Chapter 2
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ファウストゥス暦422年――ユニウスの月の第30日。アレス王、崩御。アレス王国にて後継者争いが本格化。
同年――ユリウスの月の第4日。ナッセレディーン侯爵べルナール・ド・テルム、アルバグラード山脈に向け行軍開始。同6日、アルバグラード駐屯部隊の許にキィルータよりの援軍到着。
同12日。アレス王国、帝国との国境、侵犯。
同14日。帝国議会、非常事態を宣言。これにより全軍の統帥権が皇帝に移行。
そして。
草いきれを孕む夏の夜風が通る庭園で、青褐色の闇の中、白葡萄の酒が湛えられたグラスが月明かりを弾く。
「我らの祖は初代皇帝アウグスト陛下に傅き、この地に帝国が築かれた」
夜の静けさに滲んでゆく声音は低く若く、渋さの中に抑えた覇気が目立つ。
「以来、我ら帝国貴族は臣民として陛下に忠誠を誓い続けた」
厳つさよりも無愛想さが目に付く体格のよい栗色の髪のウェネティー人がやや厚めの唇より朗々と声音を響かせる。
「帝国とは我らが領地。皇帝とは帝国の守人。帝国貴族の責とは秩序と繁栄の裡に領地を治め、その民を護り生かすこと。その責を果たす我らの頂に立つ者こそが、皇帝」
生い茂る樹の枝で眠る鳩の白を硬質な闇が透かす。
その場には数十人の人影。見る者が見ればすぐにそれと知れる、名の知れた帝国貴族。
「だが、今を見るといい。皇帝はその責を果たさず、そればかりか過分な力を手にした。教会は権勢を増し、我らにとって無視できない存在ともなっている。加えて、その程度の差はあれ西方から徐徐に広がる諸侯への叛乱。領主の責を名と実を奪う者、領地という枠を身勝手に飛び越え生業を営む者。没落する貴族、猟官の民。秩序はどこへ消えたのか」
庭園に集う人影の、わずかに離れた位置に佇む者。単眼鏡の奥、その者の目が興味深そうに言葉を語る人物を眺める。
「今や帝国は空洞だ。それを顕現した者とは何者か。それを顕現する者とは何者か」
その視線の先、ざわめきに言葉を弾かせる男。彼が差し出した杯の中、湛えられた葡萄酒が揺れた。
「内務卿の死は烽火。皇帝は皇帝に。教会は教会に。帝国は帝国に。在るべき姿、在るべき位置に。秩序と理とを混沌より救い出し、正しき在り様を取り戻さねばならない」
この庭園の主たるカトゥルス・アクィレイアは高らかに宣言する。
「帝国貴族として、我らは我らの責を果たさん!」
湛えられていた葡萄酒が呑み干された杯は掲げられ、月を透かし、硝子の透明が冷ややかな光沢を放った。
ファウストゥス暦422年――ユリウスの月の第28日。
帝国三大公爵家のひとつたるアクィレイア公爵の本拠地バヴァリア。
アクィレイア公爵カトゥルスを盟主として。
反皇帝を掲げる者たちの憂国の結晶――アウグスト同盟、成立。
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