Prologue


開け放たれた、教会の鉄扉の前。花婿とともに歩んでいた花嫁の足が、縺れた。花婿は、傾いだ花嫁に片腕を回し、支える。抱きとめられた花嫁は、花婿を見上げ、しあわせそうに微笑んだ。
雨粒のように麦は落ち、粉雪のように花びらは舞う。極彩は白茶に降り積もり、ひとつずつ、少しずつ、人々が踏みつける敷石を塗り潰していく。

「どうして?」

 可憐な唇が、愛らしい声音が、己を支える花婿に問いを投げた。

「どうして貴方じゃないの?」

至福に溺れるような、恍惚を湛えるような、白銀の睫毛に縁取られた蕩け果てた蒼の目に、炯眼をもって花嫁を貫く花婿が映る。
それは、観衆の目には、幸福に満ちた抱擁という、微笑ましいものと映ったことだろう。拍手が湧き起こり、花弁が落ちる。地を蝕むだけの翳りは、降り注ぐ極彩に覆われていく。
深緋を掴む花婿の指に、朱が滲んだ。

「どうして?」

可憐な唇が、囀りのような声が、夢に泳ぐ浮遊感に棘を秘めて、花婿の耳を抉る。

「ヴェイセル」

咲き誇る微笑みは、いとおしげに、花婿の名を紡ぐ。淡い紅の刷かれた唇は愛らしく、長い睫毛に縁取られた蒼の目が、雪の結晶に飾られた樹氷のような彩りで、花婿を見つめる。

「どうして?」

花嫁の口の端が、かすかに震えながら、吊り上がった。

「不愉快だわ」

睦言めいた囁きが、花婿の喉笛に喰らいつく。
白銀の髪が宙を薙いだ。それは、甘えた花嫁が、抱き締められることを期待して、花婿に凭れ掛かったようでもあった。白銀を飾っていた薔薇が、風に舞い上がった薄布と別れ、石畳を転がる。曇天に晒された花嫁の頬は、陶器のようにすべらかで、白い。花嫁を支える花婿の指は、朱の雫に埋められていく。
滴り落ちそうな曇天が街を覆っていた。輝きを埋め、霞んだ色彩を塗りたくられた街に、風に弄ばれる花弁が散る。
それは慈しみの抱擁であるように見えた。だからこそ、拍手は鳴り止まず、花弁が舞うことは終わらず、黄金の小麦は降り続けていた。観衆は、ふたりの足許に溜まった朱に気づくことなく、花婿の腕の中で瞬きを忘れていく花嫁に気づくことなく、黙したまま唇を噛む花婿に気づくことすらなかった。
尖塔の先には女神がいるのだろう。理を紡ぎ、託宣を与える、天空の女神がいるのだろう。
すべてを見透かす、まどろみにたゆたう女神がいるのだろう。
教会の鐘楼からは、絶えず、祝福の鐘が鳴り響いていた。祝福であるはずの鐘が、いつまでも、鳴り響いていた。

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