Chapter 1




 ファウストゥス暦423年、マルティウスの月の第19日
 通説として、この日は帝国三大公爵家のひとつたるアクィレイア家が消えた日とされている。

「すみません」

 光に溢れる部屋の大窓の前。顔を両手で覆った蜂蜜色の髪の女が、その場に座りこんでしまうことを、涙が溢れることを、何度も詫びながらかぶりを振り続ける。
 女の前にしゃがみこんだこの邸の主は、噎び泣く愛娘を包みこむようにその背中に腕を回しながら瞼を落とす。
 かつり、と、靴音が響き、ひとりたちつくしていた少年の前に長身の青年が到達する。
 愛娘を抱いたままその様子を横目で伺うヨーヴィルと、陶器の面のようなすべらかさと硬質さを崩さないダリオと、それを菫色の目で見上げるリラ。
 銀髪のカドベリー・カースル族が差し出したものを、黒髪の少年はその両の手で受けとる。そして、手の中のそれを確認し、何度か瞬きを繰り返した後、感情というものがあまりにも希薄に見受けられるダリオを見上げ、訊いた。

「これは?」

 それは確信を得ている者が否定を得たいだけの問いであり、否定をもたらしたい者が肯定を呈するしかない問いでもあった。
 少年の手の中に在るもの。それは、陽の光に優美な煌きを撒く、ゆるい巻き癖でやわらかな、一房の――――。

「遺髪、だよ」

 銀の髪の従者が刻んだ確信に少年の大きな菫色の目が揺れ、弾かれたように面を上げたアルシエティナが無言のまま青年と少年を見遣る。
 当時の一級史料とされるラモン・ダルファロの手記においては以下のように記されている。
 背命を理由に開廷された帝国軍の法廷にてウォルセヌス・アクィレイアは隠し持っていた拳銃で自害。この法廷にて明るみに出たアクィレイア公爵家の三兄弟による帝都包囲におけるカトゥルス・アクィレイアとの繋がりによってシャグリウス・アクィレイアはレーム塔に送られ、獄中にて死亡。

「嘘だ」

 少年の唇が、言葉を零した。少年を見つめる高いところにあるダリオの目が、無表情の中で、わずかに細められる。

「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!」

 叫びは嘆きに酷似し、静寂を切り裂く。
 少年の手が青年の服の裾を掴み、突然身ひとつで大海に放り出されたかのように、わずかに眉をひそめたまま震える歯の根を必死に抑えこんで、微塵も熱を感じさせない青年を見上げながら首を横に振り続ける。

「そんな、だって、こんな」

 その目に宿る潤んだ煌きは透明な雫となってそのあどけなさを残す頬を伝い落ち、

「こんな・・・!」

 俯いてしまった少年の肩に、青年はそっと手を置く。

「ごめんなさい」

 と、少年が言った。

「君は何も間違ってなどいないよ」

 と、青年は返した。
 逆巻く限界を迎えた炎が穏やかさを呈するように、荒々しく渦巻き流動を繰り返す湖面を覆う氷が静謐を呈するように。
 青年の二藍の目には冷えたさざめきが宿っていて。

「謝るべきは、あの馬鹿だ」

 静寂に落とされた言の葉は、鋭く深く、地に突き刺さった。
 ファウストゥス暦423年、マルティウスの月の第19日。
 この日、数百年に亘る帝国三大公爵家のひとつが消失し、諸侯の勢力均衡に劇的な変化が生じた。
 以降、帝国は更なる混迷に身を浸すこととなる。

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