」


『別に、我慢なんて...ッ!』





言い終える前に仙道さんの手が伸びてきて、私はエレベーターに引き込まれる。そのまま仙道さんがギュッと私を抱きしめながら「俺の前で我慢しなくて良いんだよ」なんて言いながら私の頭頂部に顔を埋めた。何よ、それ。私のことわかってるみたいな台詞、馬鹿じゃないの。私の事なんて何も、知らないくせに。分かったふりしないでよ。と、口から漏らしたかった悪態が、仙道さんの言葉で滲んでいく私の視界と、ツンっと痛くなった鼻の先と、何かが詰まったみたいに苦しくなっていった喉のせいで私の口から出てくることはなかった。代わりに頬を伝っていった涙が、止まることなく溢れ出てきて仙道さんのワイシャツをギュッと握りしめながら、声を我慢するみたいに下唇を噛み締める。見たくなかった。好きな人のあんなところを。私じゃない誰かを抱きしめて、好きだと言うところを。ずっと隣にいたのに、私が、牧さんの隣に。苦しくて、辛くて、でも好きだった。牧さんの彼女が出来る前に、私が気持ちを伝えていたら、今頃牧さんの腕の中に私が居ただろうか。そんな事考えたってしょうがないのに、私の頭の中で浮かんでくる言葉が、更に私の胸を締め付けていってどんどん痛くなっていく。





『牧さんの...彼女を見たの...』


「うん」


『私よりも可愛くて、素直そうで...』


「うん」


『牧さんが、その人に好きだって...言ってて』


「うん」


『私...ッ...』


「うん」





嫌いなんて思っている仙道さんに、自分でもなんでこんなこと言ってるのかわからないのに、仙道さんは優しく相槌をしながら、ずっと話を聞いてくれて、私は止まらないみたいに自分の気持ちを口から漏らし続けていった。








嫌いなはずの仙道彰
(なんでこんなに、優しくするの)





「場所、変える?」


『...何もしない?』


「最初に言ったと思うけど、泣いてる女性を無理に抱いたりしないよ」


『...あ、そーですか』


「ん?残念?」


『そんなわけ、ないでしょ...そ、それより1m!』


「あはは、はいはい」






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