Chapter 2
長椅子の傍らの卓に山積みとなっている紙束と、その上に置かれた硝子が炎に煌く眼鏡を一瞥し、少女は青年に眼を戻す。少女は猫めいた仕種で背を反らすと、背凭れから手を離し、長椅子の正面に回りこんだ。痩せた膝頭が絨毯に沈む。膝立ちの少女は寝息の乏しい青年を眺めた。縺れた金緑の髪が項に絡んでいる。頬に影を落とす金緑のはずの睫毛は、暖炉の火に曝されて、朱を帯びて透けていた。繊細な指先が彫像の頬をなぞる。青年の顔を両手で包みこむように、頬から顎を、顎から喉を、喉から首筋を、夜に冷えた指先が這い辿る。少女が上体を傾げると、前に傾いだ華奢な肩から黒髪が零れた。硬質な髪の一房が青年の頬をかすめる。くすぐったそうに、魘されているかのように、青年の瞼に力が籠もる。少女に横顔を晒したまま、青年はわずかに顎を擡げた。朱金に透けた睫毛が強張った瞼にひきずられ、かすかに痙攣する。茫洋とした蒼が、眠りに浮腫んだ瞼の下にちらついた。
常と異なり硝子に守られていない蒼の片目が、沈黙の裡に見つめ続けてくる硝子玉の蒼に、ゆっくりと焦点を結んだ。
「エメリ?」
眠りに擦れた音が、吐息として、青年の唇から零れ落ちる。ぼやけた確信を声に乗せるも、眠気に圧されてか、億劫そうに青年は瞼を落とした。
「追い返されてしまってね」
青年がたゆたわせた失笑のようなものは、暖炉の薪が爆ぜるとともに灰燼と帰す。
まどろみの繭にほのかな息苦しさを覚え、ヴェイセルは瞼を持ち上げた。夢の残滓を漂う目が、橙の艶を宿し、眼前に揺れる指輪を捉える。わずかな身動ぎで仰向けになった青年は、石膏の喉笛を夜に晒した。仰け反った首筋を繊手が縁取る。少女の唇から零れるささやかな熱が、彫像の肌を撫でた。少女の指先が青年の血脈を寸断する。酩酊と陶酔が綯い交ぜとなったような、肉の輪郭が蕩け去るかのような錯覚に、覚醒の淵に漂っていた青年は溺れていく。
「あぁ、そうか、そうだよな」
譫言のように、睦言のように、青年は音を撒いていく。
少女の目には困惑があった。青年の口の端には安堵の棘があった。
「それでいいよ」
歓びをすらゆらめかせて、青年はやわらかく微笑した。
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