Chapter 4
「いくの?」
と、音律が響いた。それは、やや高く透明で、水底に網を成す光のような物静かなきらめきを響かせる、数多の生命が集まる深遠たる森の息吹にすら不思議と通る小鳥の囀りのような、大気の震え。
歩み出ようとした扉の、内側と外側の境目。そこで青年の足は停まり、腕に感じた軽やかな体重に視線を落とす。
そこにあったのは、ほとんどしがみつくように青年の片腕を抱きかかえている、絹糸のようなプラチナブロンドの髪の可憐な少女の、あどけなく見上げてくる大きな目。
扉の隙間から吹きこんでくる風を鼻腔に感じつつ、青年は、驚いたような困ったような、おそらくは笑みであるのであろう奇妙な歪みを唇に描かせた。
「あなたからはちのかおりがする」
青年が自分に向けられたものとして初めて聞く少女の声がつくりあげるのはそんな言葉。恐怖も侮蔑も尊敬も同意すらも孕まないその声音が紡ぐのは、言葉通りの、ただそれだけの事実。
このちょっとした不意打ちに、青年は愉快そうに笑んで上体を屈め、眼の高さを少女と合わせた。
「俺が怖いか?」
少女はその細い首が折れるのではないかと心配してしまうくらいに頭を横に振る。思わず上体を戻した青年を少女はまっすぐに見上げ、
「そんなあなただから、あたしはあなたをしんじられるの」
少女の言葉に、青年はわずかに目を瞠った。
淡い闇と鮮烈な光の境目。静謐にたゆたう光の微粒子にほのかに霞むその場所で少女は青年の腕からするりと己のそれを抜き取り。
「またあそんでね」
高いところにあるまだ茫然としている青年の顔を見上げ、ふんわりと、微笑んだ。
ファウストゥス暦422年、冬。
綿菓子のようなふんわりとした白い雲が一瞬にして黒々とした重く透き通った重厚さを帯びる気まぐれな空。
例年よりは緩いものの凍てつく寒気に満たされたその大地で。
眩さに目が灼けるほどの白銀の中、ささやかにして取るに足らない、それでも紛れもないひとつの契機が咲き乱れる。
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